デルタブルース

曖昧さ回避 この項目では、日本の競走馬について説明しています。ブルースミュージックの一種については「デルタ・ブルース」をご覧ください。
デルタブルース
2005年12月25日 中山競馬場
欧字表記 Delta Blues
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 2001年5月3日(23歳)
抹消日 2009年6月11日[1]
ダンスインザダーク
ディクシースプラッシュ
母の父 Dixieland Band
生国 日本の旗 日本北海道早来町
生産者 ノーザンファーム
馬主 (有)サンデーレーシング
調教師 角居勝彦栗東
競走成績
タイトル JRA賞最優秀父内国産馬(2004年)
オーストラリア最優秀ステイヤー
(2006/2007年)
生涯成績 32戦6勝
中央競馬)29戦5勝
地方競馬)1戦0勝
オーストラリア)2戦1勝
獲得賞金 (中央競馬)4億156万2000円
(オーストラリア)330万豪ドル
WTRR 116L(2004年)[2]
120E(2006年)[3]
118L(2007年)[4]
勝ち鞍
GI 菊花賞 2004年
GI メルボルンカップ 2006年
GII ステイヤーズステークス 2005年
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デルタブルースDelta Blues密州怨曲)は、日本中央競馬会 (JRA) の競走馬

2004年菊花賞2006年メルボルンカップ優勝馬である。

馬名の由来は母名からの連想で、「ミシシッピ河口の三角州地帯を起源とする荒々しいブルースデルタ・ブルース)」となっている。日本調教馬で初めてオーストラリア最優秀長距離馬に選ばれた馬である。

戦績

2歳・3歳時

2003年11月29日京都競馬場1600m戦でデビュー。結果は7着であった。このレース以降、2000m以上の距離のレースを使われることになる。未勝利戦(一度格上挑戦がある)でも2着2回、4着2回と勝ちきれず、2004年4月17日福島競馬場にて6戦目で初勝利をあげる。次走の青葉賞では13着と惨敗。その後500万を勝って休養に入る。秋初戦は5着に敗れたが、続く1000万条件戦を勝利し菊花賞に出走した。

これまでの実績から、単勝45倍の8番人気に過ぎなかったが、好位から早めのスパートを見せ勝利する。調教師角居勝彦騎手岩田康誠共に初のGI制覇となった。本来なら菊花賞の後、放牧する予定だったがジャパンカップへ出走してゼンノロブロイコスモバルクの3着となった。有馬記念は3歳馬としては最先着の5着に入る。2004年JRA賞最優秀父内国産馬を受賞した。

4歳時

前年の疲れもあり、春は天皇賞(春)宝塚記念を回避し、全休した。秋シーズン、アルゼンチン共和国杯で復帰、この競走では5着に敗れたが、次走ステイヤーズステークスは単勝1.8倍の断然の1番人気に応え快勝した。続く有馬記念では3番人気に支持されるが11着と大敗。鞍上のオリビエ・ペリエは前年まで有馬記念を3連覇していたが、4連覇はならなかった。

5歳時

緒戦は京都記念に出走し5着。続く阪神大賞典は7馬身離された3着。天皇賞(春)は4番人気に推されるも、勝負どころで動けず、ディープインパクトの10着と大敗した。その後、宝塚記念に向け調整されていたが、右前脚に脚部不安を発症、同レースを回避し休養することとなった。秋に入り、同厩舎のポップロックと共にオーストラリアへ遠征。約半年ぶりの出走となったコーフィールドカップでは56.0kgのトップハンデを課され、現地での前評判も高くはなかったが、3着と健闘した。次走、メルボルンカップでは早めに先頭に立つとポップロックとの競り合いを制し、コロネーションカップゴールドカップの勝ち馬イェーツらを抑えて優勝。同レースでのアジア調教馬の優勝、及び南半球で開催されるG1競走での日本調教馬の優勝はこれが初めてである。レースは日本調教馬2頭が抜け出すという日本馬の強さが目立つ内容であった。このレースによって後に2006/07年シーズンのオーストラリア最優秀ステイヤーに選ばれた。日本調教馬がオーストラリアの代表馬に選ばれたのは史上初のことである。

