栃尾市

曖昧さ回避 この項目では、長岡市に併合された栃尾市について説明しています。併合後の動向については「栃尾 (長岡市)」をご覧ください。
とちおし
栃尾市
上杉謙信公銅像(秋葉公園)
上杉謙信公銅像(秋葉公園)
栃尾市旗
栃尾市章
栃尾市章
栃尾市旗 栃尾市章
1959年7月20日制定
廃止日 2006年1月1日
廃止理由 編入合併
栃尾市寺泊町与板町和島村→ 長岡市
現在の自治体 長岡市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
甲信越地方
都道府県 新潟県
市町村コード 15215-3
面積 204.92km2
総人口 23,089
推計人口、2005年12月1日)
隣接自治体 長岡市、見附市、三条市、魚沼市
栃尾市役所
所在地 940-0298
新潟県栃尾市金町2丁目1番5号
外部リンク 栃尾市(WARP)
座標 北緯37度28分49秒 東経138度59分34秒 / 北緯37.48039度 東経138.99264度 / 37.48039; 138.99264座標: 北緯37度28分49秒 東経138度59分34秒 / 北緯37.48039度 東経138.99264度 / 37.48039; 138.99264
栃尾市の位置
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ウィキプロジェクト
長岡市における平成の大合併。当市は東部に位置した。

栃尾市(とちおし)は、かつて新潟県に存在した2006年1月1日長岡市に編入されて消滅した。豊富な湧水や「栃尾のあぶらげ」(油揚げ)、上杉謙信ゆかりの地として知られている。

概要

栃尾中心街(谷内通り、合併後の2012年撮影)

刈谷田川と西谷川の合流点に広がる平地に市街地が形成されており、中心街は中世の山城・栃尾城麓の城下町として発展し[1]、近世には長岡藩代官所が置かれた。古くから繊維産業が盛んであり[2]、「栃尾」として知られている。

中心街は雁木のまち並みが多く残っており[3]、表町地区では1990年代末から新潟大学工学部建設学科と共同で雁木を活かしたまちづくりプロジェクトが行われている[1][4]

長岡市への通勤率は20.7%(平成17年国勢調査)

地理

旧・栃尾市章

新潟県のほぼ中央に位置する[注釈 1]。長岡東山連峰を境に越後平野と隣接した栃尾盆地の中央に、守門岳西面を水源地とし信濃川に至る刈谷田川とその支流の西谷川が合流する。市域はこれらの流域に加え、同じく刈谷田川支流の塩谷川、稚児清水川の流域を合わせたかたちとなる。冬季は積雪量が多く、山間部では積雪深4 m超を記録した年もある[5]

隣接していた自治体

歴史

市域の変遷

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い古志郡栃尾村、一ノ渡戸村、山田村が合併し、橡尾町(とちおまち)が発足。
  • 1911年(明治44年)7月1日 - 栃尾町に表記を変更。
  • 1939年(昭和14年)7月1日 - 古志郡荷頃村の一部を編入。
  • 1954年(昭和29年)
    • 3月31日 - 古志郡上北谷村が二分割され、栃尾町と南蒲原郡見附町へ編入され消滅。見附町は即日市制施行し見附市となる。
    • 6月1日 - 古志郡下塩谷村上塩谷村、東谷村、荷頃村を編入し、即日市制施行して栃尾市となる。
  • 1955年(昭和30年)3月31日 - 古志郡西谷村、入東谷村を編入。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 古志郡中野俣村半蔵金村を編入。
  • 2006年(平成18年)1月1日 - 長岡市に編入されて消滅。(住民投票の結果:賛成9655票、反対5193票。投票率は72・46%.)

