マンハッタンカフェ

マンハッタンカフェ
2002年4月28日、京都競馬場
品種 サラブレッド[1]
性別 [1][2]
毛色 青鹿毛[1][2]
生誕 1998年3月5日[1][2]
死没 2015年8月13日(17歳没)[3]
サンデーサイレンス[1][2]
サトルチェンジ[1][2]
母の父 Law Society[1][2]
生国 日本の旗 日本北海道千歳市[1][2]
生産者 社台ファーム[4]
0(水越治三郎厩舎[5]
生産牧場 社台ファーム[1][2]
育成 社台ファーム
0(千葉英昭厩舎[5]
0(→三浦長厩舎[5]
0(→東礼治郎厩舎[5]
0(→猿倉修厩舎[5]
馬主 西川清[1][2]
調教師 小島太美浦[1]
調教助手 小島良太[6]
蛯沢誠治[7]
松本重春(調教厩務員)[6]
厩務員 松本重春[7]
競走成績
タイトル JRA賞最優秀4歳以上牡馬(2002年)[2]
生涯成績 12戦6勝[2]
日本)11戦6勝[1]
フランス01戦0勝[2][1]
獲得賞金 5億2283万4000円[2]
IC 118E(2002年)[8]
勝ち鞍
GI 菊花賞 2001年
GI 有馬記念 2001年
GI 天皇賞(春) 2002年
繁殖成績
タイトル 日本リーディングサイアー(2009年)[2]
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マンハッタンカフェ(欧字名:Manhattan Cafe1998年3月5日 - 2015年8月13日)は、日本競走馬種牡馬[1]

2002年のJRA賞最優秀4歳以上牡馬である。2001年菊花賞有馬記念2002年天皇賞(春)を優勝した。主戦騎手蛯名正義

概要

1998年3月5日、日本北海道千歳市社台ファームで生産された父サンデーサイレンスの牡馬である。セレクトセールにて上場され、1億3650万円の値がついていた。西川清の所有となり、美浦トレーニングセンター小島太厩舎の管理のもとデビューした。

2戦目で勝ち上がり、続く弥生賞(GII)は4着、自己条件に戻って500万円以下のアザレア賞に臨んだが、輸送が堪えて11着敗退。春のクラシック参戦は叶わなかった。休養を挟んで夏の北海道で出世し、3勝馬として迎えた菊花賞(GI)にて東京優駿優勝馬ジャングルポケットなどを下して優勝し、クラシック戴冠を果たした。それから暮れの有馬記念(GI)にて古馬に挑み、「二強」を築いたテイエムオペラオーメイショウドトウなど旧世代を下して、1998年グラスワンダー以来13頭目となる3歳馬による有馬記念優勝を成し遂げた。

古馬となり、ジャングルポケットやナリタトップロードと対した天皇賞(春)(GI)も優勝し、GI3戦3連勝を達成。3歳秋から4歳春にかけての菊花賞、有馬記念、天皇賞(春)の制覇はシンボリルドルフ以来となる。その後は、フランスの凱旋門賞(G1)に遠征したが、競走中に故障し13着敗退、屈腱炎のため引退となった。通算成績12戦6勝、GI3勝。

競走馬引退後は、種牡馬となり、2009年には日本のリーディングサイアーとなった。また重賞優勝産駒を多数輩出し、なかでもジョーカプチーノレッドディザイアヒルノダムールグレープブランデークイーンズリングがGI優勝を果たした。産駒の牝馬も多数、繁殖に回り、ブルードメアサイアーとしての重賞優勝産駒も多数輩出。なかでもメイショウハリオテーオーケインズがGI優勝を果たした。

デビューまで

誕生までの経緯

サトルチェンジは、父ローソサイエティのアイルランド産牝馬である。アイルランドとイギリスで競走馬として走り、アイルランドの準重賞優勝を含む19戦4勝[9]。引退後は、繁殖牝馬となり、初年度から3年間でポリッシュパトリオット(英語版)の初仔、ビーマイゲストの2番仔、デインヒルの3番仔を産んでいた[9]。4年目、グランドロッジと交配した後、日本の競走馬生産者である社台ファームに購入される。1996年、グランドロッジとの仔をはらんだ状態で、日本に輸入された[9]

同年、グランドロッジの4番仔が産んだ後、日本で初めてとなる交配が実施される。初めての相手は、社台ファームが日本にもたらし、大繁栄を遂げた最高級種牡馬サンデーサイレンスだった[10]。しかし流産、仔を得ることができなかった[10][9]

日本2年目となる1997年、再びサンデーサイレンスとの交配を挑み、受胎、流産はしなかった[9]。翌1998年3月5日、北海道千歳市の社台ファームにて、サトルチェンジの5番仔となる牡馬(後のマンハッタンカフェ)が誕生する[11]。5番仔は、父サンデーサイレンスと同じ青鹿毛だった[5]

兄姉では、3番仔と4番仔が日本で競走馬となっている。3番仔は、ラッキーフィールドが所有してエアスマップという名でデビューし、4番仔は、関口房朗が所有しフサイチエキサイトという名でデビューしていた[12]。このうちエアスマップは、2000年までに準オープンクラスまで出世していた。後になって2001年のオールカマー(GII)を勝利するなど重賞戦線で活躍するようになる[13]

幼駒時代

5番仔は、誕生直後から牧場内で良さげな馬という認識があった[5]。牧場育成担当の猿倉修によれば、直後は欠点が見当たらなかったという[5]。おまけに母仔共々素直であり、牧場内千葉英昭厩舎が担った離乳では、気性の難しい母仔から引き離していたが、サトルチェンジ母仔の引き離しは、最後だった[5]

当歳の5番仔は、1998年のセレクトセールに上場、1億3650万円で売却された[14]。落札したのは、兄フサイチエキサイトも所有していた関口房朗だった[14]。しかしデビューを前に、駐車場経営者の馬主西川清の所有に変更となる。西川は、その5番仔を美浦トレーニングセンター小島太調教師に託していた。西川と小島の縁は、騎手時代の小島が1995年天皇賞(秋)サクラチトセオーで制した直後、六本木の寿司屋で偶然席が隣同士になったことがきっかけだった[15]

馬主でなかった西川は、馬を所有した暁には、調教師に転身する小島に託すという約束を取り付けており、数年後、西川の初めての所有馬、思い出の場所から名付けた「カリブカフェ」で結実していた[15]。以後、西川は主力厩舎は小島とし、娘の名前から拝借した2頭目「サウザンドハッピー」を挟んで、カリブカフェから拝借して冠名「カフェ」を定めるようになった[16]。しかし、しばらくして小島から「カフェ」が馬名の末尾にあった方が出世しやすいと指摘されていた。そこで小島に託す馬だけ「(ナントカ)カフェ」とするようにしていた[16]。この5番仔は、その規則に従い「マンハッタンカフェ」と命名される[16]

