エアジハード

エアジハード
1999年10月31日、東京競馬場
欧字表記 Air Jihad[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 栗毛[1]
生誕 1995年4月9日(29歳)[1]
死没 (存命)
サクラユタカオー[1]
アイシーゴーグル[1]
母の父 ロイヤルスキー[1]
生国 日本の旗 日本北海道千歳市[1]
生産者 社台ファーム[1]
馬主 (株)ラッキーフィールド[1]
調教師 伊藤正徳(美浦[1]
厩務員 仲野英明[2]
競走成績
タイトル JRA賞最優秀短距離馬(1999年)[1]
最優秀父内国産馬(1999年)[1]
生涯成績 12戦7勝[1]
獲得賞金 3億6000万4000円[3]
IC M119 / 1999年[4]
勝ち鞍
GI 安田記念 1999年
GI マイルチャンピオンシップ 1999年
GIII 富士ステークス 1998年
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エアジハード(欧字名:Air Jihad1995年4月9日 - )は、日本競走馬種牡馬[1]

1999年の安田記念GI)およびマイルチャンピオンシップGI)を勝利。ニホンピロウイナーノースフライトタイキシャトルに続いて史上4頭目となる春秋マイルGI優勝を果たした。

その他の勝ち鞍は、1998年の富士ステークスGIII)。

経歴

デビューまで

誕生までの経緯

アイシーゴーグルは、1987年に社台ファームで生産された牝馬。父はアメリカG1優勝馬のロイヤルスキー、母は1982年の優駿牝馬(オークス)を勝利したシャダイアイバーである[5]。ファーム代表の吉田善哉自らで所有して、中央競馬美浦トレーニングセンター二本柳俊夫厩舎から競走馬デビュー[6]。2年間で17戦3勝(うちダート2勝)の成績で引退し、社台ファームで繁殖牝馬となった[5]。初年度は、ニホンピロウイナーと交配し、1994年に初仔の牡馬を生産[7]。2年目の交配相手は、1986年の天皇賞(秋)を制したサクラユタカオーであった[7]。サクラユタカオーをあてがったのは、吉田善哉の子・吉田照哉であり、ファーム獣医師の池田充によれば「(サクラ)ユタカオーを配合したのは、当時社台ファームにはスピードを前面に出すタイプの種牡馬があまりいませんでした[注釈 1]から、ダートで2勝したアイシーゴーグルの仔に、芝での切れ味を持たせるためではないか[8]」と推察している。

1995年4月9日、北海道千歳市の社台ファームにて、2番仔となる栗毛牡馬(後のエアジハード)が誕生する[9]

幼駒時代

2番仔は、社台ファーム牡馬調教担当である東礼治郎によれば「ダンス(インザダーク)と比べても遜色のない印象でしたよ。もの凄い切れ味という点で、似ている馬を探せば(中略)バブ(ルガムフェロー)かなあ(カッコ内補足加筆者)[10]」、「とにかくものすごい柔らか味を感じさせる馬でした。なにしろ品があって、しかもバランスが抜群(中略)生まれたときから文句なくトップクラスの評価。(中略)僕が手がけた中でも、当然最上位クラスの一頭です。ああいう馬には、そうそう巡り合えるもんじゃない。[10]」という様子だった。

誕生直後から、馬体に対する評価は高く、馬体のバランスを失う危険のある離乳時を乗り越え、評価を保ったまま成長[10]。池田によれば「生まれてからずっと品の良さと、しなやかな体を保ちづづけたように思います。成長過程をグラフに考えると、10番仔は常に右上がりの緩やかな上昇カーブを描きつつ競走馬として完成するという理想形ともいえる、非常に珍しい馬だったように思えますね。私の経験した中では、フジキセキとバブルガムフェローと同じタイプ(後略)[10]」と述べている。育成が進むにつれて、東は「朝日杯3歳ステークスを勝って当然の馬[8]」と信じるようになっていた。

10番仔は、吉原毎文が代表を務める株式会社エアフィールドの所有となり、冠名「エア」に「ジハード」を組み合わせた「エアジハード」という競走馬名が与えられる[9]。エアジハードは、美浦の伊藤正徳調教師の管理馬となった。伊藤は騎手だった1977年、吉原毎文の父・吉原貞敏が所有したラッキールーラに騎乗し、東京優駿(日本ダービー)を優勝、八大競走初勝利を挙げた[11]。騎手引退後、調教師に転じても吉原との関係を継続[9]。吉原は、伊藤を牧場に誘い、当歳時のエアジハードの検分を要請していた[9]。伊藤はこの時「脚元がまっすぐに伸びて、スタイルがよかった。長軀〔ママ〕短背です。トモの筋肉が長い。(中略)走るための筋肉が多いのは長所[9]」という印象を受けたという。牧場では至って健康に過ごし[12]、3歳となった1997年6月、伊藤厩舎に入厩する。

