黎太宗

太宗 黎元龍
後黎朝
第2代皇帝
王朝 後黎朝
在位期間 1434年 - 1443年
姓・諱 黎元龍(黎麟)
諡号 継天体道顕徳聖功欽明文思英睿仁哲昭憲建中文皇帝
廟号 太宗
生年 永楽21年11月20日
1423年12月22日
没年 大宝4年8月4日
1443年8月28日
太祖
恭慈皇后
后妃 宣慈皇后
陵墓 祐陵
元号 紹平 : 1434年 - 1440年
大宝 : 1440年 - 1443年
中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
大越史記全書/本紀巻之十一 黎皇朝紀

黎太宗(れいたいそう、レ・タイトン、ベトナム語: Lê Thái Tông)は、後黎朝大越の第2代皇帝(在位:1434年 - 1443年)。名は黎 元龍(れい げんりゅう、ベトナム語: Lê Nguyên Long)または黎 麟(れい りん、ベトナム語: Lê Lân)。

生涯

太祖黎利の次男。父帝が崩御すると即位し、紹平と改元した。朝政は全て黎察の補弼により裁決されたが、見識がなかった黎察には不法行為が多く、忠臣を多く殺害した。成長した太宗は親政を開始したが、輔政に人材を得ないまま、間もなく酒色にふけるようになった。

大宝3年(1442年)7月に至霊県で閲兵したとき、当地で隠居していた元宰相の阮廌から端女の阮氏路を召し上げて寵愛した。嘉定県に至ったところ、太宗は突然崩御した。朝廷は阮氏路が太宗を弑逆したものとして、阮廌を逮捕し、その一族を処刑した。

関連作品

映画
  • ソード・オブ・アサシン(2012年、ベトナム)
先代
太祖
後黎朝の第2代皇帝
1434年 - 1443年
次代
仁宗
黎朝の皇帝
前期

太祖高皇帝 → 太宗文皇帝 → 仁宗宣皇帝 → (厲徳侯) → 聖宗淳皇帝憲宗睿皇帝粛宗欽皇帝威穆帝 → 襄翼帝 → (黎光治) → 昭宗神皇帝恭皇帝

後期(分裂期)

荘宗裕皇帝中宗武皇帝 → 英宗峻皇帝 → 世宗毅皇帝

後期(再統一後)

世宗毅皇帝 → 敬宗恵皇帝 → 神宗淵皇帝 → 真宗順皇帝 → 神宗淵皇帝(重祚) → 玄宗穆皇帝 → 嘉宗美皇帝 → 熙宗章皇帝裕宗和皇帝昏徳公 → 純宗簡皇帝 → 懿宗徽皇帝 → 顕宗永皇帝 → 愍皇帝

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