閑院宮愛仁親王

閑院宮愛仁親王
閑院宮
閑院宮愛仁親王像(宮内庁書陵部蔵)
続柄 閑院宮孝仁親王第二王子

身位 親王
敬称 殿下
出生 1818年2月17日
(文化15年1月13日)
死去 (1842-10-20) 1842年10月20日(24歳没)
天保13年9月17日)
父親 閑院宮孝仁親王東山天皇玄孫)
母親 鷹司吉子(東山天皇玄孫)
役職 弾正尹
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閑院宮愛仁親王(かんいんのみや なるひとしんのう、文化15年1月13日(1818年2月17日) - 天保13年9月17日(1842年10月20日))は、江戸時代皇族世襲親王家閑院宮第5代当主。父は孝仁親王東山天皇玄孫)。母は関白鷹司政熙東山天皇曾孫)の三女の鷹司吉子。

経歴

文政11年(1828年)に親王宣下元服。天保11年(1840年)にはとこにあたる敏宮淑子内親王仁孝天皇の第三皇女、孝明天皇和宮親子内親王の異母姉)と婚約するも、婚儀前に死去した。

愛仁親王には嗣子がなかったため、愛仁親王没後は実母の鷹司吉子(東山天皇玄孫)が当主格に遇された。その後、明治時代に入って、伏見宮邦家親王第16王子の載仁親王が継承した[1]

脚注

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  1. ^ “閑院宮(かんいんのみや)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年3月15日閲覧。

外部リンク

閑院宮 (第5代)
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