前田直方

前田直方像

前田 直方(まえだ なおただ、寛延元年閏10月27日(1748年12月17日) - 文政6年11月17日(1823年12月18日))は、江戸時代中期から後期の加賀藩の人物。加賀八家筆頭前田土佐守家の6代当主。父は土佐守家5代・前田直躬。兄2人がいる。子は前田直養など。土佐守家7代・前田直時は孫である。幼名、母の名は不明。通称は九八郎、内匠、三左衛門など。官位は父と同じく従五位下土佐守。

宝暦13年(1763年元服し、家禄11000石とは別に2500石を新規に与えられ出仕した。明和3年(1766年)7月京都芳春院において、前田利家正室芳春院の百五十回忌法要を、病身の父直躬に代わって藩主名代、御法事奉行として執り行う。安永3年(1774年)、27歳で家督を相続。土佐守に叙任され直之系前田氏当主で2人目の土佐守となった。

人物

父に似て好学の人物、文人であり、生涯に書き著した随筆の数は百を超える。有沢流兵学の秘伝を伝承された兵学者でもあり、軍事にも通じていて藩校経武館の看板を揮毫している。このほか家臣とともに金沢城下の測量も行った。

政治手腕、思想は父に似ていたようであるが、2度にわたって挫折し、結局成果を残せず引退している。


加賀梅鉢紋前田土佐守家第6代当主(1774年 - 1812年)
宗家

分家・支流

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