伊藤は「完成するのは4歳以降[8]」「オープンまで行ける馬[2]」と見立ていたが、スタイルの良さが脚部不安を招くと考え、慎重にレースを選択しようと決意[2]。東の「朝日杯3歳ステークス…」の進言を退け、春のクラシック、皐月賞から東京優駿(日本ダービー)出走を目標に定めた[8][9]

競走馬時代

3-4歳(1997-98年)

1997年12月7日、朝日杯3歳ステークス当日に行われた中山競馬場新馬戦(芝1200メートル)に武豊が騎乗してデビュー[8]。3番手から抜け出し、後方に3馬身半差をつけて初勝利を挙げる[2]。その後は、脚の炎症が治まらずに連戦できず、年をまたいだ1998年2月1日、カトレア賞(500万円以下、ダート1200メートル)で復帰[2]。クラシックを目標にしつつも、脚の負担の少ないダートに参戦、後方待機から直線で外から抜け出し、1馬身半差をつけて入線、連勝とする[2]。再び間隔を空けて3月22日、皐月賞のトライアル競走であるスプリングステークスGII)に2番人気で出走。5枠8番ゲートに収まったが、暴れてしまい鼻を負傷、さらに出遅れてスタートとなった[2]。スローペースの最後方から追い込むも、先行馬には届かず4着。3着までに与えられる優先出走権を獲得できず、発走調教再審査の処分が下された[2]

この敗戦や距離適性をマイルから2000メートルと考えていた伊藤は、吉原にクラシック出走の断念を提案し、受け入れられた[13]。続く目標をNHKマイルカップ出走に切り替え、騎手の橋本広喜が騎乗して矯正、発走調教再審査を合格した[13]。5月17日のNHKマイルカップに橋本とともに10番人気で出走。スタートを決めたが、直線伸びず8着[13]。ただ勝利したエルコンドルパサーなど上位7頭は、いずれも外国産馬であり、内国産馬としては最先着を果たした。その後は休養、社台ファームで夏休みとなった[13]。10月18日東京競馬場の900万円以下(芝1600メートル)で復帰し、1馬身半差をつけて3勝目をマークする。11月14日の奥多摩ステークス(1600万円以下、芝1400メートル)はクビ差で4勝目を挙げる[13]

脚部不安の心配が見られなかったことから、4勝目から2週間後の11月28日、スプリンターズステークスの前哨戦である富士ステークスGIII)に参戦する[13]。15頭が出走する中、前年の安田記念3着の5歳馬スピードワールドが3倍台の1番人気、セントウルステークス3着の6歳馬シンボリフェザードが4倍台、イギリスから遠征の外国調教馬でモーリス・ド・ゲスト賞G1)3着のムシェアが5倍台と続き、エアジハードは6.2倍の4番人気に推されていた[14]。3枠5番からスタートを決めて先行し、好位内側で最終コーナーを通過、直線で抜け出した[15]。大外から6番人気プレストシンボリが迫り、内外並んでの競り合いとなったが、エアジハードがクビ差振り切って先着。重賞初勝利を挙げた[15]

映像外部リンク
1998年 富士ステークス(GIII
レース映像 netkeibaTV公式YouTubeチャンネルによる動画

橋本は「相手に合わせるズルい面があって、今回はその相手が強かっただけに半信半疑で臨みましたが、今まで以上に頑張ってくれました。(中略)本当に接戦に強い。まだ4歳ですし、これからどれだけ強くなっていくのか楽しみです[15]。」。伊藤は「完成するのは先になると思いますが、来年はタイキシャトルの後釜を狙える馬。そう思っているんですよ[15]。」と発言。タイキシャトルは、この前年に5戦4勝。フランスのマイルG1競走のジャック・ル・マロワ賞を勝利したほか、日本国内では安田記念とマイルチャンピオンシップを勝利。マイルチャンピオンシップは連覇を達成したうえ、その年の国内春秋のマイルGIを独占して引退していた[16]。富士ステークスの後のエアジハードは、スプリンターズステークスには出走せずに休養。来年春の目標を安田記念とした[17]

5歳(1999年)

