イナリワン

イナリワン
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1984年5月7日[1]
死没 2016年2月7日(32歳没)[2]
抹消日 1989年1月10日[3]
ミルジョージ[1]
テイトヤシマ[1]
母の父 ラークスパー[1]
生国 日本の旗 日本北海道門別町[1]
生産者 山本実儀[4][注釈 1]
馬主 保手濱忠弘[6]
→保手浜弘規[1](同一人物[注釈 2]
調教師 福永二三雄大井[6]
→鈴木清(美浦北[4]
厩務員 五関保利(JRA)[8]
競走成績
タイトル JRA賞年度代表馬[1](1989年)
JRA賞最優秀5歳以上牡馬[1]
(1989年)東京競馬記者クラブ賞[9](1989年)
NARグランプリ特別表彰馬[1](2016年)
生涯成績 25戦12勝[4]
地方競馬14戦9勝)[4]
中央競馬11戦3勝)
獲得賞金 5億932万6000円[1]
勝ち鞍
GI 天皇賞(春) 1989年
GI 宝塚記念 1989年
GI 有馬記念 1989年
オープン 東京王冠賞 1987年
オープン 東京湾カップ 1987年
オープン 東京大賞典 1988年
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イナリワン(欧字名:Inari One1984年5月7日 - 2016年2月7日)は、日本競走馬種牡馬[4]

1989年JRA賞年度代表馬JRA最優秀5歳以上牡馬、2016年選出のNARグランプリ特別表彰馬である。主な勝ち鞍は、1989年の天皇賞(春)GI)、宝塚記念GI)、有馬記念GI)。1988年の東京大賞典。1987年の東京湾カップ東京王冠賞

大井競馬でデビューし、1989年からは中央競馬に移籍し活躍したために大井から来た豪傑、または、平成三強の南関猛者[10]と呼ばれた[11]GI2連勝後の秋には、オグリキャップスーパークリークに並び立ち「平成三強」と呼ばれ、古馬路線の三タイトルで中心的存在となった。

生涯

デビューまで

誕生までの経緯

テイトヤシマは、1970年に北海道浦河町のヤシマ牧場で生産された牝馬で、父はイギリスダービー優勝馬のラークスパー(英語版)であった[12]。競走馬としてデビューすることなく繁殖牝馬となり、1974年の初仔は死亡、76年の2番仔は不出走となっている[13]。3、4、5番仔は北海道静内町の藤川昭牧場で生産された[14][15][16]。以降、6番仔は浦河町の川崎清牧場[17]、7番仔はヤシマ牧場[18]、8番仔は浦河町の松田敏牧場にてそれぞれ生産された[19]

8番仔は後にミカホーマーと名付けられて中央競馬でデビューし、1986年に3勝を挙げることになるが[20]、それ以前は、3頭の産駒が不出走、不受胎による空胎が2年あった[13]。また、デビューした3頭の産駒はすべて地方競馬で走ったが、2頭は勝利を挙げられず、4番仔であるコウシンファスト(父:ボールドコンバタント)の38戦1勝が最高成績であった[13][15]。ミカホーマーが産まれた1983年、テイトヤシマはミルジョージと交配[21]。1984年5月7日、北海道門別町の山本実儀牧場にて9番仔である鹿毛牡馬(後のイナリワン)が誕生する[22]。同年、テイトヤシマはマタボーイ(英語版)と交配するも、不受胎に終わり、12月には用途変更となっている[13][21]

幼駒時代

同じ年に牧場で生産されたのは8頭であったが、テイトヤシマの9番仔は、実儀の子である山本文雄によれば、目立つ存在ではなかったという[23]。当歳夏に大井競馬場所属の調教師である福永二三雄に見出され、福永が2歳春に城南製作所代表取締役である保手浜弘規[注釈 3]を紹介[24]。福永は「小柄だが精悍でバランスが良い馬だ。ミルジョージの仔は最初の世代から世話して熟知しているが、イナリワンはミルジョージの分身といった感じで生き写し。賢そうで、気性も競走馬向きと思った[24]」、保手浜は「馬相が良く、目に澄み切った海底をのぞくような深いものを感じた。値段の交渉もほとんどせずに買いました[24]」と回顧している。ミルジョージ産駒は、ダートで活躍する傾向にあったため、9番仔も地方競馬でのデビューが決定[25]。保手浜は、地方競馬でデビューさせる馬に与える冠名[注釈 4]で大井競馬場近くの穴守稲荷神社に由来する「イナリ」に、「一番出世して欲しい馬[24]」という願いの「ワン」を組み合わせ、「イナリワン」の登録名を9番仔に与えた[注釈 5][24]

イナリワンは、福永厩舎に入厩した。福永はデビュー前のイナリワンを「緩さは残るが、絶対走るから乗ってみろ[28]」と騎手の宮浦正行に紹介[28]。宮浦が騎乗してみると、角馬場では躓いて、キャンターすることができなかったが[28]、外馬場では「(前略)のびのび走らせてみると全身を使って走るし、パワーも凄かった[28]」と回顧している。以降、宮浦がしばらく騎乗することとなる[28]

競走馬時代

大井競馬時代(1986-88年)

1986年12月9日、大井競馬場新馬戦(ダート1000メートル)でデビュー。2着に4馬身差を付けて初勝利を挙げる。続いて翌1987年の正月競馬に登録を行ったが、出走を取り消した。春の目標とした羽田盃、東京ダービーを断念したものの、以後連勝[25]。秋には南関東三冠の最終戦[注釈 6]である東京王冠賞に出走、チャンピオンスターに1馬身差を付けて優勝し、重賞初制覇を果たした[25]。暮れは「出てくれば当然1番人気と思われた[29]」(林重治郎)東京大賞典[注釈 7]ではなく、船橋競馬場の新設重賞である東京湾カップを選択し[29]、勝利を挙げ、8連勝とした[30]