日本帰国後は第51回有馬記念に出走。しかし最後の直線でメイショウサムソンと接触し、6着に敗れた。

6歳時

阪神大賞典から始動。59キロという厳しい斤量を背負うことになったが、勝ったアイポッパーと差のない4着に入った。しかし続いての天皇賞(春)では、レース中に左前脚の蹄鉄落鉄したことも響いてか12着と大きく敗れ、予定していたキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス出走を回避しノーザンファームで休養に入った。

8月1日に前年に続きコーフィールドカップとメルボルンカップの一次登録を済ませたが、馬インフルエンザ騒動により、遠征を断念することになり、9月3日に登録を取り消された。その後9月23日オールカマーに出走を予定していたが、これも9月19日に左前肢にフレグモーネ(皮膚病の一種)を発症したため回避した。このため10月7日京都大賞典に予定を変更した。このレースから鞍上は川田将雅騎手に乗り替わりとなった。59キロを背負っての出走となり、スタートから押してハナを切って逃げたものの5着となっている。なお、第1希望で香港ヴァーズ、第2希望で香港カップに予備登録を行っていたが、10月23日に馬インフルエンザの影響で検疫期間が1ヶ月かかることから回避することが発表された。そして天皇賞(秋)に出走し、このレースから初めてブリンカーを装着したが12番人気で12着という結果に終わった。天皇賞(秋)後は初のダート戦となる浦和記念に出走登録を行っていたが回避し、ジャパンカップへ出走し5着に入った。12月上旬に東京大賞典に登録を行い、有馬記念と東京大賞典の両方に出走することになった。そして12月23日の有馬記念は、過去4回中最低となる12着という結果に終わった。有馬記念後は予定通り中5日で12月29日の東京大賞典に出走したが、初のダート戦とあってか12着と大敗した。レース後は放牧に出された。

7歳時

2008年シーズンは疲労のため春の復帰を断念し、9月17日に帰厩した。そして復帰戦となる京都大賞典へ出走登録を行っていたが、10月8日の調教後に右前脚の蟻洞を発見されたため回避することになり、結局この年はレースに出走することはなかった。

8歳時

2009年3月22日の阪神大賞典で1年3カ月ぶりのレースとなったが、道悪馬場がこたえて6着に終わった。続く5月3日の天皇賞・春では中団で待機するも直線で伸びを欠いて10着に敗れた。続く5月31日目黒記念では好位集団で待機するも不良馬場が影響して16着と大敗した。その後、6月11日付で競走馬登録を抹消され、引退した[5]

引退後

引退後、デルタブルースはノーザンホースパーク馬術障害飛越競技用馬として運用されていた[6]

ノーザンホースパークにて(2015年)