安田記念参戦を確実なものにするために4月25日、新潟競馬場の谷川岳ステークス(OP)に出走する[17]。相手は、一段劣るメンバーであり、先々のことを考えて、完全には仕上げない状態で臨み、2.2倍の1番人気に支持された[17][18]。スタートから先行。ハイペースの中、直線で早めに抜け出したが、後方から追い込んだ2番人気ナリタプロテクターに差し切られた。コースレコードで決着し、クビ差後れを取る2着[17]。この敗戦により、エアジハードを矯正し、発走調教再審査を合格させ、重賞勝利まで導いた橋本の降板が決定する[17]。伊藤とラッキーフィールドの協議の末「技術があって、老獪ではない騎手[19]」(伊藤)として、前年にエルコンドルパサーに騎乗し、ジャパンカップを制した30歳の蛯名正義を、新たな主戦騎手として迎えることとなった[19]

5月15日、安田記念の前哨戦として知られる京王杯スプリングカップGII)に出走。前年の有馬記念を勝利し、この年の始動戦だったグラスワンダーが2.1倍、続く4.8倍の2番人気がエアジハードであった[20]。蛯名は安田記念出走のために、勝利よりも「スムーズな競馬をして、2着までにもってくる[19]」ことを最優先に考えていたという。大外枠からスタートして先行した。スローペースの中、逃げ馬に次ぐ2番手で直線に向き、内側から競りかけてきた先行勢4頭の追い上げを制して抜け出したが、中団待機から大外に持ち出して追い込んだグラスワンダーに差し切られた[21]。4分の3馬身差をつけられた2着。賞金加算には成功した[19]

安田記念

6月13日、目標の安田記念(GI)に出走。グラスワンダーが1.3倍の1番人気、この年東京新聞杯中山記念を連勝したキングヘイローが6.0倍、アメリカ帰り2戦目で高松宮記念2着から臨むシーキングザパールが11.4倍と続き、エアジハードは、17.7倍の4番人気であった[22]。蛯名は、これまでのような先行押し切りでは、グラスワンダーに敵わないと判断し、グラスワンダーと同じ中団待機を狙うことにした[23]

映像外部リンク
1999年 安田記念(GI
レース映像 jra公式YouTubeチャンネルによる動画

7枠12番からスタートして後方待機、中団にいたグラスワンダーの背後でマーク[24]。最終コーナーを、グラスワンダーの外に持ち出して通過した。直線では、馬場の中央から抜け出したグラスワンダーを目標に、大外から追い上げを開始[24]。並びかけると、蛯名は、グラスワンダーの方に馬体を寄せる「併せた」状態を作り、2頭の競り合いを演出した[25]。ゴール板手前でエアジハードがグラスワンダーをハナ差かわしたところで入線、GI初勝利となった[23]。伊藤は厩舎開業13年目で、調教師としてGI初勝利となった[26]。伊藤は「今年はこのレースを目標にローテーションも逆算して決めてきました。(中略)まだナーバスな面はあるのですが、それをうまく中に隠せるようになりましたね。成長したんだと思います[26]。」また騎乗した蛯名は「ゴールした瞬間、届いたと思いましたが、それでも手を挙げられるほどではなかった(中略)行かせてもいいし抑えもきくとあって緩急が自在。まだ成長していきそうな雰囲気があるし、秋を楽しみにしたいですね[26]。」と述べている。このレースに対するメディアは、エアジハードの優勝よりも、1.3倍のグラスワンダーの敗北について大きく取り上げており、伊藤は「勝って脇役です。これは悔しかったですね[25]」と述懐している。

秋の目標を、2000メートルの天皇賞(秋)に据える[27]。距離延長について伊藤は、こなす能力を有していることの他に「『グラスワンダーが負けた』ではなく、ウチの馬が勝ったという事実をもっと正当に評価してほしいんです。そのためにも、秋は大事な戦いになると思っています[27]」と述べている。その前哨戦として当初は、8月下旬の札幌記念GII)を予定していたが、参戦を見送った[27]。「肉体的にはもうワンランク、パワーアップできる[27]」として社台ファームで放牧[27]。北海道を猛暑が襲い、調整には遅れが出たという[28]