翌1988年、3月3日の金盃は苦手の重馬場となる中[注釈 8]、2番人気で出走[30]。スタートで出遅れて追い込んだが、先に抜け出したチャンピオンスターに届かず3着、初の敗戦となった[30][32]。続く帝王賞も当日の降雨で重馬場となり、2番人気に推されたが、後方待機のまま7着[32]。その後はオールカマーからジャパンカップ出走を目論んでいたが[26]、オールカマーの地方競馬代表には選出されなかった[33]。またもや重馬場となった8月の関東盃では、イーグルシャトーの逃げに敵わず5着[33]、11月2日の東京記念は3着に敗れた。11月23日には、全日本サラブレッドカップの招待馬に選出、初めて笠松競馬場に遠征し出走した[34]。スローペースの2番手につけたが、後方から追い込んだフェートノーザンに第3コーナーから最終コーナーにかけてかわされ2着[34]。後に宮浦は、仕掛けを遅らせたことを自らの騎乗ミスであると振り返っている[28]

12月29日の東京大賞典では、勝利した暁には中央競馬に移籍し天皇賞(春)を目指すと宣言した[28]。東京王冠賞、ダービーグランプリなど6連勝中だったアエロプラーヌ[34]が1番人気、アラナスモンタが2番人気と続き、3番人気で出走[35]。アエロプラーヌがスローペースで逃げる一方、宮浦は控える戦法を選択した[35]。直線で末脚を見せると、代わって先頭となったアラナスモンタを半馬身差し切って勝利[35]。宮浦にとっては、1978年のハツシバオー以来2回目となる東京大賞典優勝であった[35]。保手浜は、改めて中央競馬への移籍を宣言、翌年の天皇賞(春)と宝塚記念を目標とし、岡部幸雄とともに参戦する計画も併せて発表した[35]。翌1989年1月10日、地方競馬の競走馬登録を抹消し[3]、美浦トレーニングセンターの鈴木清厩舎に転厩した。以降、福永はアドバイザーとしてイナリワンへの関与を継続している[36]

中央競馬時代(1989-90年)

2月11日、京都競馬場のすばるステークス(OP)に小島太が騎乗して中央競馬デビュー。折り合いを欠いて入れ込みながらの追走となり、直線には2番手で差し掛かったが、以降は伸びず4着[25]。小島は「はじめての芝と道悪で条件が厳しかった。(後略)[25]」としている。続く3月12日の阪神大賞典GII)でJRAの重賞初出走。後方待機から、最後の直線で追い上げにかかったが、スルーオダイナ斜行で進路妨害を受けて6位入線[37]。スルーオダイナの失格処分により繰り上がり、5着となった[37][38]

天皇賞(春)

それから4月29日、天皇賞(春)(GI)に出走。陣営は、近走のかかるクセを改善するため、鞍上にクセのある馬への騎乗について、評価の高かった武豊を起用[39]。武は前年の菊花賞優勝馬であるスーパークリーク主戦騎手であったが、体調不良[25]、脚部不安[40]で戦線を離脱していたため、イナリワンへの騎乗が実現した[25][37]。人気は、スルーオダイナとランニングフリーがオッズ3倍台、コクサイトリプルが7.6倍、イナリワンはそれに次ぐ9.3倍の4番人気であった[41]。最内枠から発走し、上位人気のスルーオダイナとランニングフリーの背後である、中団後方に位置[42]。最初のゴール板通過では、スタンドの喚声に反応してしまったが、武は馬群に入れて、前方に他の馬を置くことで折り合いをつけた[25][42]。2周目の向こう正面、外から追い上げて、第3コーナーの坂を登り下りすると、最終コーナーを逃げたミヤマポピー、2番手で先行したミスターシクレノン、中団にいたランニングフリーに次ぐ4番手で通過[42]。直線では、ミスターシクレノンとランニングフリーの間から追い込み、残り200メートルで抜け出して独走した[25][40]。後方との差を5馬身まで広げて先頭で入線、移籍後初勝利かつGI初勝利と相成った[42]

映像外部リンク
1989年 天皇賞(春)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

走破タイム3分18秒8は、モンテプリンスが1982年の天皇賞(春)で樹立したコースレコードおよびレースレコードを0.4秒更新[42]。また、1954年秋のオパールオーキット、1956年秋のミッドファーム、1961年秋のタカマガハラ、1962年春のオンスロート、1968年春のヒカルタカイに続いて史上6頭目、21年ぶりとなる地方競馬出身競走馬による天皇賞勝利となった[43]。加えて、武は父の武邦彦が19度挑戦しても届かなかった天皇賞を初挑戦で優勝[43]、当日は20歳であり、天皇賞優勝騎手としては、1939年の帝室御賞典・秋(天皇賞の前身)をテツモンで制した保田隆芳の19歳に次ぐ、史上2番目の若さであった[43]。そのうえ、生産した山本にとっては、初めてのJRA重賞勝利が天皇賞であった[37]。表彰式では、イナリワンの左右で鈴木と福永が共にを取り、優勝レイは福永に贈られている[44]

宝塚記念

続いて6月11日、宝塚記念GI)に再び武とともに出走。皐月賞優勝馬のヤエノムテキとともに単枠指定制度の対象となり[23]、人気はヤエノムテキが単勝オッズ2.5倍の1番人気、イナリワンは4.8倍の2番人気、目黒記念優勝馬のキリパワーが4.9倍の3番人気であった[45]。また出走メンバーには、東京優駿優勝馬のサクラチヨノオー優駿牝馬優勝馬のコスモドリーム安田記念優勝馬のフレッシュボイスバンブーメモリーなど総勢7頭のGI優勝馬が揃っていた[46]

