青木薪次

曖昧さ回避 青木辰司」とは別人です。
青木 薪次
あおき しんじ
生年月日 (1926-04-08) 1926年4月8日
出生地 日本の旗 静岡県庵原郡庵原村〈現・静岡市清水区
没年月日 (2015-11-06) 2015年11月6日(89歳没)
出身校 東海大学科学技術専門学校中退
所属政党日本社会党→)
社会民主党
称号 勲一等瑞宝章

日本の旗 第61代 労働大臣
内閣 村山改造内閣
在任期間 1995年8月8日 - 1996年1月11日

選挙区 静岡県選挙区
当選回数 4回
在任期間 1974年7月8日 - 1998年7月25日
テンプレートを表示

青木 薪次(あおき しんじ、1926年4月8日 - 2015年11月6日)は、日本政治家。愛称はシンちゃん

参議院議員(4期)、参議院建設委員長、参議院逓信委員長、日本社会党参議院議員会長労働大臣(第60代)。

来歴・人物

静岡県庵原郡庵原村(のちの静岡県静岡市清水区)出身。東海大学科学技術専門学校を中退。国鉄労働組合を経て、1974年7月第10回参議院議員通常選挙にて日本社会党から立候補する。静岡県選挙区で初当選を果たし、以後、連続4回当選。

1994年6月自社さ連立政権村山内閣において、日本社会党参議院議員会長浜本万三労働大臣に就任したため、その後任として日本社会党参議院議員会長に就任した。1995年7月の第17回参議院議員通常選挙で日本社会党が惨敗し、その後発足した村山改造内閣では労働大臣に就任した。

1996年1月内閣総辞職により労働大臣を退任する。党名を変更した社会民主党に参加する。同年9月、社民党に所属する国会議員の大半が、鳩山由紀夫菅直人が提唱する「鳩菅新党構想」に賛同して集団離党するも、青木は社民党に残留した。1998年第18回参議院議員通常選挙には立候補せず、政界を引退する。

1999年春の叙勲で勲一等瑞宝章受章[1]

2015年11月6日、のため死去[2]。89歳没。

年譜

選挙歴

当落 選挙 施行日 選挙区 政党 得票数 得票率 得票順位
/候補者数
比例区 比例順位
/候補者数
第10回参議院議員通常選挙 1974年7月7日 静岡県地方区 日本社会党 441,053 25.8 2/7 - -
第12回参議院議員通常選挙 1980年6月22日 静岡県地方区 日本社会党 571,059 31.4 2/5 - -
第14回参議院議員通常選挙 1986年7月6日 静岡県選挙区 日本社会党 618,669 34.3 1/4 - -
第16回参議院議員通常選挙 1992年7月26日 静岡県選挙区 日本社会党 433,381 35.6 2/5 - -
当選回数4回 (参議院議員4)

著作

  • 『新世紀への序曲――住みよい国土の建設』青木薪次後援会、1986年
  • 『空洞化を吹き飛ばせ――汗と涙の労相奮闘記』労務行政研究所、1996年。ISBN 9784845261093

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 『官報』号外第83号30頁 平成11年4月30日号
  2. ^ 青木薪次氏死去=元社会党参院議員、元労相 時事通信 2015年11月7日閲覧[リンク切れ]

関連項目

  • 海野徹 - 1998年の第18回参議院議員通常選挙における後継候補(民主党・社民党など推薦、当選)
公職
先代
浜本万三
日本の旗 労働大臣
第61代:1995年 - 1996年
次代
永井孝信
議会
先代
糸久八重子
日本の旗 参議院逓信委員長
1989年 - 1990年
次代
一井淳治
先代
片岡勝治
日本の旗 参議院建設委員長
1983年 - 1984年
次代
本岡昭次
先代
川村清一
日本の旗 参議院災害対策特別委員長 次代
広田幸一
党職
先代
浜本万三
日本社会党
参議院議員会長

1994年 - 1996年
次代
(廃止)
日本の旗 労働大臣 (1995年-1996年)
再編前
厚生大臣
労働大臣
厚生労働大臣

2001年の省庁再編により厚生大臣と労働大臣は統合された。

カテゴリ Category:日本の厚生労働大臣・Category:日本の厚生大臣・Category:日本の労働大臣
第1回
(定数4)
3年議員
偶数回
定数2
第2回
第4回
第6回
第8回
第10回
第12回
第14回
第16回
第18回
第20回
第22回
第24回
第26回
奇数回
定数2
第3回
第5回
第7回
第9回
第11回
第13回
第15回
第17回
第19回
第21回
第23回
第25回
↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • VIAF
国立図書館
  • 日本