出来事

人口

栃尾市(に相当する地域)の人口推移(ただし昭和22年以前の数値は推定[注釈 3])。

1920年(大正9年) 33,212人
1925年(大正14年) 33,909人
1930年(昭和5年) 34,118人
1935年(昭和10年) 34,341人
1940年(昭和15年) 33,918人
1947年(昭和22年) 38,530人
1950年(昭和25年) 39,029人
1955年(昭和30年) 38,455人
1960年(昭和35年) 37,681人
1965年(昭和40年) 36,013人
1970年(昭和45年) 34,431人
1975年(昭和50年) 32,324人
1980年(昭和55年) 30,694人
1985年(昭和60年) 29,692人
1990年(平成2年) 27,809人
1995年(平成7年) 26,390人
2000年(平成12年) 24,704人
2005年(平成17年) 23,168人
2010年(平成22年) 21,004人
2015年(平成27年) 18,761人
出典:総務省統計局 e-Stat / 国勢調査

行政

歴代市長

氏名 就任年月日 退任年月日
1 皆川信吾 1954年4月 1961年5月
2 千野勝司 1961年5月 1966年11月
3 山井龍三郎 1966年11月 1970年11月
4 渡辺芳夫 1970年11月 1986年11月
5 杵渕衛 1986年11月 2002年11月
6 馬場潤一郎 2002年11月 2006年3月

経済

産業

繊維製品
平坦地に乏しく米の収穫量に限界があった山間部では農家が養蚕・機織りや染色を行い、栃尾の産地として広く知られていた。明治維新以降は集約化が進み、関係企業がひしめくこととなった[注釈 4]。和服の需要減少により栃尾の繊維産業織物ニット製品が主力となった。戦後は高度成長期を迎え好調であったが円高の進行により海外との競争が激化。出荷高も昭和59年をピークに下降、撤退する業者も出た。
油揚げ
紬に代わり、栃尾という地名がブランド化して定着した商品である。通常の物とは厚みや長さが全く異なる油揚げのルーツは、馬の商談に訪れた農民や馬喰たちが手づかみで食べやすいように変化したものという説が一般的である。

商業

  • とちおショッピングモール トッピイ - 食品スーパーのマルイと地元商業者が主導となり、22,127 ㎡の敷地に本棟・別棟計6,520 ㎡の平屋の建物と450台の駐車場、25のテナントを備えたショッピングセンターとして2000年(平成12年)4月にオープン[9]

姉妹都市・提携都市

  • 白鷹町(山形県)
    上杉謙信による歴史的繋がりや企業の繋がり、共通する地勢などから1972年(昭和47年)5月11日姉妹都市提携[10]

教育

小学校
  • 栃尾市立 上塩小学校
  • 栃尾市立 下塩小学校
  • 栃尾市立 栃尾東小学校
  • 栃尾市立 栃尾南小学校
  • 栃尾市立 中野俣小学校
  • 栃尾市立 荷頃小学校
  • 栃尾市立 西谷小学校
  • 栃尾市立 東谷小学校

合併以前の廃校については新潟県小学校の廃校一覧を参照。

中学校
  • 栃尾市立 秋葉中学校
  • 栃尾市立 刈谷田中学校

合併以前の廃校については新潟県中学校の廃校一覧を参照。

高等学校

交通

栃尾地域および周辺のバス路線図。

鉄道

越後交通栃尾線(1973年4月16日廃止)
楡原駅 - 栃尾駅

バス

  • 越後交通 - 栃尾駅跡に栃尾営業所が置かれている。長岡方面とを結ぶ路線や、旧栃尾市域内の路線を数多く運行している。

道路

一般国道
市内を走る一般国道
国道290号
国道351号
県道(主要地方道
新潟県道9号長岡栃尾巻線
新潟県道19号見附栃尾線
新潟県道24号栃尾山古志線
新潟県道57号栃尾守門線
道の駅
道の駅R290とちお

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

杜々の森名水公園
ほだれ祭

娯楽

  • とちおファミリースキー場 - 栃堀のふるさと交流広場に1998年オープン[12]
  • 道院自然ふれあいの森 - 新潟県指定青少年教育キャンプ地[13]。1950年代に道院湖畔に「道院ヒュッテ」が完成[14]。1980年代半ばには遊歩道や管理棟「道院荘」などが[15][16]、1990年代半ばにはグレステンスキー場(夏スキー)や食堂棟、オートキャンプ場、宿泊施設の「ロッジ道院」などが整備された[17][18][19]
  • 栃尾劇場 - 1969年の栃尾市では唯一の映画館[注釈 5]