映像外部リンク
1989年 宝塚記念
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

スタートから先行し、逃げるダイナカーペンターシヨノロマンに次ぐ好位の3番手で1、2コーナーを通過[23]。第3コーナーでは、シヨノロマンをかわして2番手、最終コーナーでダイナカーペンターに並びかけて、直線で抜け出した[25]。先行したために末脚は鈍り、後方待機から追い込むフレッシュボイスに差を縮められ、並んだところで入線[46]。クビ差イナリワンが先着しており、GI連勝となった[23]

毎日王冠

夏休みを経て、秋は毎日王冠GII)で始動。武はスーパークリークの復帰初戦、同日開催の京都大賞典に騎乗したため、柴田政人に乗り替わった[25]。春を全休し、復帰2戦目、連勝中のオグリキャップが単勝オッズ1.4倍の1番人気、デビュー以来2着以内を保ち、高松宮杯優勝から臨むメジロアルダンが2.9倍の2番人気。イナリワンは単勝オッズ9.0倍の3番人気であった[47]

スタートから後方に位置、オグリキャップをマークする形で追走した[48]。直線では、内で7番人気ウインドミルとメジロアルダンが先頭を争う一方、オグリキャップとマークするイナリワンは大外に展開。先んじてオグリキャップが先頭争いを制したメジロアルダンとの差を縮めたが、イナリワンがメジロアルダンとオグリキャップの間を突いて脚を伸ばしてかわし、先頭となった[48]。オグリキャップだけがそれに追いすがり、2頭がならびかけたところで入線。写真判定の末、オグリキャップのハナ差先着が認められ、イナリワンは2着に敗れた[48]。(競走に関する詳細は、第40回毎日王冠を参照。)

その後、10月29日の天皇賞(秋)GI)では体が減って神経質な様子を見せ[49]、スタート直後に躓いて後方からとなり、追い込むも6着[50]、11月26日のジャパンカップ(GI)でも同様に追い込み11着に敗れた[25]

有馬記念

続いて、年末のファン投票で選出馬となり、12月24日の有馬記念GI)に参戦[51]。陣営は、連敗の原因を食事量の減少によって負荷のかかる追い切りができず、仕上がらないまま出走したためであると分析していた[25]。鈴木は、連敗中にいた東京競馬場の馬房であると、落ち着きがないことに気付き、ジャパンカップ後に、イナリワンにとっては未知の場所である中山競馬場に一時入厩させ、美浦トレーニングセンターに戻るという対策を講じた[52]。すると、イナリワンの食事量は回復。1週間前、当週の追い切りでは負荷の大きいメニューをこなして、充実した状態での出走が実現した[25]。当日は、天皇賞(秋)2着、ジャパンカップ2着のオグリキャップが単勝オッズ1.4倍の1番人気、天皇賞(秋)優勝、ジャパンカップ4着のスーパークリークが3.1倍、4歳馬のサクラホクトオーが12.6倍、そしてイナリワンは16.7倍の4番人気であった[53]。このうち、オグリキャップとスーパークリークは単枠指定制度の対象となっており[52]、「二強」とも呼ばれた[54]

映像外部リンク
1989年 有馬記念
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

スタートから「二強」が先行しそれぞれ2、3番手を占める一方[54]、イナリワンは後方に待機、2周目の向こう正面から外に持ち出し、位置を上げていた[25]。オグリキャップが第3コーナーで逃げるダイナカーペンターを捉え、スーパークリークもそれに応じて差を詰め、最終コーナーは「二強」が並んだ状態で通過[52]。イナリワンは外から中団馬群をかわしたのち、内に転進しその「二強」の背後を捉えた[52]。直線では、ランニングフリーとともに追い上げを開始[25]。「二強」からはスーパークリークがオグリキャップを下して先に抜け出し、追い上げる2頭からはイナリワンが末脚を利かせて追い込み、粘るスーパークリークをイナリワンが外から追う形となった[25][52]。イナリワンがスーパークリークに並びかけたところで入線、写真判定の末、イナリワンのハナ差先着が認められ、GI3勝目となった[25][52]

勝負どころで 前にいたリアルバースデーに不利があって、そのスキにサッとインに潜り込んだんですよ。手ごたえもあったし、直線の坂下ではオグリキャップの脚色がおかしい。スーパークリークはもっと前にいて、届くかどうか微妙な感じだったんだけど、ものすごい勢いで伸びましたね。ゴールの瞬間は抜けたという感触がありましたよ。レース前から"やることはやった"と自分に言い聞かせていたんですよ。まともならオグリ(キャップ)やスーパー(クリーク)に引けを取らないレースが出来るって。根性を剥き出しにする、僕のタイプの馬ですよ。(後略、カッコ内加筆者) — 柴田政人[52]

走破タイム2分31秒7は、1984年にシンボリルドルフが樹立したコースレコードおよびレースレコードを1.1秒更新[52][55]。同一年の宝塚記念と有馬記念を制したのは、1963年リユウフオーレル、1965年シンザン、1970年スピードシンボリに続いて29年ぶり史上4頭目であった[56]