千葉厩舎を退いたマンハッタンカフェは、続いて三浦長厩舎で初期育成を、東礼治郎厩舎で馴致をこなし、1歳9月に猿倉厩舎で育成段階に入っていた[5]。人を背に受け入れたマンハッタンカフェは、素直で癖がなく、どのスタッフでも乗りこなせるほどだった[5]。2歳になってからは、猿倉が自ら、マンハッタンカフェの育成を担っている[5]。後に猿倉は「乗り始めてから"もしや"という大物感を感じ始めましたね。それまで携わってきた、のちのGI馬達と比べても遜色無い能力は持っている[5]」と感じ取ったと回顧している。この能力から次第に牧場では、東京優駿(日本ダービー)優勝の有力馬になるのではという期待がちらつくようになり「ダービーを、本気でダービーを勝つつもりで送り出した馬[17]」(石田敏徳)になっていた。

小島は、マンハッタンカフェの鞍上に、蛯名正義を起用する。蛯名は初めて調教にまたがった時から、高い素質を感じており「とてもおとなしくて、サンデー(サイレンス)の仔にしては珍しいタイプ(中略)気性も含めて、長いところが向いている[18]」と感じ取っていた。

競走馬時代

3歳(2001年)

クラシックまでの道程

1月29日、東京競馬場新馬戦(芝2000メートル)、2.0番の2番人気に推されたが、スタートで出遅れた。さらにはハミを取れず、正しく走れなかった[19]。トレジャーに後れを取る3着だった[19]。そして2月11日、2戦目の新馬戦(芝1800メートル)に1番人気で出走。好位から抜け出して先頭で決勝線を通過。初勝利を挙げた[19]

続いて3月4日、クラシック初戦・皐月賞トライアル競走である弥生賞(GII)に参戦する。相手には、アグネスタキオンがいた[19]。アグネスタキオンは、12月上旬の新馬戦を3馬身半差で優勝した後、暮れのラジオたんぱ杯3歳ステークスにて、ジャングルポケット、クロフネらを下して優勝し有力馬となった。クラシックに向けた初戦が、この弥生賞だった[19]。8頭立て、1倍台のアグネスタキオンに対して、マンハッタンカフェは、21倍の5番人気、前走よりもマイナス20キログラムで出走していた。4番手を追走し、直線で抜け出しを図ったが、アグネスタキオンに千切られた。ボーンキングミスキャストにも及ばず4着、皐月賞の優先出走権が得られる3着とは、クビ差の4着だった[20]

この敗戦で皐月賞参戦はなくなり4月7日、阪神競馬場のアザレア賞(500万円以下)に参戦したが、弥生賞からマイナス16、デビュー戦から42キログラムまで減らしていた。2番人気だったが、11着敗退[20]。馬体重の減少は、輸送の耐性がなく、この後は続戦できなかった[21]。クラシック第2戦の東京優駿(日本ダービー)参戦を諦めて、長期休養となった[21]。この時の連敗について後に、小島はこのように回顧している。

輸送に弱かったこともあるけれど、やっぱりまだ、内臓面が本物じゃなかったんだろうね。オーバーワークにならないよう、セーブしてセーブして調整を積んでいたのに、あれだけ体重が減るなんて、そうとしか考えられない — 小島太[22]

目標をクラシック最終戦の菊花賞に切り替えて札幌競馬場の2600メートル戦に臨む。4か月空けた8月4日、富良野特別(500万円以下)に、馬体重を取り戻し、プラス46キログラムで参戦[20]。スタートで出遅れたが、追い上げて後方に2馬身差をつけて優勝。2勝目を挙げた[20]。それから8月26日、同条件の阿寒湖特別(1000万円以下)では、直線で進路を塞がれるも抜け出し、優勝。2連勝で、3勝馬に成り上がった[18][20]

北海道で出世して、本州に舞い戻り9月16日、トライアル競走であるセントライト記念(GII)に臨む。蛯名に先約があるため、二本柳壮が代打した[18]。再び体重を減らしてマイナス10キログラムであり、トレジャー、ロードフォレスターに次ぐ3番人気だった[23]。道中、好位を追走したが、直線で伸びなかった[23]シンコウカリド、トレジャー、ロードフォレスターに後れを取る4着、再び優先出走権を獲得することができなかった[24]

菊花賞

優先出走権は得られなかったが、頭数は15頭に留まり、10月21日に京都競馬場で行われる菊花賞出走を叶えた。京都、関西で行われるため、輸送をする必要があった。マンハッタンカフェは、4月のアザレア賞、阪神競馬場にレース直前で輸送した結果、馬体重を大きく減らして敗れていた[25]。この反省を生かして陣営は、関西馬の拠点である栗東トレーニングセンターの滞在を敢行する[25]。余裕を持って早めに東西輸送を済ましていた。9月30日に栗東に入厩[26]。当日を微増のプラス4キログラムで迎えている[27]

10月21日、菊花賞(GI)に臨む。15頭立てとなる中、単勝17.1倍の6番人気に推される[28]。ここまでのクラシックは、皐月賞はアグネスタキオンが、東京優駿はジャングルポケットが優勝しており、どちらも2着はダンツフレームだった。アグネスタキオンは、東京優駿を前に引退[26]。1番人気はジャングルポケット、2番人気はダンツフレーム、3番人気は駒草賞、巴賞、札幌記念神戸新聞杯というオープン、重賞競走4連勝中のエアエミネムであり、この3頭が抜けた人気だった[29]

2枠2番からスタート、馬群の内側を確保[27]。11番人気マイネルデスポットが単独で逃げ、スローペースを演出していた[26]。近い位置にいたジャングルポケット、先行するエアエミネムは走る気が勝り、早くも消耗する一方、マンハッタンカフェは折り合いをつけて追走することができた[26]。先行有利のスローペースだったため、逃げるマイネルデスポットの余力は、十分にあった。よって逃げ馬を誰も捉えることができていなかった[30]

映像外部リンク
2001年 菊花賞(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

馬群の内側で脚を溜めたマンハッタンカフェは、最終コーナーから促されて、直線で末脚を発揮し、先頭を目指した[30]。まず馬群にいて、伸びあぐねるエアエミネムやジャングルポケットを置き去りにする[26]。それから内で粘るマイネルデスポットに迫り、ゴール手前で並び立っていた。マイネルデスポットを半馬身差し切ったところで決勝線を通過する[27]

春のクラシック不出走馬の菊花賞優勝
優勝馬[注釈 1][31]
1948 ニユーフオード
1955 メイヂヒカリ
1967 ニットエイト
1969 アカネテンリュウ
1975 コクサイプリンス
1976 グリーングラス
1986 メジロデュレン
1988 スーパークリーク
1989 バンブービギン
1990 メジロマックイーン
1995 マヤノトップガン
2001 マンハッタンカフェ

クラシック戴冠、1995年マヤノトップガン以来となるクラシック初出走馬の菊花賞優勝、6年ぶりの夏の上がり馬が誕生した[31][27][32]。また1998年セイウンスカイ以来となる美浦所属関東馬の菊花賞優勝だった[27][32]。蛯名、西川、小島は菊花賞初優勝[29][32]。社台ファームは、ダンスインザダークエアシャカールに次いで3頭目となる生産馬の優勝[29]、サンデーサイレンス産駒は前述の2頭に続き、2年連続3頭目の優勝となった[32]