夏休みを経て、前哨戦を10月上旬の毎日王冠GII)に改めたが[27]、脚元の違和感から再び見送りとなり、10月31日の天皇賞(秋)に直行した[25]菊花賞優勝馬のセイウンスカイが3.8倍、6倍台に重賞連勝中のツルマルツヨシ、前年の天皇賞(春)優勝馬メジロブライト、この年の天皇賞(春)優勝馬スペシャルウィークが続き、エアジハードは8.3倍の5番人気であった[29]。スタートから3頭が逃げる中、離れた馬群の先頭にあたる4・5番手を追走[30]。直線で逃げ馬3頭をかわし、一時抜け出すも、外から伸びたスペシャルウィーク、12番人気ステイゴールドにかわされ3着[31]。蛯名は「もう少し後ろから行きたかったのに、馬が気分良く走りすぎてしまいました[32]」と述懐している。

マイルチャンピオンシップ

続いて11月21日、マイルチャンピオンシップGI)に出走、2.2倍の1番人気に推される。それ以降の人気は、スワンステークス優勝から臨むブラックホークが3.8倍、前々年の桜花賞優勝馬キョウエイマーチが7.5倍、キングヘイローが8.0倍で続いていた[33]。ブラックホークのスワンステークスは蛯名が導いたものであり、二択を迫られていたが、エアジハードを選択[32]。ブラックホークには武が騎乗した[33]

映像外部リンク
1999年 マイルチャンピオンシップ(GI
レース映像 jra公式YouTubeチャンネルによる動画

3枠6番からスタートし、中団に位置[34]。ブラックホークの直後を追走した。最終コーナーをブラックホークの外に持ち出して通過。直線で脚を伸ばし、逃げたキョウエイマーチや、隣のブラックホークをかわして抜け出した[23]。後方外から追い込んだキングヘイローの追い上げに1馬身半差をつけ、先頭で入線[34]GI2勝目。1985年ニホンピロウイナー、1994年ノースフライト、前年の1998年タイキシャトルに続いて史上4頭目となる、同一年の春秋のマイルGI2勝[注釈 2]を達成した[34]走破タイム1分32秒8は、1994年ノースフライトが樹立したレースレコード1分33秒0を0.2秒上回った[23]

その後、香港カップに選出され、12月7日に香港入り[32]。吉田も「日本産で日本調教の馬で海外GI[注釈 3]を意識させてくれる馬だ」と述べていたが、12月10日に右前脚の腫れが判明[32]。井口民樹によれば「一瞬、出走に踏み切ろうかと考えて、伊藤はやめた[32]。」という。香港の空港に降り立った吉原に対して、出走の取り消しを提案し、受け入れられた[32]。帰国後、右前脚の再検査を行ったところ屈腱炎、「予想以上に重症[32]」(井口)だったことが判明。12月22日に引退を発表した[32]。この年のJRA賞では、JRA賞最優秀短距離馬およびJRA賞最優秀父内国産馬を受賞している[32]

種牡馬時代

引退後は、種牡馬となった。2000年から2002年までは社台スタリオンステーション、2003年から2004年まではブリーダーズスタリオンステーション、2005年から2007年までレックススタッド、2007年から2011年まで再びブリーダーズスタリオンステーション、2012年は中川郁夫牧場、2013年からは十勝軽種馬農業協同組合種馬所で繋養された[35][36][37]。2017年10月20日に供用を停止、用途変更[38]。種牡馬引退となった[37]

初年度の2000年と2003年は三桁、2004年は97頭の繁殖牝馬を集めたが、2004年から引退まで、34頭を下回った[39]。2007年には初年度産駒[注釈 4]アグネスラズベリ(母父:トニービン)が、函館スプリントステークスGIII)を優勝し、産駒初めてとなるJRA重賞勝利[40]。2010年には4年目産駒[注釈 5]ショウワモダン(母父:トニービン)が安田記念を優勝し、産駒初めてとなるJRAGI勝利[41]。1985年ニホンピロウイナーと1992・93年ヤマニンゼファー父仔に次ぐ史上2組目[注釈 6]の安田記念父仔制覇を果たした[41]

引退後

2018年からは、引退名馬繋養展示事業の助成対象となり、功労馬となる[42]。2019年7月からは、北海道新ひだか町の小国スティーブル従業員・竹内里紗が引き取り、エアジハードのためにスティーブル内に新設された放牧地で暮らしている[37][43]。 2021年の優駿での武豊と蛯名正義の対談でも1998クラシック世代で数少ない2人両方が乗った馬として取り上げられた。 2022年5月1日に北海道浦河町の王蔵牧場へ移動し、当地で余生を送る。

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[44]およびJBISサーチ[45]に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場)