この年の「フリーハンデ」では、ハンデキャッパーが首位を「実力のオグリキャップ、実績のイナリワン[57]」(優駿編集部)のどちらに与えるかで激論となり、2時間半の時間を費やし、結局両者が首位の「65」[57]。以下、スーパークリークの「63」メジロアルダンの「60」ヤエノムテキの「59」と定められた[57]。「65」は、シンボリルドルフの「70」タマモクロスの「68」カツラギエースの「66」に次ぐ史上4番目であり、テンポイントに並ぶ評価であった[57]。またJRA賞では、全172票中140票を集めてJRA賞年度代表馬に、同様に144票を集めてJRA賞最優秀5歳以上牡馬に選出された[8]

翌1990年は、3月11日の阪神大賞典で始動。負担重量62キログラムに加えて、良馬場にもかかわらず馬場の荒れているところに脚をとられて伸びず、ブービー賞の5着敗退[58]。続く天皇賞(春)では、先行するスーパークリークの後方につけて、直線で追い込んだが、半馬身及ばず2着[59]。それから6月10日の宝塚記念では、後方待機から追い込むも、勝利したオサイチジョージに5馬身以上遅れた4着となった[60]

美浦トレーニングセンターで夏休みを過ごし、秋はオールカマーから天皇賞(秋)というローテーションを予定していたが、9月初旬に右前脚の球節に不安が生じたために断念[61]。その後は、回復することなく競走馬を引退し、第35回有馬記念当日の12月23日に引退式が行われた[62]

種牡馬時代

引退後は種牡馬として日高軽種馬農協門別種馬場に繋養された。福永厩舎に入った初年度産駒ツキフクオーが、東京王冠賞親子制覇など大井で活躍。他にイナリコンコルド(大井記念東京記念など)、シグナスヒーロー(日経賞2着など)が産まれた。

2004年を限りに種牡馬から引退し、以後は門別町のポニーファームで功労馬として過ごす。その後繋養先が何度か移転し、2010年7月には茨城県北茨城市のオールドウェスト乗馬クラブで繋養されていると報じられた[63]。2014年12月からは功労馬繋養展示事業の助成を受け、北海道占冠村のあるぷすペンションで過ごした。2016年2月7日に老衰のため32歳で死亡[2][64]

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[65]、JBISサーチ[66]、『優駿』2010年1月号[67]の情報に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場)


オッズ(人気) 着順 タイム
(上がり3F)
着差 騎手 斤量
[kg]
1着馬(2着馬) 馬体重
[kg]
1986. 12. 09 大井 3歳新馬 ダ1000m(良) 9 6 6 000-00(1人) 01着 1:03.2 -0.9 0宮浦正行 53 (シャレーセデス) 454
1987. 01. 02 大井 151万下 ダ1400m(良) 8 1 1 出走取消 0宮浦正行 54.5 チャンピオンスター 計不
05. 20 大井 155万下 ダ1500m(良) 8 6 6 000-00(1人) 01着 1:37.2 -0.4 0宮浦正行 54 (エスペラント) 456
06. 14 大井 360万下 ダ1600m(良) 10 8 9 000-00(1人) 01着 1:45.4 -0.2 0宮浦正行 54 (ミスターシュウ) 455
06. 28 大井 ライラック特別 ダ1600m(良) 12 6 8 000-00(1人) 01着 1:44.1 -0.3 0宮浦正行 54 (リンドマシーン) 452
08. 21 大井 りんどう特別 ダ1600m(良) 10 8 9 000-00(1人) 01着 1:43.2 -0.5 0宮浦正行 55 (ニュータカラヒ) 449
09. 23 大井 トゥインクルエイジ ダ1700m(良) 8 1 1 000-00(1人) 01着 1:50.0 -0.3 0宮浦正行 54 (ハナキリュウ) 451
11. 11 大井 東京王冠賞 ダ2600m(良) 10 3 3 000-00(1人) 01着 2:52.7 -0.2 0宮浦正行 57 (チャンピオンスター) 447
12. 28 船橋 東京湾C ダ2000m(良) 10 4 4 00000-(1人) 01着 2:10.4 -0.0 0宮浦正行 57 (マルケンアキーラ) 447
1988. 03. 03 大井 金盃 ダ2000m(重) 11 4 4 00000-(2人) 03着 2:06.8 -1.0 0宮浦正行 54.5 チャンピオンスター 450
04. 13 大井 帝王賞 ダ2000m(重) 14 2 2 00000-(2人) 07着 2:08.2 -1.2 0宮浦正行 56 チャンピオンスター 441
08. 10 大井 関東盃 ダ1600m(重) 10 2 2 000-00(4人) 05着 1:40.9 -1.5 0宮浦正行 54 イーグルシャトー 453
11. 02 大井 東京記念 ダ2400m(良) 10 6 6 00000-(3人) 03着 2:36.2 -0.3 0宮浦正行 54 ダッシュホウショウ 451
11. 23 笠松 全日本サラブレッドC ダ2500m(良) 10 3 3 00000-(3人) 02着 2:50.1 -0.3 0宮浦正行 56 フェートノーザン 450
12. 29 大井 東京大賞典 ダ3000m(良) 12 2 2 00000-(3人) 01着 3:17.3 -0.1 0宮浦正行 56 (アラナスモンタ) 448
1989. 02. 11 京都 すばるS 芝2000m(重) 9 4 4 003.70(2人) 04着 02:02.8(35.9) -0.1 0小島太 58 チュニカオー 444
03. 12 阪神 阪神大賞典 GII 芝3000m(良) 11 6 7 005.30(2人) 05着 03:07.7(35.8) -0.3 0小島太 57 ナムラモノノフ 444
04. 29 京都 天皇賞(春) GI 芝3200m(良) 18 1 1 009.30(4人) 01着 R3:18.8(36.0) -0.8 0武豊 58 ミスターシクレノン 452
06. 11 阪神 宝塚記念 GI 芝2200m(良) 16 2 3 004.80(2人) 01着 02:14.0(37.1) -0.1 0武豊 56 フレッシュボイス 452
10. 08 東京 毎日王冠 GII 芝1800m(稍) 8 4 4 009.00(3人) 02着 01:46.7(34.7) -0.0 0柴田政人 59 オグリキャップ 446
10. 29 東京 天皇賞(秋) GI 芝2000m(良) 14 5 7 006.20(4人) 06着 01:59.8(34.9) -0.7 0柴田政人 58 スーパークリーク 444
11. 26 東京 ジャパンC GI 芝2400m(良) 15 7 12 014.00(8人) 11着 02:23.8(37.0) -1.6 0柴田政人 57 ホーリックス 446
12. 24 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良) 16 8 15 016.70(4人) 01着 R2:31.7(35.8) -0.0 0柴田政人 56 (スーパークリーク) 448
1990. 03. 11 阪神 阪神大賞典 GII 芝3000m(良) 6 1 1 002.50(2人) 05着 03:11.3(37.4) -1.2 0柴田政人 62 オースミシャダイ 448
04. 29 京都 天皇賞(春) GI 芝3200m(良) 16 4 7 006.00(2人) 02着 03:22.0(35.9) -0.1 0柴田政人 58 スーパークリーク 452
06. 10 阪神 宝塚記念 GI 芝2200m(良) 10 2 2 004.70(2人) 04着 02:15.1(37.3) -1.1 0柴田政人 56 オサイチジョージ 442