有馬記念

菊花賞優勝後は、宮城県山元町山元トレーニングセンターの短期放牧を挟んだ[33]。ジャパンカップは、小島によれば「菊花賞の頃から、馬が本当にグングンよくなってきているんだ。伸び盛りの成長の芽を摘みたくなかった。それが唯一最大の理由[33]」として見送り、暮れの有馬記念(GI)に参戦する[33]。菊花賞が超スローペース決着だったことから、フロックと認識される向きがあった[33]。なお回避したジャパンカップでは、菊花賞で下したジャングルポケットが、古馬のテイエムオペラオーナリタトップロード、ステイゴールド、メイショウドトウなどを下して優勝していた。

12月23日の有馬記念(GI)は、13頭立てだった[34]。人気を集めたのは、このレースでもって引退するライバルの6歳2頭、テイエムオペラオーとメイショウドトウだった[34]。テイエムオペラオーはこの年の天皇賞(春)優勝馬、メイショウドトウは、同宝塚記念優勝馬であり、前年夏から秋にかけてのGI戦線では、ワンツーを4戦連続張った2頭だった。テイエムオペラオー1.8倍、メイショウドトウ5.5倍、対してマンハッタンカフェは7.1倍の3番人気だった[34]。以下7.5倍でナリタトップロード、15倍でトウカイオーザ、17倍でトゥザヴィクトリーなどと続いていた[34]

映像外部リンク
2001年 有馬記念(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画
2001年 有馬記念(GI)
レース映像 関西テレビ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画

4枠4番からスタート、中団外側のメイショウドトウ、中団後方のテイエムオペラオーの後方、最後方集団で待機した[35][36]。トゥザヴィクトリーの先導するスローペースを追走、すなわち後方待機は、不利な立場だった[36]。2周目の第3コーナーから後方勢は外から進出を開始する[36]。逃げるトゥザヴィクトリーを目指して、まず先駆けてメイショウドトウが行き、それをテイエムオペラオーが追い、さらにマンハッタンカフェが追う直列状態だった[35][36]

前を行くメイショウドトウと、テイエムオペラオーの進出は、先頭トゥザヴィクトリー、2番手で先行するアメリカンボスをまくるほどの勢いではなかった[36]。そんな中、マンハッタンカフェは2頭の外に持ち出し、直線で末脚を発揮する[36]。2頭を差し切ったうえに置き去りにし、先行するトゥザヴィクトリーに唯一取り付き、まもなく差し切りを果たした。後方に1馬身4分の1差をつけて決勝線通過[9]。テイエムオペラオーのシンボリルドルフ越えとなるGI8勝の新記録樹立を阻止した[37]

前走の菊花賞に続きGI連勝となったマンハッタンカフェは、1998年グラスワンダー以来史上13頭目となる3歳馬による有馬記念優勝となった[9]。また、1972年イシノヒカル、1984年シンボリルドルフ、1994年ナリタブライアン、1995年マヤノトップガンに続いて史上5頭目となる、同一年の菊花賞と有馬記念優勝を成し遂げた[36][38][注釈 2]。さらに、蛯名、西川、小島は有馬記念初優勝[37]、社台ファームは1986年ダイナガリバー以来の2勝目[37]、そして、サンデーサイレンス産駒としても有馬記念を初優勝したことで、産駒の旧八大競走全制覇を成し遂げている[45]

また2着は、先行して、先頭トゥザヴィクトリーを終いでかわし、テイエムオペラオーとメイショウドトウの追い上げに先着した最低13番人気1枠1番のアメリカンボスだった[9]。アメリカンボスが絡んだことで、高配当が生まれ、枠番連勝1-4は2万円超、馬番連勝は4万8千円超となり、共に有馬記念歴代最高配当となっている[9][45]。その年の世相が反映されると知られている有馬記念、この年9月11日は、マンハッタンのワールドトレードセンターほか、アメリカ各地でテロが発生するアメリカ同時多発テロ事件が起こっていた[46]。この年の競馬では10月の秋華賞イエムオーシャン - ーズバド」はあったが、それに続く「マンハッタンカフェ-アメリカンボス」であり、テロの被害を受けた国、地域までが明確に反映される結果となった[47][46]

この年のJRA賞では、年度代表馬部門で全283票中30票、最優秀3歳部門で43票を集めたが、いずれもジャングルポケットが選出され、受賞には至らなかった[注釈 3][注釈 4][48]

4歳(2002年)

日経賞

この年は、まず天皇賞(春)を目指した。始動戦は、阪神大賞典の予定もあったが「有馬記念と同じ距離ですし、関東のお客さんに見てもらえる[49]」(小島)として3月23日、中山競馬場の日経賞(GII)での始動となる[49]。しかしこの頃は、蹄の不安に悩まされる[50]。さらに2月13日の帰厩直後は、再三の食欲不振にも見舞われた[51]。それでも調整を続けて当日、小島は、万全に仕上がっていたと考えていた[52]。小島は蛯名に「GIのつもりでビッシリ乗ってこい[52]」と指示する。当日は、良馬場だったが、小雨が降ったことで[53]、芝の表面だけが水に濡れ、末脚を発揮しにくい「上滑りする馬場[49]」となる。8頭立て、ロードフォレスター、タップダンスシチーなどと対して単勝オッズ1.2倍の1番人気だった[54]

トーホウシデンが逃げるスローペースを、後方3番手で追走。第3コーナーから大外に持ち出して進出を試みた[54]。しかし促されても促されても前方との距離を縮められなかった[54]。直線に入っても盛り返すことができず、後方のまま決勝線を通過。アクティブバイオ、タップダンスシチー、コイントスの先頭争いに約3馬身以上後れを取る6着に敗退した[53]。蛯名は、最終コーナーにて、後ろ脚の違和感を感じて、後ろに振り向く仕草をしている[52]。蛯名曰く「誰かに乗りかけられたのかと思った[52]」ほどの感触だったが、故障は見られなかった[52]

天皇賞(春)

続く天皇賞(春)は、関西の京都競馬場で行われるため、東西輸送が必要だった。そこで陣営は、前年の菊花賞と同じように、早めの移動と、栗東滞在からの京都輸送する作戦を実行する[55]。4月4日に、栗東に入厩し、3週間の滞在を経ての参戦となった[55]。4月28日、天皇賞(春)(GI)に臨む。11頭立てとなる中、マンハッタンカフェと、JRA賞を譲った同期のジャングルポケット、前々々年の菊花賞を優勝した6歳のナリタトップロードの3頭が人気の中心だった。ジャングルポケットとナリタトップロードの前哨戦は、共に阪神大賞典であり、ワンツーフィニッシュ。ナリタトップロードがジャングルポケットに2馬身差をつけて勝利していた。人気は、始動戦の京都記念から2連勝中のナリタトップロードが2.7倍、マンハッタンカフェが2.9倍、ジャングルポケットが3.5倍となる[56]。以下、サンライズペガサス、エリモブライアンと続いていた[57]。開催3日前に雨が降ったものの馬場が回復。当日は、良馬場での開催だった[55]