出身有名人

脚注

注釈

  1. ^ 隣接の見附市は「新潟県のへそ」を自称する。
  2. ^ 当時は刈谷田川の流路が異なり、栃尾市民会館付近で西谷川と合流していた。市街中心部での氾濫により被害が増大した。後の河川改修で下流に合流地点が移る。
  3. ^ 上北谷村の分割に伴う処置。分割時の栃尾町編入住民の比率に基づき、分割以前の上北谷村人口を加算した。
  4. ^ 目につきにくい郡部で広い敷地をもった工場として軍の関心が向き、太平洋戦争下においては工場が兵器生産工場の疎開先として利用されたケースがある。
  5. ^ 1969年の映画館(北陸・甲信越地方)「消えた映画館の記憶」を参照した[20]

出典

  1. ^ a b 雁木と栃尾の町並み - 栃尾観光協会 - ウェイバックマシン(2021年2月25日アーカイブ分)
  2. ^ 栃尾市の歩みと性格 - 長岡市.2018年11月29日閲覧。
  3. ^ 菅原邦生、「近世・近代の栃尾(長岡市)における雁木通りの形成過程と雁木の形態」『日本雪工学会誌』 2013年 30巻 4号 p.279-290, doi:10.4106/jsse.30.279
  4. ^ 雁木づくり - 長岡市.2019年3月3日閲覧。
  5. ^ “松尾の集落再生計画”. 新潟県 (2006年8月4日). 2019年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月10日閲覧。
  6. ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、159頁。ISBN 9784816922749。 
  7. ^ 「文化センターが完成」(PDF)『広報とちお』第321号、栃尾市、1983年9月10日、8頁。 
  8. ^ a b 市町村要覧:栃尾市
  9. ^ “新潟・栃尾市で初のSCきょう開業。”. 日本経済新聞. (2000年4月25日). p. 22 地方経済面 新潟 
  10. ^ 「歴史と企業が縁結び 白鷹町と姉妹都市を盟約」(PDF)『広報とちお』第186号、栃尾市、1972年6月10日、2頁。 
  11. ^ 「合格街道 上来伝」(PDF)『広報とちお』第468号、栃尾市、1996年1月5日、1頁。 
  12. ^ 「とちおファミリースキー場」(PDF)『広報とちお』第503号、栃尾市、1999年1月5日、11頁。 
  13. ^ 「道院で森林浴を楽しみませんか」(PDF)『広報とちお』第355号、栃尾市、1986年7月10日、6-7頁。 
  14. ^ 「道院湖畔にヒュッテ完成」(PDF)『広報とちお』第2号、栃尾市、1956年11月10日、2頁。 
  15. ^ 「ダム周辺整備いよいよ始動」(PDF)『広報とちお』第287号、栃尾市、1980年11月10日、8頁。 
  16. ^ 「まもなく完成「道院荘」」(PDF)『広報とちお』第298号、栃尾市、1981年10月10日、7頁。 
  17. ^ 「アウトドアスポーツ 道院自然ふれあいの森 整備計画」(PDF)『広報とちお』第448号、栃尾市、1994年5月、2-3頁。 
  18. ^ 「栃尾グレステンスキー場 7月29日オープン」(PDF)『広報とちお』第462号、栃尾市、1995年7月5日、13頁。 
  19. ^ 「オートキャンプ場 ロッジ道院 がオープン」(PDF)『広報とちお』第487号、栃尾市、1997年8月、10-11頁。 
  20. ^ 『映画年鑑 1969年版 別冊 映画便覧 1969』時事通信社、1969年
  21. ^ “広報とちお おしらせ版(昭和63年9月25日号)”. 栃尾市. p. 1 (1988年9月25日). 2022年3月24日閲覧。

参考文献

  • 『市町村名変遷辞典』東京堂出版, 1990年。
  • “平成14年度市町村要覧”. 新潟県. 2004年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月3日閲覧。