種牡馬成績

主な成績

特徴・エピソード

非常に気性が荒く、レース・日常を問わず蹴癖があり、対策として馬房の壁にが貼られるなどしていた[76]。こうした気性から、コースで走る際にも極めて強い掛かり癖を見せた[注釈 9]。武豊が調教で初騎乗した際には、手綱をがっしりと抑えていたにもかかわらず、これを無視して全速力で2周を走り、「レースでも御し切れないのでは」という不安を抱かせている[78]。小柄ながら力も非常に強く、後年の武は、数々の騎乗馬の内で「一番気の強い馬」「一番パワーのあった馬」として本馬の名を挙げている[79]

一方、騎手との呼吸が合った時に見せる能力は素晴らしかったとされ、武は「良くも悪くも、凄まじい推進力を持った馬でしたね。軽くてコンパクトなボディーに、超ハイパワーのエンジンを積んでいた、という感じ」と評し[80]、柴田政人は「体全体を使うフォームで、体の小ささを感じさせなかった」と述べ、自身が騎乗した内の最強馬に挙げている[81]。また、イナリワンの調教を行った調教助手の堤敏夫は、騎乗した時の印象について「キャンターに入るまでの感触はガクンガクンとしてあまり良くないが、加速してからの乗り味はすごくいい」と述べている[82]

なお、武騎乗で天皇賞(春)と宝塚記念を連勝した際、馬主の保手浜はその功に報いるため、武がかねて希望していた渡米を実現させ、現地で自身の所有馬に騎乗させた。これ以降、武は毎年のアメリカ遠征が叶うようになり、「イナリワンは僕に幸運をプレゼントしてくれた馬だった」との謝辞を送っている[83]

血統表

イナリワン血統ミルリーフ系/Nasrullah4.5×4=15.62%) (血統表の出典)

*ミルジョージ
Mill George
1975 鹿毛
父の父
Mill Reef
1968 鹿毛
Never Bend Nasrullah
Lalun
Milan Mill Princequillo
Virginia Water
父の母
Miss Charisma
1967 鹿毛
Ragusa Ribot
Fantan
*マタティナ
Matatina
Grey Sovereign
Zanzara

テイトヤシマ
1970 鹿毛
*ラークスパー
Larkspur
1959 栗毛
Never Say Die Nasrullah
Singing Grass
Skylarking Precipitation
Woodlark
母の母
ヤシマジェット
1960 鹿毛
*ソロナウェー
Solonaway
Solferino
Anyway
ヤシマニシキ *セフト
神正 F-No.5-h

父ミルジョージは地方から中央まで幅広く活躍馬を輩出。イナリワンが年度代表馬を受賞した1989年には、全日本リーディングサイアーを獲得している。母テイトヤシマは仔出しが悪く、イナリワンの出産を最後に繁殖から用途変更となった。直近の近親に活躍馬はいないが、四代母・神正の子(三代母ヤシマニシキの全弟)に二冠馬ボストニアン、子孫にイナリワンと同時期に活躍したバンブーメモリーがいる。