4枠4番から好スタートを切ったが、控えて中団を確保する[58]。近くにナリタトップロードとジャングルポケットがおり、人気3頭が中団にひとかたまりとなり、エリモブライアンが逃げるスローペースを追走した[58]。2周目の第3コーナーから各々先頭エリモブライアンに接近し、人気3頭も進出を開始する。内からマンハッタンカフェ、ジャングルポケット、ナリタトップロードまで横並びだった。最終コーナーでは、逃げるエリモブライアンに、外からボーンキングとキングザファクトが並んで先頭を争っており、その背後2列目に人気3頭が揃って迫っていた。2列目では、まず外のナリタトップロードが進出し、先頭の外側を担うキングザファクトに外から接近していた[58]

映像外部リンク
2002年 天皇賞(春)(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

ところがキングザファクトが、コーナーを外側に膨れながら回り、ナリタトップロードもやや外側に張り出されながら直線に向く[59]。後れを取るジャングルポケットも、張り出されたナリタトップロードの外から追い上げる形となった[58]。一方マンハッタンカフェは、キングザファクトが膨れたことで内側に生まれた空間に入り込み、スムーズにコーナーを回っていた[58]

直線では人気3頭が優勢となる。すなわち末脚比べとなったが、マンハッタンカフェは、コーナーワークで抜け出した[59]。外から後れて2頭が追い込み、特にジャングルポケットに接近を許したが、先頭を守った[58]。ジャングルポケットにクビ差、ナリタトップロードに半馬身以上差をつけて決勝戦を通過した[60]

GI3戦3連勝で天皇賞を戴冠する[60]。1997年マヤノトップガン以来5年ぶりとなる菊花賞優勝馬の天皇賞(春)優勝、1994年ビワハヤヒデ以来8年ぶりとなる前年菊花賞優勝馬の天皇賞(春)優勝を果たした[61]。さらに、前年秋の菊花賞優勝から暮れの有馬記念優勝と、翌春の天皇賞(春)優勝を果たしたのは、1984年秋から85年春にかけて成し遂げたシンボリルドルフ以来2頭目となった[61][62][注釈 5][注釈 6]。西川は天皇賞初優勝[70]。蛯名は、1996年秋バブルガムフェロー以来の天皇賞2勝目[70]。小島は調教師として初勝利[70]。1986年秋サクラユタカオー、1995年秋サクラチトセオーを騎手として優勝しており、騎手と調教師両方の立場で天皇賞優勝を成し遂げている[70]

夏休み

日経賞の不調を取り戻して優勝した天皇賞(春)だったが、実際のところは、出走する直前まで不調だった[71]。蹄の不安もあり「ギリギリまで出否を迷ったほど[71]」(小島)のなか、万全とは言えないような状態で強行し、優勝を果たしていた[71]。そのため続く宝塚記念は、回避。早くも春夏シーズンを終えて、北海道の社台ファームで放牧に出されていた[71]。陣営は当初、秋の目標を、天皇賞(秋)やジャパンカップ、すなわち国内専念と考えていた[72][73]

杉本清:それで、巷には海外という声もありますが。
小島太:来年になれば遠征に耐えられると思うんですが、今のところは……。この前も、栗東に輸送しただけで何日かだめなんです。利口な馬だから、トレセン(トレーニングセンター)の検疫所に一日入っただけでも、もう飼い葉を食べないんです。 — 『杉本清の競馬談義(206)』[73]

しかし春から夏にかけて虚弱体質を克服するようになる[17]。まず、天皇賞(春)から美浦を経由して、放牧地の北海道に輸送されても、体重が減らなかった[17]。それから、放牧中のトレーニングで「さらにドシっとした[71]」(小島)、「ずいぶんパワーアップ(中略)今年は芯がしっかりした感じ[17]」(猿倉)になるまで成長する。そこで陣営は、これまで避けてきた長距離の遠征への挑戦を決意する[17]。当初の国内専念宣言を翻して、外国遠征へ、フランスの凱旋門賞参戦が8月8日に発表された[74]

凱旋門賞参戦は、共同オーナーとなった社台ファームの吉田照哉の希望によるものだったという[75]。マンハッタンカフェが夏休みを過ごす8月、社台は種牡馬サンデーサイレンスを喪っていた[注釈 7]。社台が、日本で大繁栄を遂げたサンデーサイレンスと次に目指すのは、外国であり、外国の大レースに遠征して活躍し、名を売る必要があった[77]。吉田は「(マンハッタンカフェは)私は凱旋門賞でも勝ち負けになると思っている(中略)マンハッタンカフェが凱旋門賞を勝ったら、欧州では大変な騒ぎになるでしょうし、それがサンデーサイレンスに対しての最大の恩返しになる[77]」と考えていた。

また小島は、騎手時代に騎乗したかったレースの一つだった[78]。調教師としても1997年、天皇賞(春)と有馬記念を制したサクラローレルで遠征していたが、前哨戦のフォワ賞で故障し、競走能力喪失。目前で引退して叶わなかった[78]。それから蛯名は、1999年にエルコンドルパサーで参戦しており、モンジューに半馬身届かず2着敗退、それ以来の参戦だった[78]

当初、オーナーの西川は、遠征に反対する立場だった[75]。しかし吉田と小島が乗り気だったため「2対1じゃあ仕方ない」と折れて遠征が実現することとなった[75]

凱旋門賞

イーグルカフェ

遠征には、同じ西川所有と小島厩舎所属のイーグルカフェ帯同馬を担った[74]。厩舎の先輩イーグルカフェは、1999年にデビューし、外国産であるため2000年のクラシック参戦は叶わなかったが、NHKマイルカップを優勝していた。その後2年間、ドバイ遠征などしたが勝利できなかった。それでも2002年7月7日の七夕賞(GIII)を優勝、復活の勝利を挙げた直後の帯同だった。社台ファームでの調整されたマンハッタンカフェは、8月28日に美浦に帰厩する[79]。午後から輸出検疫所にイーグルカフェとともに入った[79]。9月4日、成田国際空港から出国し、アンカレッジ経由でフランスに向かった[74]

フランスでは、シャンティイ調教場リチャード・ギブソン厩舎に滞在している[74]。成長したマンハッタンカフェは、輸送にも耐えて、順調に調整され、万全に仕上げられた[80][2]。10月6日、ロンシャン競馬場の凱旋門賞(G1)に臨む。愛伊英独日仏の16頭立てだった[81]。人気を集めたのは、アイルランドダービー優勝馬のハイシャパラルと、フランスダービー優勝馬のスラマニだった[82]。それから前年2着のアクアレリストヨークシャーオークス優勝馬のイズリントン(英語版)と続き、単勝オッズ9.3倍の5番人気が、マンハッタンカフェだった[82][注釈 8]

映像外部リンク
2002年 凱旋門賞(G1)
レース映像 Equidia公式YouTubeチャンネルによる動画

好スタートから馬群の外側4番手を追走[83]。しかし鈍く、直線に入る前にステッキが入り、以後伸びず後退する[81]。終いは促されることもなかった。先頭で決勝線を通過したマリエンバードに大きく後れを取って通過、13着に敗退した[84][81]。失速の原因は故障であり、レース後に、左前脚に屈腱炎の兆候が判明。検査を前に即引退となった[84][81]

