森下元晴
森下元晴 もりした もとはる | |
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生年月日 | (1922-04-12) 1922年4月12日 |
出生地 | 徳島県海部郡海陽町 |
没年月日 | (2014-03-11) 2014年3月11日(91歳没) |
出身校 | 東京高等農林学校(現東京農工大学) |
所属政党 | 自由民主党(河野派→中曽根派) |
称号 | 従三位(従七位より進階) |
第61代 厚生大臣 | |
内閣 | 鈴木善幸改造内閣 |
在任期間 | 1981年11月30日 - 1982年11月27日 |
選挙区 | 徳島県全県区 |
当選回数 | 8回 |
在任期間 | 1963年11月22日 - 1990年1月24日 |
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森下 元晴(もりした もとはる、1922年4月12日 - 2014年3月11日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。位階は従三位。
来歴・人物
徳島県海部郡海陽町出身。実家は先祖代々の林業家であり、自身も林業経営に携わった[1]。東京高等農林学校(現東京農工大学)卒業。1963年の衆院選に旧徳島県全県区から出馬し初当選(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。通算当選回数8回。
自民党内では河野一郎→中曽根康弘派に属し、1981年に発足した鈴木善幸改造内閣に厚生大臣として初入閣。その後は自民党国会対策委員長、中曽根派事務総長などを務めた。1990年に政界引退。
政界引退後の2008年には、『杜のいのち、自然の摂理を(多くの人たちに)知って欲しい』という願いから森下家が所有していた森林を徳島県に寄付した[1]。
2014年3月11日、老衰のため死去[2]。91歳没。没後、従七位から従三位に進階追叙された[3]。
脚注
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議会 | ||
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先代 木野晴夫 | 衆議院社会労働委員長 1978年 - 1979年 | 次代 葉梨信行 |
公職 | ||
先代 村山達雄 | 厚生大臣 第62代:1981年 - 1982年 | 次代 林義郎 |
先代 塩川正十郎 矢野登 | 通商産業政務次官 楠正俊と共同 1973年 - 1974年 | 次代 渡部恒三 嶋崎均 |
党職 | ||
先代 江藤隆美 | 自由民主党国会対策委員長 第29代 : 1984年 | 次代 江藤隆美 |
衆議院社会労働委員長 | |
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再編前 |
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厚生労働大臣 | |||||
2001年の省庁再編により厚生大臣と労働大臣は統合された。 Category:日本の厚生労働大臣・Category:日本の厚生大臣・Category:日本の労働大臣 |
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