脚注

注釈

  1. ^ ホウヨウボーイなどを生産した北海道新冠町の豊洋牧場とは親戚関係、豊洋牧場の仔分けから開場した[5]
  2. ^ 本項では、イナリワンの中央競馬時代の馬主名に統一する。保手浜忠弘と保手浜弘規は同一人物であり、本名は「弘規」[7]。中央競馬では「弘規[1]」、地方競馬では「忠弘[6]」を使用した。西山茂行によれば、姓名判断を受けて「弘規」から「忠弘」に改名したところ、イナリワンに出会ったという[7]
  3. ^ 本項では、イナリワンの中央競馬時代の馬主名に統一する。保手浜忠弘と保手浜弘規は同一人物であり、本名は「弘規」[7]。中央競馬では「弘規[1]」、地方競馬では「忠弘[6]」を使用した。西山茂行によれば、姓名判断を受けて「弘規」から「忠弘」に改名したところ、イナリワンに出会ったという[7]
  4. ^ 保手浜は、中央競馬デビューする馬については「カミノ」、外国で購入した馬については「ティエイチ」を用い、合計3つの冠名を使い分けていた[26]。「カミノ」とは保手浜の母親の故郷である愛媛県三島町に所在し、「戦いの神」として信じられる大山祇神社にちなむ「神の」から[26]。「ティエイチ」は保手浜忠弘のイニシャル「T.H」から[26]
  5. ^ 保手浜は、崇敬していた穴守稲荷神社の禰宜からの助言を得て「イナリワン」と命名している[27]
  6. ^ 阿部珠樹によれば「JRAの菊花賞」に相当[25]
  7. ^ 林重治郎によれば「公営版有馬記念」[29]
  8. ^ イナリワンは、走法的に水を含んだコースではバランスを崩し、まともに走れなかった[31]
  9. ^ 武豊は、イナリワンの激しすぎる気性から折り合いを欠くため、スタート直後から道中常になだめながら乗る必要があると述べている[77]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o “イナリワン”. JBISサーチ. 2021年6月19日閲覧。
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  5. ^ 『優駿』1989年7月号 26-27頁
  6. ^ a b c d “イナリワン”. www.keiba.go.jp. 2021年11月12日閲覧。
  7. ^ a b c d “『お悔やみ申し上げます。』”. 西山牧場オーナーの(笑)気分. 2021年11月12日閲覧。
  8. ^ a b 『優駿』1990年2月号 52-57頁
  9. ^ 『優駿』1990年2月号 174-175頁
  10. ^ “Amazon.co.jp: オーナーズホース イナリワン「“平成三強”の南関猛者」OH04-H035 : おもちゃ”. www.amazon.co.jp. 2024年4月26日閲覧。
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  61. ^ 『優駿』1990年10月号 16-17頁
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  72. ^ “ミナモトエリモ”. JBISサーチ. 2021年11月16日閲覧。
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  78. ^ 島田(1997)p.29
  79. ^ 島田(2007)pp.277-278
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参考文献

  • 渡瀬夏彦『銀の夢 - オグリキャップに賭けた人々』(講談社、1992年)ISBN 4062052822
  • 光栄出版部・編『夢はターフを駆けめぐる5 - 地方出身馬の根性!』(光栄、1994年)ISBN 4877191550
  • 島田明宏『「武豊」の瞬間 - 希代の天才騎手10年の歩み』(集英社、1997年)ISBN 4087831094
  • 島田明宏『武豊インタビュー集スペシャル - 名馬編』(廣済堂出版、2007年)ISBN 4331654117
  • サラブレ編集部・編『日本名馬物語 - 甦る80年代の熱き伝説』(講談社、2007年)ISBN 4062810964
  • 『Sports Graphic Number PLUS - 競馬黄金の蹄跡』(文藝春秋、1999年)ISBN 4160081088
  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 1988年2月号
      • 林重治郎「【地方競馬ニュース】東京大賞典で有終の美 テツノカチドキ」
    • 1988年5月号
      • 林重治郎「【地方競馬ニュース】大井の金盃はチャンピオンスター」
    • 1988年6月号
      • 林重治郎「【地方競馬ニュース】第11回帝王賞は大井のチャンピオンスター」
    • 1988年10月号
      • 林重治郎「【地方競馬ニュース】快速イーグルシャトー 牡馬を蹴散らしV2」
    • 1989年1月号
      • 林重治郎「【地方競馬ニュース】全日本サラブレッドC フェートノーザン快勝」
      • 林重治郎「【地方競馬ニュース】アエロプラーヌ 4歳馬の頂点に」
    • 1989年2月号
      • 林重治郎「【地方競馬ニュース】実力馬イナリワン 東京大賞典で復活」
    • 1989年5月号
      • 佐藤将美「【今月の記録室】第37回阪神大賞典(GII) ナムラモノノフ」
    • 1989年6月号
      • 「【第99回天皇賞(春)カラーページ】レコードの快勝、輝く星、ふた~つ、イナリワン」
      • 瀬上保男(読売新聞)「【今月の記録室】皐月賞、天皇賞で公営出身馬が快勝」
      • 梶山隆平(日刊スポーツ)「【今月の記録室】第99回天皇賞(春)(GI)」
    • 1989年7月号
      • 「【'89春のGIレース総集編 第30回宝塚記念】ここはユタカvsミキオ 若いパワーの炸裂も、イナリワン」
      • 吉川良「【'89春のGI競走勝ち馬の故郷紀行】雲をつかんだ人たち イナリワンの山本実儀牧場」
      • 「【オーナー愛馬を語る 38】イナリワンの保手浜忠弘さん」
    • 1989年8月号
      • 末永紀元(大阪スポーツ)「【今月の記録室】第30回宝塚記念(GI) イナリワン」
    • 1989年12月号
      • 原田純一(報知新聞)「【今月の記録室】第100回天皇賞(秋)スーパークリーク」
      • 田中英雄(毎日新聞)「【今月の記録室】第40回毎日王冠(GII)」
    • 1990年1月号
      • 「【第34回有馬記念有力馬】オグリキャップvsスーパークリーク 舞台は変わって第三幕。」
    • 1990年2月号
      • 「【第34回有馬記念詳報】実る夢、散る夢 平成元年年度代表馬にイナリワン」
      • 「【1989年度JRA賞】年度代表馬はGI3勝のイナリワン オグリキャップには特別賞」
      • 「【1989年度フリーハンデ決定 5歳以上総合】実力のオグリキャップ対実績のイナリワンは、ともに史上4番目の65キロで決着。」
      • 伊藤元彦(夕刊フジ)「【今月の記録室】第34回有馬記念<グランプリ>(GI)イナリワン」
    • 1990年5月号
      • 井上泰司(スポーツニッポン)「【今月の記録室】第38回阪神大賞典(GII)オースミシャダイ」
    • 1990年6月号
      • 萩谷宗秀(報知新聞)「【今月の記録室】第101回天皇賞(春)スーパークリーク」
    • 1990年8月号
      • 大野良郎(スポーツニッポン)「【今月の記録室】第31回宝塚記念(GI)オサイチジョージ」
    • 1990年10月号
      • 柏木集保「【'90秋・古馬戦線の動向】2年間続いた"長期三強の時代"の行方は。」
    • 1991年2月号
      • 「【"三強"の引退】イナリワン、スーパークリークも――。三強時代は終わりを告げた。」
    • 2010年1月号
      • 阿部珠樹「【サラブレッド・ヒーロー列伝】イナリワン 地方・中央の統一王者」