暮れ、12月22日の有馬記念当日の中山競馬場にて、引退式が行われる[85]。前年の有馬記念のゼッケン「4」を着用し、青帽子と勝負服を纏った蛯名を馬上に迎えた姿が、披露された[85]。蛯名を背中にこそ乗せたが、怪我のために自らの脚で走ることはできず、人に曳かれるだけだった[85]。この年のJRA賞では、全281票中146票を集めて、最優秀4歳以上牡馬を受賞している[86]

種牡馬時代

引退後は、山元トレーニングセンターを経由して、北海道安平町社台スタリオンステーションに移動[85]。社台スタリオンステーションで、翌2003年から種牡馬として供用された。初年度から200頭を超える繁殖牝馬を集め続け、2007年と2008年は150頭前後に落ち着いたが、2009年から再び200頭超えに回復した[87]。2013年に200頭を割り込んだが164頭、翌2014年は113頭だった[87]。2015年になると体調不良、免疫低下に見舞われながら種付けを続け、126頭と交配し、繁殖シーズンを全う[87][88]。しかしシーズン終了後に衰弱が進み、2015年8月13日、社台スタリオンステーションでの放牧中に17歳で死亡した[88]。死後の解剖により、死因は、腹腔内の腫瘍と判明した[88]

産駒は、2006年から日本競馬で走っている[87]。複数の世代が揃った2009年には、日本のリーディングサイアーとなった[89]。初年度から重賞優勝産駒を多数輩出した。さらに3年目産駒のジョーカプチーノ(母父:フサイチコンコルド)は、2009年のNHKマイルカップを優勝[90]レッドディザイア(母父:カーリアン)は、2009年の秋華賞を優勝した[91]。それから5年目産駒のグレープブランデー(母父:ジャッジアンジェルーチ)は、2011年のジャパンダートダービー、2013年のフェブラリーステークスを優勝[92]。9年目産駒のクイーンズリング(母父:アナバー)は、2016年をエリザベス女王杯を優勝している[93]。また4年目産駒のヒルノダムール(母父:ラムタラ)は、2011年の天皇賞(春)を優勝し、史上2組目となる天皇賞(春)父仔制覇を果たし、父と同じく凱旋門賞にも参戦した[94][95]

産駒は多数繁殖牝馬となっており、ブルードメアサイアーとしての産駒が、2011年から日本競馬で走っている[96]。重賞優勝産駒も多数おり、テーオーケインズ(父:シニスターミニスター)は、2021年の帝王賞とチャンピオンズカップ、2022年のJBCクラシックを優勝[97]メイショウハリオ(父:パイロ)は、2022年の帝王賞を優勝している[98]

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[99]並びにJBISサーチ[100]、『優駿[2]の情報に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離

(馬場)

オッズ

(人気)

着順 タイム

(上り3F)

着差 騎手 斤量

[kg]

1着馬

(2着馬)

馬体重

[kg]

2001. 01. 29 東京 3歳新馬 芝2000m(重) 15 5 9 04.0(2人) 03着 2:06.5 (34.9) -0.2 蛯名正義 55 トレジャー 498
02. 11 東京 3歳新馬 芝1800m(良) 16 3 5 01.7(1人) 01着 1:49.8 (35.5) -0.3 蛯名正義 55 (イサオヒート) 492
03. 04 中山 弥生賞 GII 芝2000m(不) 8 7 7 21.4(5人) 04着 2:06.8 (38.4) -1.1 蛯名正義 55 アグネスタキオン 472
04. 07 阪神 アザレア賞 5下 芝2000m(良) 16 5 10 04.0(2人) 11着 2:03.7 (35.9) -1.2 河内洋 55 シノグラフィー 456
08. 04 札幌 富良野特別 5下 芝2600m(良) 12 5 6 02.0(1人) 01着 2:43.5 (35.6) -0.3 蛯名正義 54 (シュプリゲン) 502
08. 26 札幌 阿寒湖特別 10下 芝2600m(良) 12 3 3 01.8(1人) 01着 2:43.1 (35.8) -0.1 蛯名正義 54 (トーセンサンダー) 500
09. 16 中山 セントライト記念 GII 芝2200m(稍) 16 7 14 05.3(3人) 04着 2:13.8 (36.3) -0.7 二本柳壮 56 シンコウカリド 490
10. 21 京都 菊花賞 GI 芝3000m(良) 15 2 2 17.1(6人) 01着 3:07.2 (34.0) -0.1 蛯名正義 57 マイネルデスポット 494
12. 23 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良) 13 4 4 07.1(3人) 01着 2:33.1 (33.9) -0.2 蛯名正義 55 アメリカンボス 504
2002. 03. 23 中山 日経賞 GII 芝2500m(良) 8 8 8 01.2(1人) 06着 2:37.5 (34.9) -0.5 蛯名正義 58 アクティブバイオ 510
04. 28 京都 天皇賞(春) GI 芝3200m(良) 11 4 4 02.9(2人) 01着 3:19.5 (34.1) -0.0 蛯名正義 58 (ジャングルポケット) 504
10. 06 ロンシャン 凱旋門賞 G1 芝2400m(良) 16 12 8 13着 2:29.7 -3.0 蛯名正義 59.5 Marienbard 計不

種牡馬成績

年度別成績

以下の内容は、JBISサーチの情報に基づく[87]

種付年度 種付頭数 生産頭数 血統登録頭数 出走頭数 勝馬頭数 重賞勝馬頭数 AEI CPI
2003 211 151 146 129 82 4 1.58
2004 206 150 143 124 78 3 1.04
2005 221 154 152 127 79 8 2.25
2006 201 135 131 120 75 6 1.89
2007 164 120 114 105 74 6 1.89
2008 154 104 102 90 53 3 1.29
2009 196 115 113 102 58 0 1.25
2010 207 143 139 123 75 0 1.11
2011 202 142 137 125 75 4 1.45
2012 200 136 135 111 71 2 1.28
2013 164 107 107 92 64 5 1.53
2014 113 66 65 56 38 2 1.17
2015 126 46 46 45 31 0 1.09
合計 1530 1349 853 43 1.47 1.45

主な産駒

GI級競走優勝産駒

GI級競走は、太字強調にて示す。外国重賞には、その競走が行われた場所の国旗を充てる。

  • レッドディザイア(2006年産)
    レッドディザイア(2006年産)
  • ジョーカプチーノ(2006年産)
    ジョーカプチーノ(2006年産)
  • ヒルノダムール(2007年産)
    ヒルノダムール(2007年産)
  • グレープブランデー(2008年産)
    グレープブランデー(2008年産)
  • クイーンズリング(2012年産)
    クイーンズリング(2012年産)

重賞優勝産駒

地方競馬独自の格付けは、アスタリスクを充てる。

母の父としての産駒

グレード制重賞優勝馬

太字はGI・JpnI競走を示す。

  • テーオーケインズ
    テーオーケインズ
  • メイショウハリオ
    メイショウハリオ
  • タスティエーラ
    タスティエーラ
  • ペプチドナイル
    ペプチドナイル