オッズ
(人気)
着順 タイム
(上り3F)
着差 騎手 斤量
[kg]
1着馬(2着馬) 馬体重
[kg]
1997.12.07 中山 3歳新馬 芝1200m(良) 10 5 5 001.80(1人) 01着 R1:10.8(35.6) -0.6 0武豊 54 (ファーディーン) 466
1998.02.01 東京 カトレア賞 500万下 ダ1200m(良) 15 6 11 005.80(3人) 01着 R1:13.6(36.8) -0.2 0武豊 55 (アイアムアブラザー) 470
0000.03.22 中山 スプリングS GII 芝1800m(稍) 15 5 8 004.00(2人) 04着 R1:50.1(36.3) -0.3 0武豊 56 クリールサイクロン 482
0000.05.17 東京 NHKマイルC GI 芝1600m(稍) 17 8 16 060.5(10人) 08着 R1:34.5(35.2) -0.8 0橋本広喜 57 エルコンドルパサー 478
0000.10.18 東京 4歳上900万下 芝1600m(重) 9 7 7 002.90(1人) 01着 R1:36.4(36.0) -0.2 0橋本広喜 55 (コンキスタクラウン) 490
0000.11.14 東京 奥多摩S 1600万下 芝1400m(良) 14 5 7 003.70(2人) 01着 R1:22.2(35.3) -0.1 0橋本広喜 55 (ワカサバロン) 492
0000.11.28 東京 富士S GIII 芝1400m(良) 15 3 5 006.20(4人) 01着 R1:23.0(35.2) -0.0 0橋本広喜 54 プレストシンボリ 498
1999.04.25 新潟 谷川岳S OP 芝1600m(良) 15 8 14 002.20(1人) 02着 R1:32.5(34.7) -0.0 0橋本広喜 56 ナリタプロテクター 498
0000.05.15 東京 京王杯SC GII 芝1400m(良) 18 8 18 008.80(4人) 02着 R1:20.6(34.0) -0.1 0蛯名正義 56 グラスワンダー 500
0000.06.13 東京 安田記念 GI 芝1600m(良) 14 7 12 017.70(4人) 01着 R1:33.3(35.1) -0.0 0蛯名正義 58 (グラスワンダー) 494
0000.10.31 東京 天皇賞(秋) GI 芝2000m(良) 17 1 1 008.30(5人) 03着 R1:58.2(35.6) -0.2 0蛯名正義 58 スペシャルウィーク 498
0000.11.21 京都 マイルCS GI 芝1600m(良) 18 3 6 002.20(1人) 01着 R1:32.8(34.4) -0.2 0蛯名正義 57 キングヘイロー 504

種牡馬成績

以下の内容は、JBISサーチの情報に基づく[39]

種付年度 種付頭数 生産頭数 血統登録頭数 出走頭数 勝馬頭数 重賞勝馬頭数 AEI CPI GI級優勝産駒
2000 113 79 73 62 34 2 1.27
2001 73 54 50 45 27 1 0.48
2002 109 68 60 52 26 0 0.54
2003 97 68 64 51 28 2 0.79 ショウワモダン
2004 34 28 23 18 6 0.33
2005 30 18 18 18 11 0 0.47
2006 24 14 14 13 5 0 0.24
2007 14 9 7 6 3 0.06
2008 34 21 19 17 11 0 0.20
2009 34 22 21 16 9 0 0.18
2010 22 12 12 10 8 1 0.54
2011 18 11 10 8 5 0.14
2012 8 3 3 1 0 0.00
2013 7 2 2 2 2 0.31
2014 11 3 3 3 2 0.03
2015 5 1 1 1 0 0 0.00
2016 2 0 0 0
2017 1 0 0 0
合計 380 323 177 6 0.57 1.17

主な産駒

種牡馬となったエアジハード(2000年9月23日撮影)

太字強調は、GI級競走。アスタリスクは、地方競馬各主催者が独自に定める格付けた重賞を表す(ダートグレード競走を除く)。

血統表

エアジハード血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 テスコボーイ系
[§ 2]

サクラユタカオー 1982
栗毛 北海道静内町
父の父
*テスコボーイ
Tesco Boy 1963
黒鹿毛 イギリス
Princely Gift Nasrullah
Blue Gem
Suncourt Hyperion
Inquisition
父の母
アンジェリカ 1970
黒鹿毛 北海道静内町
*ネヴァービート
Never Beat
Never Say Die
Bride Elect
スターハイネス *ユアハイネス
スターロツチ