外部リンク

 
表彰・GI勝ち鞍
啓衆社賞
優駿賞
JRA賞
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
(旧)最優秀5歳以上牡馬
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
最優秀4歳以上牡馬
2000年代
2010年代
2020年代
  • 1 2001年より馬齢表記法が数え年から満年齢に移行
    *2 1954-1971年は「啓衆社賞」、1972-1986年は「優駿賞」として実施
   

国際競走指定前:
002回(1938年) ハセパーク
004回(1939年) スゲヌマ
006回(1940年) トキノチカラ
008回(1941年) マルタケ
010回(1942年) ミナミモア
012回(1943年) グランドライト
014回(1944年) ヒロサクラ
015回(1947年) オーライト
017回(1948年) シーマー
019回(1949年) ミハルオー
021回(1950年) オーエンス
023回(1951年) タカクラヤマ
025回(1952年) ミツハタ
027回(1953年) レダ
029回(1954年) ハクリヨウ
031回(1955年) タカオー
033回(1956年) メイヂヒカリ
035回(1957年) キタノオー
037回(1958年) オンワードゼア
039回(1959年) トサオー
041回(1960年) クリペロ
043回(1961年) ヤマニンモアー
045回(1962年) オンスロート
047回(1963年) コレヒサ
049回(1964年) ヒカルポーラ
051回(1965年) アサホコ
053回(1966年) ハクズイコウ
055回(1967年) スピードシンボリ
057回(1968年) ヒカルタカイ

059回(1969年) タケシバオー
061回(1970年) リキエイカン
063回(1971年) メジロムサシ
065回(1972年) ベルワイド
067回(1973年) タイテエム
069回(1974年) タケホープ
071回(1975年) イチフジイサミ
073回(1976年) エリモジョージ
075回(1977年) テンポイント
077回(1978年) グリーングラス
079回(1979年) カシュウチカラ
081回(1980年) ニチドウタロー
083回(1981年) カツラノハイセイコ
085回(1982年) モンテプリンス
087回(1983年) アンバーシャダイ
089回(1984年) モンテファスト
091回(1985年) シンボリルドルフ
093回(1986年) クシロキング
095回(1987年) ミホシンザン
097回(1988年) タマモクロス
099回(1989年) イナリワン
第101回(1990年) スーパークリーク
第103回(1991年) メジロマックイーン
第105回(1992年) メジロマックイーン
第107回(1993年) ライスシャワー
第109回(1994年) ビワハヤヒデ
第111回(1995年) ライスシャワー
第113回(1996年) サクラローレル
第115回(1997年) マヤノトップガン
第117回(1998年) メジロブライト

第119回(1999年) スペシャルウィーク
第121回(2000年) テイエムオペラオー
第123回(2001年) テイエムオペラオー
第125回(2002年) マンハッタンカフェ
第127回(2003年) ヒシミラクル
第129回(2004年) イングランディーレ

国際競走指定後:
第131回(2005年) 日本の旗 スズカマンボ
第133回(2006年) 日本の旗 ディープインパクト
第135回(2007年) 日本の旗 メイショウサムソン
第137回(2008年) 日本の旗 アドマイヤジュピタ
第139回(2009年) 日本の旗 マイネルキッツ
第141回(2010年) 日本の旗 ジャガーメイル
第143回(2011年) 日本の旗 ヒルノダムール
第145回(2012年) 日本の旗 ビートブラック
第147回(2013年) 日本の旗 フェノーメノ
第149回(2014年) 日本の旗 フェノーメノ
第151回(2015年) 日本の旗 ゴールドシップ
第153回(2016年) 日本の旗 キタサンブラック
第155回(2017年) 日本の旗 キタサンブラック
第157回(2018年) 日本の旗 レインボーライン
第159回(2019年) 日本の旗 フィエールマン
第161回(2020年) 日本の旗 フィエールマン
第163回(2021年) 日本の旗 ワールドプレミア
第165回(2022年) 日本の旗 タイトルホルダー
第167回(2023年) 日本の旗 ジャスティンパレス
第168回(2024年) 日本の旗 テーオーロイヤル

日本の旗 宝塚記念勝ち馬
   

国際競走指定前:
01回(1960年) ホマレーヒロ
02回(1961年) シーザー
03回(1962年) コダマ
04回(1963年) リユウフオーレル
05回(1964年) ヒカルポーラ
06回(1965年) シンザン
07回(1966年) エイトクラウン
08回(1967年) タイヨウ
09回(1968年) ヒカルタカイ
第10回(1969年) ダテホーライ
第11回(1970年) スピードシンボリ
第12回(1971年) メジロムサシ
第13回(1972年) ショウフウミドリ
第14回(1973年) ハマノパレード
第15回(1974年) ハイセイコー
第16回(1975年) ナオキ
第17回(1976年) フジノパーシア
第18回(1977年) トウショウボーイ
第19回(1978年) エリモジョージ
第20回(1979年) サクラショウリ
第21回(1980年) テルテンリュウ
第22回(1981年) カツアール
第23回(1982年) モンテプリンス