地方重賞優勝馬

特徴

気性

気性については、社台ファーム育成担当の猿倉修は、同牧場の千葉厩舎にいたときからスタッフが手をかけてきたことで、「人間が側にいたら安心するというのか、人に対しては非常に従順[5]」と回顧している。また厩務員の松本重春は「とてもプライドの高い馬[6]」、さらに小島良太は「性格をよくわかっていて、慣れている人間でなければ扱うのが大変。そんなタイプの馬[167]」と評している。また種牡馬時代のマンハッタンカフェは、競馬エイト記者の鈴木由希子によると、「他馬が荒々しく迫る中、(マンハッタンカフェは)繁殖牝馬に対してとても丁寧で長距離向きの優しい気性[168]」が発現していたという。

小島は「ゆったりとした走りと一体になった切れ味[21]」がマンハッタンカフェの武器であると述べている。蛯名正義は「外見とは裏腹に実はとても繊細[167]」「乗る立場からすると、こちらの思い通りに動いてくれる、本当に乗りやすい馬なんです[167]」と評している。ただし周囲の人間の配慮が求められた[167]。しかしレースでは余計なことはせず「絶対と言っていいほど、リキんだりムキになったり[167]」しなかった。したがって道中は冷静であり「道中の"タメ"が利くから直線であれだけの切れ味、爆発力を発揮[167]」できたという。

蹄の不安

マンハッタンカフェの蹄は、皿のように薄くて平べったい蹄であった。それが4歳になった頃状態が悪化、小島やスタッフを悩ませ続けた[169]。4歳初戦の日経賞で6着で敗れた後、次走を予定していた天皇賞(春)を前に小島は、マスコミとの接触を意識的に避ける行動をとっていた[50]。小島はこの時のマンハッタンカフェに関して、「蹄やトウ骨の状態が思わしくなく、回避するか否かをずっと悩んでいた。中途半端な状態で走らせるわけにはいかないから、それでマスコミとの接触を意識的に避けた。元々蹄が薄い馬で、実はかなり前の段階から蟻洞(ぎどう)[注釈 9]できて、装蹄師も苦労した。自分としては菊花賞、有馬記念を勝って満足だったが正当な評価をされなかった。その悔しさから、問題を抱えているのを承知で無理を強いたかもしれない。我慢して期待に応えてくれた[50]」 と語っている。

血統表

マンハッタンカフェ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 サンデーサイレンス系ヘイロー系
[§ 2]

*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛
アメリカ
父の父
Halo
1969 黒鹿毛
アメリカ
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
父の母
Wishing Well
1975 鹿毛
アメリカ
Understanding Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss

*サトルチェンジ
Subtle Change
1988 黒鹿毛
アイルランド
Law Society
1982 黒鹿毛
アメリカ
Alleged Hoist the Flag
Princess Pout
Bold Bikini Boldnesian
Ran-Tan
母の母
Santa Luciana
1973 黒鹿毛
ドイツ
Luciano Henry the Seventh
Light Arctic
Suleika Ticino
Schwarzblaurot
母系(F-No.) Suleika系(FN:16-c) [§ 3]
5代内の近親交配 5代内アウトブリード [§ 4]
出典
  1. ^ [170]
  2. ^ [171][172]
  3. ^ [173]
  4. ^ [170][172]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 1938年テツモンは、皐月賞未施行、東京優駿以後のデビュー。1946年アヅマライは、第二次世界大戦による競馬中止である。以上の理由により2頭は除外する[31]
  2. ^ 本馬が勝利した2001年時点から2022年末時点までに本馬と同様に菊花賞と有馬記念を制覇した馬は、2011年オルフェーヴル [39][40]、 2012年ゴールドシップ[41][42]、 2016年サトノダイヤモンド[43][44]の3頭がいる。
  3. ^ 年度代表馬は、ジャングルポケットが153票で選出。アグネスデジタルが68票を挟んで、30票の第3位がマンハッタンカフェだった。以下クロフネ26票、テイエムオペラオー3票、アグネスタキオン2票、該当馬なし1票[48]
  4. ^ 最優秀3歳牡馬は、ジャングルポケットが225票を集めて選出。43票の次点がマンハッタンカフェだった。以下クロフネ11票、アグネスタキオン4票[48]
  5. ^ 本馬が優勝した2002年時点。なお、2023年天皇賞(春)終了時点でもこの2頭以外にそれを成し遂げた馬はいない。
  6. ^ このシンボリルドルフ以来2頭目については、臨時増刊『週刊Gallop2002 JRA重賞年鑑』p.54では「皇帝級」という表題でアラカルトに記載[62]された。また、井崎脩五郎が本馬が引退後に発行された雑誌に掲載した連載エッセー「僕のはなしを聞きなさい」(表題:「菊花賞→有馬記念→天皇賞(春)… “3タテ”は皇帝級の大仕事」)[63]では、3歳時で菊花賞と有馬記念を制覇した5頭(イシノヒカル、シンボリルドルフ、ナリタブライアン、マヤノトップガン、マンハッタンカフェ)全てが明け4歳時に天皇賞(春)を目指したことについて触れ[63]、天皇賞(春)に不出走および敗れた3頭は脚部不安や故障などで、3つとも制覇した2頭は、天皇賞(春)勝利後は必ずしも順調ではなかったと言及[63]、最後に井崎は、このエッセイの文末で「3歳時に菊花賞、有馬記念連覇は、過酷な負荷であり、その後の順調さを奪うことかもしれない。そして、その負荷を厭(いと)わず、大仕事を成し遂げたのが、シンボリルドルフとマンハッタンカフェであるということである。」[63]と締め括っている。さらに、エッセイ内に本馬の天皇賞(春)でのゴールシーンの写真[63]があり、その説明文には「3歳時の菊花賞、有馬記念に続き4歳春の天皇賞(写真)も制したマンハッタンカフェ。こうなると、もはや自身と皇帝シンボリルドルフしかない超レアケースとなる」と記載している[63]。参考として、本雑誌が出版された2002年以降 - 2023年までに本馬と同様に菊花賞と有馬記念を制覇し、翌年天皇賞(春)に出走した3頭の天皇賞(春)までの臨戦過程と競走成績は、
    • オルフェーヴル:阪神大賞典2着[64][40]→天皇賞(春)11着 [65][40]
    • ゴールドシップ:阪神大賞典1着[66][42]→天皇賞(春)5着[67][42]
    • サトノダイヤモンド:阪神大賞典1着[68][44]→天皇賞(春)3着[69][44]
    である。
  7. ^ 死に至るのは、正確には8月19日のこと。ただ蹄葉炎が進行して、衰弱の一途を辿っていた[76]
  8. ^ ハイシャパラルとスラマニの馬主は、共に2頭出しをしている。同馬主は、勝馬投票券において一くくりにされたため、1番人気は、ハイシャパラルとブラックサムベラミーである。そして2番人気は、スラマニとセンシブルである[81]
  9. ^ 蹄に穴が開く病気のことで、場合によっては蹄葉炎(父であるサンデーサイレンスの死因[76])に進行することがある[50]