2021年10月から岡山県真庭市蒜山オールド・フレンズ・ジャパンで繋養されている[7]。2022年より引退名馬繋養展示事業の対象となった。

競走成績

年月日 競馬場 競走名 人気 オッズ 着順 距離 タイム (上3F) 騎手 勝ち馬 / (2着馬)
2003 11. 29 京都 2歳新馬 03人 006.9 07着 芝1600m(重) 1:40.3 (37.3) 武幸四郎 ブラックヘリオス
12. 6 阪神 2歳未勝利 04人 009.1 02着 芝2000m(良) 2:03.0 (35.1) C.スミヨン ピエナオンリーワン
2004 1. 17 小倉 3歳未勝利 01人 001.4 02着 芝2000m(稍) 2:02.8 (37.5) 武豊 マイネルディグノ
1. 25 小倉 3歳未勝利 01人 002.8 04着 芝2000m(良) 2:04.9 (37.9) 武幸四郎 マイネルドレスデン
2. 8 京都 梅花賞 500万下 02人 008.6 04着 芝2400m(良) 2:29.8 (35.4) 岩田康誠 マイネルドレスデン
4. 17 福島 3歳未勝利 01人 002.7 01着 芝2000m(良) 2:00.6 (36.2) 武幸四郎 (グラスハンター)
5. 1 東京 青葉賞 GII 13人 152.3 13着 芝2400m(良) 2:26.8 (36.1) 後藤浩輝 ハイアーゲーム
5. 23 東京 3歳500万下 01人 001.4 01着 芝2400m(稍) 2:29.8 (34.4) 安藤勝己 (マイネルガスト)
9. 20 阪神 兵庫特別 1000万下 04人 007.7 05着 芝2500m(良) 2:33.0 (37.6) 後藤浩輝 ブリットレーン
10. 2 中山 九十九里特別 1000万下 01人 001.8 01着 芝2500m(良) 2:34.7 (34.6) 岡部幸雄 (ユーワキングストン)
10. 24 京都 菊花賞 GI 08人 045.1 01着 芝3000m(良) 3:05.7 (35.7) 岩田康誠 ホオキパウェーブ
11. 28 東京 ジャパンC GI 07人 013.4 03着 芝2400m(良) 2:24.8 (34.6) 安藤勝己 ゼンノロブロイ
12. 26 中山 有馬記念 GI 04人 008.9 05着 芝2500m(良) 2:30.0 (35.6) D.ボニヤ ゼンノロブロイ
2005 11. 6 東京 アルゼンチン共和国杯 GII 01人 004.2 05着 芝2500m(良) 2:33.1 (35.5) O.ペリエ サクラセンチュリー
12. 3 中山 ステイヤーズS GII 01人 001.8 01着 芝3600m(良) 3:47.7 (34.7) O.ペリエ (エルノヴァ)
12. 25 中山 有馬記念 GI 03人 011.5 11着 芝2500m(良) 2:33.0 (35.6) O.ペリエ ハーツクライ
2006 2. 18 京都 京都記念 GII 03人 006.3 05着 芝2200m(良) 2:13.9 (35.7) O.ペリエ シックスセンス
3. 19 阪神 阪神大賞典 GII 02人 007.4 03着 芝3000m(稍) 3:10.1 (38.3) 岩田康誠 ディープインパクト
4. 30 京都 天皇賞(春) GI 04人 024.5 10着 芝3200m(良) 3:15.7 (34.6) 岩田康誠 ディープインパクト
10. 21 コーフィールド コーフィールドC G1 17人 03着 芝2400m(良) N.ローウィラー Tawqeet
11. 7 フレミントン メルボルンC G1 08人 017.5 01着 芝3200m(良) 3:21.42 岩田康誠 (ポップロック)
12. 24 中山 有馬記念 GI 09人 039.0 06着 芝2500m(良) 2:32.7 (35.3) 岩田康誠 ディープインパクト
2007 3. 18 阪神 阪神大賞典 GII 04人 008.2 04着 芝3000m(良) 3:08.4 (34.1) 岩田康誠 アイポッパー
4. 29 京都 天皇賞(春) GI 3人 004.6 12着 芝3200m(良) 3:15.2 (35.9) 岩田康誠 メイショウサムソン
10. 7 京都 京都大賞典 GII 05人 013.3 05着 芝2400m(良) 2:25.1 (34.3) 川田将雅 インティライミ
10. 28 東京 天皇賞(秋) GI 12人 048.0 12着 芝2000m(稍) 1:59.7 (36.1) 川田将雅 メイショウサムソン
11. 25 東京 ジャパンC GI 14人 147.2 05着 芝2400m(良) 2:25.1 (34.4) 川田将雅 アドマイヤムーン
12. 23 中山 有馬記念 GI 10人 059.6 12着 芝2500m(稍) 2:35.7 (38.0) 川田将雅 マツリダゴッホ
12. 29 大井 東京大賞典 JpnI 05人 016.2 12着 ダ2000m(不) 2:07.3 (39.9) 岩田康誠 ヴァーミリアン
2009 3. 22 阪神 阪神大賞典 GII 10人 036.5 06着 芝3000m(重) 3:14.4 (39.7) 川田将雅 アサクサキングス
5. 3 京都 天皇賞(春) GI 13人 047.6 10着 芝3200m(良) 3:16.2 (36.2) 岩田康誠 マイネルキッツ
5. 31 東京 目黒記念 GII 14人 053.0 16着 芝2500m(不) 2:43.9 (42.5) 岩田康誠 ミヤビランベリ