第24回(1983年) ハギノカムイオー
第25回(1984年) カツラギエース
第26回(1985年) スズカコバン
第27回(1986年) パーシャンボーイ
第28回(1987年) スズパレード
第29回(1988年) タマモクロス
第30回(1989年) イナリワン
第31回(1990年) オサイチジョージ
第32回(1991年) メジロライアン
第33回(1992年) メジロパーマー
第34回(1993年) メジロマックイーン
第35回(1994年) ビワハヤヒデ
第36回(1995年) ダンツシアトル
第37回(1996年) マヤノトップガン

国際競走指定後:
第38回(1997年) 日本の旗 マーベラスサンデー
第39回(1998年) 日本の旗 サイレンススズカ
第40回(1999年) 日本の旗 グラスワンダー
第41回(2000年) 日本の旗 テイエムオペラオー

国際G1昇格後:
第42回(2001年) 日本の旗 メイショウドトウ
第43回(2002年) 日本の旗 ダンツフレーム

第44回(2003年) 日本の旗 ヒシミラクル
第45回(2004年) 日本の旗 タップダンスシチー
第46回(2005年) 日本の旗 スイープトウショウ
第47回(2006年) 日本の旗 ディープインパクト
第48回(2007年) 日本の旗 アドマイヤムーン
第49回(2008年) 日本の旗 エイシンデピュティ
第50回(2009年) 日本の旗 ドリームジャーニー
第51回(2010年) 日本の旗 ナカヤマフェスタ
第52回(2011年) 日本の旗 アーネストリー
第53回(2012年) 日本の旗 オルフェーヴル
第54回(2013年) 日本の旗 ゴールドシップ
第55回(2014年) 日本の旗 ゴールドシップ
第56回(2015年) 日本の旗 ラブリーデイ
第57回(2016年) 日本の旗 マリアライト
第58回(2017年) 日本の旗 サトノクラウン
第59回(2018年) 日本の旗 ミッキーロケット
第60回(2019年) 日本の旗 リスグラシュー
第61回(2020年) 日本の旗 クロノジェネシス
第62回(2021年) 日本の旗 クロノジェネシス
第63回(2022年) 日本の旗 タイトルホルダー
第64回(2023年) 日本の旗 イクイノックス

日本の旗 有馬記念勝ち馬
   

国際競走指定前:
01回(1956年) メイヂヒカリ
02回(1957年) ハクチカラ
03回(1958年) オンワードゼア
04回(1959年) ガーネツト
05回(1960年) スターロツチ
06回(1961年) ホマレボシ
07回(1962年) オンスロート
08回(1963年) リユウフオーレル
09回(1964年) ヤマトキヨウダイ
第10回(1965年) シンザン
第11回(1966年) コレヒデ
第12回(1967年) カブトシロー
第13回(1968年) リュウズキ
第14回(1969年) スピードシンボリ
第15回(1970年) スピードシンボリ
第16回(1971年) トウメイ
第17回(1972年) イシノヒカル
第18回(1973年) ストロングエイト
第19回(1974年) タニノチカラ
第20回(1975年) イシノアラシ
第21回(1976年) トウショウボーイ
第22回(1977年) テンポイント
第23回(1978年) カネミノブ

第24回(1979年) グリーングラス
第25回(1980年) ホウヨウボーイ
第26回(1981年) アンバーシャダイ
第27回(1982年) ヒカリデユール
第28回(1983年) リードホーユー
第29回(1984年) シンボリルドルフ
第30回(1985年) シンボリルドルフ
第31回(1986年) ダイナガリバー
第32回(1987年) メジロデュレン
第33回(1988年) オグリキャップ
第34回(1989年) イナリワン
第35回(1990年) オグリキャップ
第36回(1991年) ダイユウサク
第37回(1992年) メジロパーマー
第38回(1993年) トウカイテイオー
第39回(1994年) ナリタブライアン
第40回(1995年) マヤノトップガン
第41回(1996年) サクラローレル
第42回(1997年) シルクジャスティス
第43回(1998年) グラスワンダー
第44回(1999年) グラスワンダー
第45回(2000年) テイエムオペラオー
第46回(2001年) マンハッタンカフェ
第47回(2002年) シンボリクリスエス

第48回(2003年) シンボリクリスエス
第49回(2004年) ゼンノロブロイ
第50回(2005年) ハーツクライ
第51回(2006年) ディープインパクト

国際競走(G1)指定後:
第52回(2007年) 日本の旗 マツリダゴッホ
第53回(2008年) 日本の旗 ダイワスカーレット
第54回(2009年) 日本の旗 ドリームジャーニー
第55回(2010年) 日本の旗 ヴィクトワールピサ
第56回(2011年) 日本の旗 オルフェーヴル
第57回(2012年) 日本の旗 ゴールドシップ
第58回(2013年) 日本の旗 オルフェーヴル
第59回(2014年) 日本の旗 ジェンティルドンナ
第60回(2015年) 日本の旗 ゴールドアクター
第61回(2016年) 日本の旗 サトノダイヤモンド
第62回(2017年) 日本の旗 キタサンブラック
第63回(2018年) 日本の旗 ブラストワンピース
第64回(2019年) 日本の旗 リスグラシュー
第65回(2020年) 日本の旗 クロノジェネシス
第66回(2021年) 日本の旗 エフフォーリア
第67回(2022年) 日本の旗 イクイノックス
第68回(2023年) 日本の旗 ドウデュース