出典

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参考文献

  • 河村清明『三度怒った競馬の神様 サラブレッドに魅入られた男たちの物語』二見書房、2003年、ISBN 4576032267
  • 臨時増刊号『週刊Gallop2001 JRA重賞年鑑』(産業経済新聞社)
    • 2002年1月30日号
      • 第62回菊花賞
      • 第46回有馬記念
  • 臨時増刊号『週刊Gallop2002 JRA重賞年鑑』(産業経済新聞社)
    • 2003年2月5日号
      • 第125回天皇賞(春)
  • Gallop臨時増刊『週刊100名馬』(産業経済新聞社)
    • 「 EX5 マンハッタンカフェ」通巻105号、2002年11月11日。
  • 『THE BEST SELECTION 名馬物語』(エンターブレイン〈エンターブレイン・ムック〉)
    • 江面弘也「マンハッタンカフェ」
  • 競馬最強の法則』(KKベストセラーズ
    • 2010年4月号
  • 優駿』(日本中央競馬会)
    • 2001年11月号
      • 「【Play-back the Grade-Races 2001】第55回セントライト記念(GII)シンコウカリド」
      • 「【重賞データファイル】第55回ラジオ日本賞セントライト記念(GII)(菊花賞トライアル)シンコウカリド」
    • 2001年12月号
      • 優駿編集部「【第62回菊花賞】クラシックの大舞台で素質開花 マンハッタンカフェ」
      • 優駿編集部「【優駿インタビュー】蛯名正義騎手 挑戦し続けること」
      • 山本尊「【トレセン通信】秋のGIで感じたこと、あれこれ」
      • 「【重賞データファイル】第62回菊花賞(GI)マンハッタンカフェ」
      • 「【今月の記録室】夏の上がり馬 菊で大輪咲く」
    • 2002年1月号
      • 石田敏徳「【第46回有馬記念直前リポート】マンハッタンカフェ 春とは別馬になった菊花賞馬は、大一番で真の実力を証明する。」
    • 2002年2月号
      • 優駿編集部「【第46回有馬記念】強い強い3歳馬 マンハッタンカフェ」
      • 石田敏徳「【テイエムオペラオー&メイショウドトウ】最終章 過酷な勝負の世界に生きて」
      • 優駿編集部「【杉本清の競馬談義】マンハッタンカフェのオーナー 西川清さん」
      • 「【2001年度JRA賞決定!】年度代表馬はジャングルポケット」
      • 井崎脩五郎「【やぶにらみエッセイ】昨年の有馬記念とテロ事件」
      • 「【重賞データファイル】敬宮愛子内親王殿下御誕生慶祝第46回有馬記念(グランプリ)(GI)マンハッタンカフェ」
      • 「【今月の記録室】有馬記念は大波乱の結末」
    • 2002年4月号
      • 石田敏徳「【優駿ヘッドライン】古馬、覇権の行方は?――ジャングルポケット、マンハッタンカフェの近況レポート」
    • 2002年5月号
      • 石田敏徳「第125回天皇賞(春)(GI)直前リポート」
      • 「【Play-back the Grade-Races 2002】第50回日経賞(GII)アクティブバイオ」
      • 「【重賞データファイル】第50回日経賞(GII)アクティブバイオ」
    • 2002年6月号
      • 優駿編集部「【第125回天皇賞(春)】現役最強の実力を証明 マンハッタンカフェ」
      • 優駿編集部「【杉本清の競馬談義(206)】小島太調教師」
      • 「【重賞データファイル】第125回天皇賞(春)(GI)マンハッタンカフェ」
      • 「【今月の記録室】マンハッタンカフェ ルドルフ以来の偉業達成」
    • 2002年9月号
      • 石田敏徳「【充電完了! いざ闘いの舞台へ】マンハッタンカフェ」
    • 2002年10月号
      • 「【優駿ヘッドライン】大種牡馬サンデーサイレンスが死亡――衰弱性心不全のため、16歳の若さで」
      • 後藤正俊「【サンデーサイレンス関係者インタビュー】吉田照哉氏 二度と巡り合えない『至宝』と彼亡きあとの展望を語る」
      • 石田敏徳、村本浩平「【トップホースたちの秋】マンハッタンカフェの知られざる実像に迫る!」
      • 石田敏徳「【トレセン通信】海外へ遠征する馬の検疫事情」
    • 2002年11月号
      • 「【優駿ヘッドライン】マンハッタンカフェ、故障で引退へ」
      • 高橋直子「【特別レポート】第81回凱旋門賞(GI)」
      • 石川ワタル「【海外ニュース】第81回凱旋門賞 着実に力を付けた マリエンバードがGI3連勝」
    • 2003年2月号
      • 「【2002年度JRA賞決定】年度代表馬はシンボリクリスエス」
      • 「【今月のトピックス】GI3勝の勲章を胸に マンハッタンカフェが引退式を挙行」
    • 2010年3月号
      • 河村清明「【サラブレッド・ヒーロー列伝】マンハッタンカフェ 漆黒の覇王」

外部リンク

 
表彰・GI(JpnI)勝ち鞍
(旧)最優秀5歳以上牡馬
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
最優秀4歳以上牡馬
2000年代
2010年代
2020年代
  • 1 2001年より馬齢表記法が数え年から満年齢に移行
    *2 1954-1971年は「啓衆社賞」、1972-1986年は「優駿賞」として実施
菊花賞勝ち馬
1930年代

第1回 テツモン / 第2回 マルタケ

1940年代

第3回 テツザクラ / 第4回 セントライト / 第5回 ハヤタケ / 第6回 クリフジ / 第7回 アヅマライ / 第8回 ブラウニー / 第9回 ニユーフオード / 第10回 トサミドリ

1950年代

第11回 ハイレコード / 第12回 トラツクオー / 第13回 セントオー / 第14回 ハクリヨウ / 第15回 ダイナナホウシユウ / 第16回 メイヂヒカリ / 第17回 キタノオー / 第18回 ラプソデー / 第19回 コマヒカリ / 第20回 ハククラマ

1960年代

第21回 キタノオーザ / 第22回 アズマテンラン / 第23回 ヒロキミ / 第24回 グレートヨルカ / 第25回 シンザン / 第26回 ダイコーター / 第27回 ナスノコトブキ / 第28回 ニツトエイト / 第29回 アサカオー / 第30回 アカネテンリュウ

1970年代
1980年代
1990年代
2000年代

第61回 エアシャカール / 第62回 マンハッタンカフェ / 第63回 ヒシミラクル / 第64回 ザッツザプレンティ / 第65回 デルタブルース / 第66回 ディープインパクト / 第67回 ソングオブウインド / 第68回 アサクサキングス / 第69回 オウケンブルースリ / 第70回 スリーロールス

2010年代

第71回 ビッグウィーク / 第72回 オルフェーヴル / 第73回 ゴールドシップ / 第74回 エピファネイア / 第75回 トーホウジャッカル / 第76回 キタサンブラック / 第77回 サトノダイヤモンド / 第78回 キセキ / 第79回 フィエールマン / 第80回 ワールドプレミア