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、栃尾市に関連するカテゴリがあります。

外部リンク

行政
  • 長岡市
    • 長岡市・栃尾市のデータ
    • 広報誌で見る長岡:とちお
  • 栃尾市(2006/03/25アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  • 栃尾市(アーカイブ) - WayBack Machine
  • 長岡市・栃尾市合併協議会(2005/12/05アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
観光
  • 栃尾観光協会
  • 観光:栃尾エリア - 長岡市
    • 栃尾地域パンフレット
新潟県長岡地域の廃止市町村
()内は廃止年。*:複数の自治体に分割して廃止。取消線:他市町村域
 
現・長岡市域(平成期編入市町村)
中之島町(2005年)

神通村・中通村・中野村・中条村・信条村西所村三沼村(1901年)

寺泊町(2006年)
大河津村*(1957年)

善高村・五千石村・下桐原村本与板村*(1901年)

北西越村・西山村・潟村・野積村(1901年)
与板町(2006年)
大津村*(1955年)

大都村・天津村(1901年)

大河津村*前述(1957年)・黒川村(1955年)本与板村*(1901年)
三島町(2005年)
脇野町(1955年)

上岩井村・吉川村(1901年)

日吉村*(1956年)・大津村*前述(1955年)
和島村(2006年)
桐島村(1955年)

桐原村・島崎村(1901年)

島田村(1955年)

小島谷村・村田村(1901年)

越路町(2005年)
来迎寺村(1955年)

中野島村・浦村(1901年)

岩塚村(1955年)

岩田村・飯塚村(1901年)

千谷沢村*(1957年)塚山村・石津村(1955年)
栃尾市(2006年)
下塩谷村(1954年)

五日町村・川谷村・吉樫村(1901年)

上塩谷村(1954年)

上塩村(1901年)

東谷村(1954年)

前東谷村橡堀村(1901年)

荷頃村(1954年)

一之貝村(1901年)

中野俣村半蔵金村(1956年)入東谷村・西谷村(1955年)上北谷村*(1954年)
山古志村(2005年)
太田村(1956年)

蓬沢村虫亀村(1901年)

種苧原村・竹沢村・東竹沢村(1956年)
川口町(2010年)
薭生村(1929年)

上川村(1901年)

東山村*田麦山村(1954年)・津山村(1901年)
小国町(2005年)
小国村(1956年)

山横沢村(1955年)・中里村・横沢村・武石村・七日町村(1949年)

上小国村(1956年)
森山村(1901年)

森光村・小栗山村(1900年)

仙田村*(1952年)・増田村・結城野村法末村(1901年)
千谷沢村*(1957年)
 
現・長岡市域(昭和期以前編入市町村)
三島郡
二和村(1960年)

宮本村・大積村(1956年)

関原町(1957年)

日吉村*(1956年)

深才村(1954年)

深沢村・才津村・大島村(1901年)

日越村王寺川村(1954年)
古志郡
十日町村(1954年)

高島村(1901年)

下川西村(1954年)

芹川村川李村(1901年)

六日市村*(1954年)

山谷沢村(1901年)

宮内町(1954年)

宮内村・石坂村・中通村・前川村(1901年)

上川西村(1954年)

川西村・四箇村(1906年)

栖吉村(1950年)

中貫村(1901年)

四郎丸村(1921年)

川崎村(1901年)

山本村・黒条村新組村福戸村(1954年)富曽亀村(1951年)・山通村(1948年)長岡本町・長岡町・千手町・草生津町・新町・王内村(1901年)
 
現・小千谷市
片貝町(1956年)

高梨村(1901年)

六日市村*(1954年)

山谷沢村(1901年)

城川村(1954年)

桜町村鴻野谷村*(1901年)

千田村(1954年)

三仏生村鴻野谷村*(1901年)

薭生村*(1929年)

上川村(1901年)

山辺村(1942年)・吉谷村(1943年)・川井村・東山村*(1954年)・岩沢村・真人村(1955年)
 
現・見附市
今町(1956年)
坂井村(1925年)

下関村・三林村(1901年)

葛巻村(1954年)

郷分村出面村(1901年)

庄川村(1934年)

外通村杉沢村(1901年)

北谷村(1953年)・新潟村上北谷村*(1954年)
 
現・出雲崎町
西越村(1957年)

中越村八手村(1901年)

尼瀬町(1904年)
外部リンク:市町村の変遷一覧表(新潟県HP)
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