受賞歴

  • 2004年JRA賞最優秀父内国産馬
  • 2006/2007年オーストラリア最優秀長距離馬

血統表

デルタブルース血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 サンデーサイレンス系ヘイロー系
[§ 2]

ダンスインザダーク
1993 鹿毛
父の父
* サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛
Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
父の母
* ダンシングキイ
Dancing Key
1983 鹿毛
Nijinsky II Northern Dancer
Flaming Page
Key Partner Key to the Mint
Native Partner

* ディクシースプラッシュ
Dixie Splash
1988 鹿毛
Dixieland Band
1980 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Mississippi Mud Delta Judge
Sand Buggy
母の母
Ocean Jewel
1983 鹿毛
Alleged Hoist the Flag
Princess Pout
Lady Offshore Sir Ivor
Bonnie Google F-No.3-d
母系(F-No.) 3号族(FN:3-d) [§ 3]
5代内の近親交配 Northern Dancer3×4、Almahmoud5×5 [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ デルタブルース 5代血統表2016年9月21日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com デルタブルース 5代血統表2016年9月21日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ デルタブルース 5代血統表2016年9月21日閲覧。
  4. ^ JBISサーチ デルタブルース 5代血統表2016年9月21日閲覧。

脚注

  1. ^ “デルタブルース、競走馬登録抹消”. ラジオNIKKEI. 2022年4月16日閲覧。
  2. ^ “World Thoroughbred Racehorse Rankings”. IFHA. 2021年10月17日閲覧。
  3. ^ “The 2006 World Thoroughbred Racehorse Rankings”. IFHA. 2021年10月17日閲覧。
  4. ^ “The 2007 World Thoroughbred Racehorse Rankings”. IFHA. 2021年10月17日閲覧。
  5. ^ “デルタブルース号が競走馬登録抹消”. JRA. 2009年6月11日閲覧。
  6. ^ 馬術で再デビュー 菊花賞馬デルタブルース - 苫小牧民報社電子版 2010年9月21日閲覧。[リンク切れ]
  7. ^ “日本で“消息不明”となった名馬・ファーディナンドが遺したもの…元競走馬たちと五輪選手が目指す未来《GI馬も繋養する新天地》(カジリョウスケ)”. Number Web - ナンバー. 2022年2月4日閲覧。

外部リンク

菊花賞勝ち馬
1930年代

第1回 テツモン / 第2回 マルタケ

1940年代

第3回 テツザクラ / 第4回 セントライト / 第5回 ハヤタケ / 第6回 クリフジ / 第7回 アヅマライ / 第8回 ブラウニー / 第9回 ニユーフオード / 第10回 トサミドリ

1950年代

第11回 ハイレコード / 第12回 トラツクオー / 第13回 セントオー / 第14回 ハクリヨウ / 第15回 ダイナナホウシユウ / 第16回 メイヂヒカリ / 第17回 キタノオー / 第18回 ラプソデー / 第19回 コマヒカリ / 第20回 ハククラマ

1960年代

第21回 キタノオーザ / 第22回 アズマテンラン / 第23回 ヒロキミ / 第24回 グレートヨルカ / 第25回 シンザン / 第26回 ダイコーター / 第27回 ナスノコトブキ / 第28回 ニツトエイト / 第29回 アサカオー / 第30回 アカネテンリュウ

1970年代
1980年代
1990年代
2000年代

第61回 エアシャカール / 第62回 マンハッタンカフェ / 第63回 ヒシミラクル / 第64回 ザッツザプレンティ / 第65回 デルタブルース / 第66回 ディープインパクト / 第67回 ソングオブウインド / 第68回 アサクサキングス / 第69回 オウケンブルースリ / 第70回 スリーロールス

2010年代

第71回 ビッグウィーク / 第72回 オルフェーヴル / 第73回 ゴールドシップ / 第74回 エピファネイア / 第75回 トーホウジャッカル / 第76回 キタサンブラック / 第77回 サトノダイヤモンド / 第78回 キセキ / 第79回 フィエールマン / 第80回 ワールドプレミア

2020年代

第81回 コントレイル / 第82回 タイトルホルダー  / 第83回 アスクビクターモア / 第84回 ドゥレッツァ