2020年代

第81回 コントレイル / 第82回 タイトルホルダー  / 第83回 アスクビクターモア / 第84回 ドゥレッツァ

日本の旗 有馬記念勝ち馬
   

国際競走指定前:
01回(1956年) メイヂヒカリ
02回(1957年) ハクチカラ
03回(1958年) オンワードゼア
04回(1959年) ガーネツト
05回(1960年) スターロツチ
06回(1961年) ホマレボシ
07回(1962年) オンスロート
08回(1963年) リユウフオーレル
09回(1964年) ヤマトキヨウダイ
第10回(1965年) シンザン
第11回(1966年) コレヒデ
第12回(1967年) カブトシロー
第13回(1968年) リュウズキ
第14回(1969年) スピードシンボリ
第15回(1970年) スピードシンボリ
第16回(1971年) トウメイ
第17回(1972年) イシノヒカル
第18回(1973年) ストロングエイト
第19回(1974年) タニノチカラ
第20回(1975年) イシノアラシ
第21回(1976年) トウショウボーイ
第22回(1977年) テンポイント
第23回(1978年) カネミノブ

第24回(1979年) グリーングラス
第25回(1980年) ホウヨウボーイ
第26回(1981年) アンバーシャダイ
第27回(1982年) ヒカリデユール
第28回(1983年) リードホーユー
第29回(1984年) シンボリルドルフ
第30回(1985年) シンボリルドルフ
第31回(1986年) ダイナガリバー
第32回(1987年) メジロデュレン
第33回(1988年) オグリキャップ
第34回(1989年) イナリワン
第35回(1990年) オグリキャップ
第36回(1991年) ダイユウサク
第37回(1992年) メジロパーマー
第38回(1993年) トウカイテイオー
第39回(1994年) ナリタブライアン
第40回(1995年) マヤノトップガン
第41回(1996年) サクラローレル
第42回(1997年) シルクジャスティス
第43回(1998年) グラスワンダー
第44回(1999年) グラスワンダー
第45回(2000年) テイエムオペラオー
第46回(2001年) マンハッタンカフェ
第47回(2002年) シンボリクリスエス

第48回(2003年) シンボリクリスエス
第49回(2004年) ゼンノロブロイ
第50回(2005年) ハーツクライ
第51回(2006年) ディープインパクト

国際競走(G1)指定後:
第52回(2007年) 日本の旗 マツリダゴッホ
第53回(2008年) 日本の旗 ダイワスカーレット
第54回(2009年) 日本の旗 ドリームジャーニー
第55回(2010年) 日本の旗 ヴィクトワールピサ
第56回(2011年) 日本の旗 オルフェーヴル
第57回(2012年) 日本の旗 ゴールドシップ
第58回(2013年) 日本の旗 オルフェーヴル
第59回(2014年) 日本の旗 ジェンティルドンナ
第60回(2015年) 日本の旗 ゴールドアクター
第61回(2016年) 日本の旗 サトノダイヤモンド
第62回(2017年) 日本の旗 キタサンブラック
第63回(2018年) 日本の旗 ブラストワンピース
第64回(2019年) 日本の旗 リスグラシュー
第65回(2020年) 日本の旗 クロノジェネシス
第66回(2021年) 日本の旗 エフフォーリア
第67回(2022年) 日本の旗 イクイノックス
第68回(2023年) 日本の旗 ドウデュース

   

国際競走指定前:
002回(1938年) ハセパーク
004回(1939年) スゲヌマ
006回(1940年) トキノチカラ
008回(1941年) マルタケ
010回(1942年) ミナミモア
012回(1943年) グランドライト
014回(1944年) ヒロサクラ
015回(1947年) オーライト
017回(1948年) シーマー
019回(1949年) ミハルオー
021回(1950年) オーエンス
023回(1951年) タカクラヤマ
025回(1952年) ミツハタ
027回(1953年) レダ
029回(1954年) ハクリヨウ
031回(1955年) タカオー
033回(1956年) メイヂヒカリ
035回(1957年) キタノオー
037回(1958年) オンワードゼア
039回(1959年) トサオー
041回(1960年) クリペロ
043回(1961年) ヤマニンモアー
045回(1962年) オンスロート
047回(1963年) コレヒサ
049回(1964年) ヒカルポーラ
051回(1965年) アサホコ
053回(1966年) ハクズイコウ
055回(1967年) スピードシンボリ
057回(1968年) ヒカルタカイ

059回(1969年) タケシバオー
061回(1970年) リキエイカン
063回(1971年) メジロムサシ
065回(1972年) ベルワイド
067回(1973年) タイテエム
069回(1974年) タケホープ
071回(1975年) イチフジイサミ
073回(1976年) エリモジョージ
075回(1977年) テンポイント
077回(1978年) グリーングラス
079回(1979年) カシュウチカラ
081回(1980年) ニチドウタロー
083回(1981年) カツラノハイセイコ
085回(1982年) モンテプリンス
087回(1983年) アンバーシャダイ
089回(1984年) モンテファスト
091回(1985年) シンボリルドルフ
093回(1986年) クシロキング
095回(1987年) ミホシンザン
097回(1988年) タマモクロス
099回(1989年) イナリワン
第101回(1990年) スーパークリーク
第103回(1991年) メジロマックイーン
第105回(1992年) メジロマックイーン
第107回(1993年) ライスシャワー
第109回(1994年) ビワハヤヒデ
第111回(1995年) ライスシャワー
第113回(1996年) サクラローレル
第115回(1997年) マヤノトップガン
第117回(1998年) メジロブライト

第119回(1999年) スペシャルウィーク
第121回(2000年) テイエムオペラオー
第123回(2001年) テイエムオペラオー
第125回(2002年) マンハッタンカフェ
第127回(2003年) ヒシミラクル
第129回(2004年) イングランディーレ

国際競走指定後:
第131回(2005年) 日本の旗 スズカマンボ
第133回(2006年) 日本の旗 ディープインパクト
第135回(2007年) 日本の旗 メイショウサムソン
第137回(2008年) 日本の旗 アドマイヤジュピタ
第139回(2009年) 日本の旗 マイネルキッツ
第141回(2010年) 日本の旗 ジャガーメイル
第143回(2011年) 日本の旗 ヒルノダムール
第145回(2012年) 日本の旗 ビートブラック
第147回(2013年) 日本の旗 フェノーメノ
第149回(2014年) 日本の旗 フェノーメノ
第151回(2015年) 日本の旗 ゴールドシップ
第153回(2016年) 日本の旗 キタサンブラック
第155回(2017年) 日本の旗 キタサンブラック
第157回(2018年) 日本の旗 レインボーライン
第159回(2019年) 日本の旗 フィエールマン
第161回(2020年) 日本の旗 フィエールマン
第163回(2021年) 日本の旗 ワールドプレミア
第165回(2022年) 日本の旗 タイトルホルダー
第167回(2023年) 日本の旗 ジャスティンパレス
第168回(2024年) 日本の旗 テーオーロイヤル

1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
  • 2010 キングカメハメハ
  • 2011 キングカメハメハ
  • 2012 ディープインパクト
  • 2013 ディープインパクト
  • 2014 ディープインパクト
  • 2015 ディープインパクト
  • 2016 ディープインパクト
  • 2017 ディープインパクト
  • 2018 ディープインパクト
  • 2019 ディープインパクト
2020年代
  • 2020 ディープインパクト
  • 2021 ディープインパクト
  • 2022 ディープインパクト
  • 2023 ドゥラメンテ