アイシーゴーグル 1987
栗毛 北海道千歳市
*ロイヤルスキー
Royal Ski 1974
栗毛 アメリカ
Raja Baba Bold Ruler
Missy Baba
Coz o'Nijinsky Involvement
Gleam
母の母
シャダイアイバー 1979
鹿毛 北海道早来町
*ノーザンテースト
Northern Taste
Northern Dancer
Lady Victoria
*サワーオレンジ
Sour Orange
Delta Judge
Lady Attica
母系(F-No.) サワーオレンジ系(FN:8-g) [§ 3]
5代内の近親交配 Nasrullah 4・5×5=12.5% [§ 4]
出典
  1. ^ [46]
  2. ^ [47]
  3. ^ [46]
  4. ^ [46]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ サクラユタカオーは、静内スタリオンステーションに繋養されていた。
  2. ^ 安田記念マイルチャンピオンシップ
  3. ^ Wikipediaの表記基準に従えばG1
  4. ^ 2000年に交配。
  5. ^ 2003年に交配。
  6. ^ グレード制導入の1984年以降。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “エアジハード”. JBISサーチ. 2022年1月14日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 『優駿』2004年11月号 56頁
  3. ^ 『優駿』2007年11月号 104頁
  4. ^ 優駿』、日本中央競馬会、2000年2月、44頁。 
  5. ^ a b “アイシーゴーグル”. JBISサーチ. 2022年1月15日閲覧。
  6. ^ “3R サラ系4才 未勝利|1990年4月21日(土)2回東京1日”. JBISサーチ. 2022年1月15日閲覧。
  7. ^ a b “繁殖牝馬情報:牝系情報|アイシーゴーグル”. JBISサーチ. 2022年1月15日閲覧。
  8. ^ a b c d e 『優駿』1999年9月号 46頁
  9. ^ a b c d e f 『優駿』2004年11月号 55頁
  10. ^ a b c d 『優駿』1999年9月号 45頁
  11. ^ 『優駿』1988年2月号 20-25頁
  12. ^ 『優駿』1999年9月号 47頁
  13. ^ a b c d e f 『優駿』2004年11月号 57頁
  14. ^ “富士ステークス|1998年11月28日”. netkeiba.com. 2022年1月15日閲覧。
  15. ^ a b c d 『優駿』1999年1月号 67頁
  16. ^ “競走成績:全競走成績|タイキシャトル(USA)”. JBISサーチ. 2022年1月17日閲覧。
  17. ^ a b c d e 『優駿』2004年11月号 58頁
  18. ^ “谷川岳ステークス|1999年4月25日”. netkeiba.com. 2022年1月15日閲覧。
  19. ^ a b c d 『優駿』2004年11月号 59頁
  20. ^ “京王杯スプリングC|1999年5月15日”. netkeiba.com. 2022年1月15日閲覧。
  21. ^ 『優駿』1999年7月号 69頁
  22. ^ “安田記念|1999年6月13日”. netkeiba.com. 2022年1月15日閲覧。
  23. ^ a b c d 『優駿』2007年11月号 106-107頁
  24. ^ a b 『優駿』1999年8月号 65頁
  25. ^ a b c 『優駿』2004年11月号 60頁
  26. ^ a b c 『優駿』1999年8月号 132-133頁
  27. ^ a b c d e f 『優駿』1999年9月号 25頁
  28. ^ 『優駿』1999年11月号 42頁
  29. ^ “天皇賞(秋)|1999年10月31日”. netkeiba.com. 2022年1月16日閲覧。
  30. ^ 『優駿』1999年12月号 132-133頁
  31. ^ 『優駿』1999年12月号 20-23頁
  32. ^ a b c d e f g h i 『優駿』2004年11月号 61頁
  33. ^ a b “マイルチャンピオンS|1999年11月21日”. netkeiba.com. 2022年1月17日閲覧。
  34. ^ a b c “【マイルCS】最強世代の最強マイラー・エアジハード/マイル春秋制覇物語”. netkeiba.com. https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=146783 2022年1月17日閲覧。 
  35. ^ “エアジハードが十勝へ移動”. 競走馬のふるさと案内所. https://uma-furusato.com/news/60073.html 2022年1月17日閲覧。 
  36. ^ “エアジハードを訪ねて~十勝軽種馬農協種馬所”. 競走馬のふるさと案内所. 2022年1月17日閲覧。
  37. ^ a b c 佐々木祥恵. “99年安田記念覇者“エアジ”ことエアジハードのいま(前編)”. netkeiba.com. 2022年1月17日閲覧。
  38. ^ “2017年の供用停止種雄馬一覧”. 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2022年1月17日閲覧。
  39. ^ a b “種牡馬情報:世代・年次別(サラ系総合)|エアジハード”. JBISサーチ. 2022年1月14日閲覧。
  40. ^ “函館スプリントS、アグネスラズベリ初重賞制覇”. netkeiba.com. https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=21434 2022年1月17日閲覧。 
  41. ^ a b “ショウワモダン叩き上げの頂点! 父子2代マイル王に=安田記念”. スポーツナビ. https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201006060023-spnavi 2022年1月17日閲覧。 
  42. ^ “新たに加わった名馬たち”. 引退名馬. 2022年1月17日閲覧。
  43. ^ 佐々木祥恵. “「空気が読めて頭の良い子!」99年安田記念覇者エアジハードのいま(後編)”. netkeiba.com. 2022年1月17日閲覧。
  44. ^ “エアジハードの競走成績”. netkeiba.com. Net Dreamers Co., Ltd.. 2020年9月4日閲覧。
  45. ^ “競走成績:全競走成績|エアジハード”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年9月4日閲覧。
  46. ^ a b c “血統情報:5代血統表|エアジハード”. JBISサーチ. 2017年8月31日閲覧。
  47. ^ a b “エアジハードの血統表”. netkeiba.com. 2017年8月31日閲覧。

参考文献

  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 1999年1月号
      • 「【Play-back the Grade-Races 1998 November】第1回富士ステークス(GIII) エアジハード」
    • 1999年7月号
      • 広見直樹「【第49回安田記念観戦記】"絶対"のない競馬」
      • 「【Play-back the Grade-Races 1999 May】第44回京王杯スプリングカップ(GII) グラスワンダー」
      • 「【重賞データファイル 1999 May】第44回京王杯スプリングカップ(GII) グラスワンダー」
    • 1999年8月号
      • 「【Play-back the Grade-Races 1999 June】第49回安田記念(GI) エアジハード」
      • 「【重賞データファイル 1999 June】第49回安田記念(GI) エアジハード」
    • 1999年9月号
      • 「【有力馬の『夏』と『秋の動向』5歳以上・牡馬編】エアジハード」
      • 増田英樹「【'99春GI勝ち馬の故郷】社台ファーム 大切に育まれた才能」
    • 1999年11月号
      • 辻谷秋人「【第120回天皇賞(秋)直前情報 From美浦】調教技術の進歩による多様化したローテーション」
    • 1999年12月号
      • 優駿編集部「【第120回天皇賞(秋)】明暗を大きく分けた 菊花賞馬セイウンスカイ天皇賞馬スペシャルウィーク
    • 2004年11月号
      • 井口民樹「【サラブレッド・ヒーロー列伝 20世紀を駆けた名馬たち42】エアジハード 信念と忍耐と」
    • 2007年11月号
      • 奥岡幹浩「【名馬の蹄跡シリーズ 32】エアジハード グラスワンダーらと鎬を削った最強世代の名マイラー」

外部リンク

  • 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ、Racing Post
  • エアジハード - 競走馬のふるさと案内所
  • エアジハード(名馬.jp)
  • エアジハード (@airjihad) - Instagram
 
表彰・GI勝ち鞍
啓衆社賞
最良スプリンター
優駿賞
スプリンター賞
最優秀スプリンター
JRA賞
最優秀スプリンター
最優秀短距離馬
日本の旗 安田記念勝ち馬
   

国際競走指定前:
01回(1951年) イツセイ
02回(1952年) スウヰイスー
03回(1953年) スウヰイスー
04回(1954年) フソウ
05回(1955年) クリチカラ
06回(1956年) ヨシフサ
07回(1957年) ヘキラク
08回(1958年) ラプソデー
09回(1959年) ヒシマサル
第10回(1960年) オンワードベル
第11回(1961年) ホマレボシ
第12回(1962年) トウコン
第13回(1963年) ヤマノオー
第14回(1964年) シモフサホマレ
第15回(1965年) パナソニック
第16回(1966年) ヒシマサヒデ
第17回(1967年) ブツシヤン
第18回(1968年) シエスキイ
第19回(1969年) ハードウエイ
第20回(1970年) メジロアサマ
第21回(1971年) ハーバーゲイム
第22回(1972年) ラファール
第23回(1973年) ハクホオショウ
第24回(1974年) キョウエイグリーン
第25回(1975年) サクライワイ

第26回(1976年) ニシキエース
第27回(1977年) スカッシュソロン
第28回(1978年) ニッポーキング
第29回(1979年) ロイヤルシンザン
第30回(1980年) ブルーアレツ
第31回(1981年) タケデン
第32回(1982年) スイートネイティブ
第33回(1983年) キヨヒダカ
第34回(1984年) ハッピープログレス
第35回(1985年) ニホンピロウイナー
第36回(1986年) ギャロップダイナ
第37回(1987年) フレッシュボイス
第38回(1988年) ニッポーテイオー
第39回(1989年) バンブーメモリー
第40回(1990年) オグリキャップ
第41回(1991年) ダイイチルビー
第42回(1992年) ヤマニンゼファー

国際競走指定後:
第43回(1993年) 日本の旗 ヤマニンゼファー
第44回(1994年) 日本の旗 ノースフライト
第45回(1995年) アラブ首長国連邦の旗 ハートレイク
第46回(1996年) 日本の旗 トロットサンダー
第47回(1997年) 日本の旗 タイキブリザード
第48回(1998年) 日本の旗 タイキシャトル
第49回(1999年) 日本の旗 エアジハード

第50回(2000年) 香港の旗 フェアリーキングプローン
第51回(2001年) 日本の旗 ブラックホーク
第52回(2002年) 日本の旗 アドマイヤコジーン
第53回(2003年) 日本の旗 アグネスデジタル

国際G1昇格後:
第54回(2004年) 日本の旗 ツルマルボーイ
第55回(2005年) 日本の旗 アサクサデンエン
第56回(2006年) 香港の旗 ブリッシュラック
第57回(2007年) 日本の旗 ダイワメジャー
第58回(2008年) 日本の旗 ウオッカ
第59回(2009年) 日本の旗 ウオッカ
第60回(2010年) 日本の旗 ショウワモダン
第61回(2011年) 日本の旗 リアルインパクト
第62回(2012年) 日本の旗 ストロングリターン
第63回(2013年) 日本の旗 ロードカナロア
第64回(2014年) 日本の旗 ジャスタウェイ
第65回(2015年) 日本の旗 モーリス
第66回(2016年) 日本の旗 ロゴタイプ
第67回(2017年) 日本の旗 サトノアラジン
第68回(2018年) 日本の旗 モズアスコット
第69回(2019年) 日本の旗 インディチャンプ
第70回(2020年) 日本の旗 グランアレグリア
第71回(2021年) 日本の旗 ダノンキングリー
第72回(2022年) 日本の旗 ソングライン
第73回(2023年) 日本の旗 ソングライン

   

国際競走指定前:
01回(1984年) ニホンピロウイナー
02回(1985年) ニホンピロウイナー
03回(1986年) タカラスチール
04回(1987年) ニッポーテイオー
05回(1988年) サッカーボーイ
06回(1989年) オグリキャップ
07回(1990年) パッシングショット
08回(1991年) ダイタクヘリオス
09回(1992年) ダイタクヘリオス
第10回(1993年) シンコウラブリイ
第11回(1994年) ノースフライト
第12回(1995年) トロットサンダー
第13回(1996年) ジェニュイン
第14回(1997年) タイキシャトル

国際競走指定後:
第15回(1998年) 日本の旗 タイキシャトル
第16回(1999年) 日本の旗 エアジハード
第17回(2000年) 日本の旗 アグネスデジタル
第18回(2001年) 日本の旗 ゼンノエルシド
第19回(2002年) 日本の旗 トウカイポイント
第20回(2003年) 日本の旗 デュランダル

国際G1昇格後:
第21回(2004年) 日本の旗 デュランダル
第22回(2005年) 日本の旗 ハットトリック
第23回(2006年) 日本の旗 ダイワメジャー
第24回(2007年) 日本の旗 ダイワメジャー
第25回(2008年) 日本の旗 ブルーメンブラット
第26回(2009年) 日本の旗 カンパニー

第27回(2010年) 日本の旗 エーシンフォワード
第28回(2011年) 日本の旗 エイシンアポロン
第29回(2012年) 日本の旗 サダムパテック
第30回(2013年) 日本の旗 トーセンラー
第31回(2014年) 日本の旗 ダノンシャーク
第32回(2015年) 日本の旗 モーリス
第33回(2016年) 日本の旗 ミッキーアイル
第34回(2017年) 日本の旗 ペルシアンナイト
第35回(2018年) 日本の旗 ステルヴィオ
第36回(2019年) 日本の旗 インディチャンプ
第37回(2020年) 日本の旗 グランアレグリア
第38回(2021年) 日本の旗 グランアレグリア
第39回(2022年) 日本の旗 セリフォス
第40回(2023年) 日本の旗 ナミュール