藤井喬

曖昧さ回避 ふじいたかし」、「藤井隆 (曖昧さ回避)」、「藤井貴」、「藤井貴司」、あるいは「藤井喬梓」とは別人です。

藤井 喬(ふじい たかし、1909年11月27日[1] - 2001年12月5日[2])は、日本郷土史家で歌人

経歴

東京高等師範学校(現在の筑波大学)を卒業後、1931年昭和6年)に香川県で中学教諭となる。その後、徳島県辻高校阿波高校の校長を経て、1971年(昭和46年)に徳島文理大学教授に就任。1987年(昭和62年)退職。

2001年12月5日、老衰のため死去[1]

著書

  • 『涙草の研究』藤井喬、1935年。 
  • 岩雲花香覚書』藤井喬、1958年。 
  • 『阿波の土柱』土柱堂、1959年。 
  • 『女流歌人細井菊枝と枕流集など』藤井喬、1960年。 
  • 『涙草原解』原田印刷出版、1969年。 
  • 『阿波文学探歩』原田印刷出版、1969年。 
  • 『阿波人物志』原田印刷出版、1973年。 
  • 『七条文堂と百世草など』日本古書通信社、1974年。 
  • 『阿波文学碑考』原田印刷出版、1974年。 
  • 『土御門上皇と阿波』土成町観光協会、1975年。 
  • 『七条文堂の研究 その生涯と業績』徳島県教育会、1976年。 
  • 『藻塩草』教育出版センター、1977年。 
  • 『徳島先賢伝』原田印刷出版、1987年。 
  • 『流離の歌人加納小郭家』原田印刷出版、1988年。 

脚注

  1. ^ a b 『現代物故者事典2000~2002』(日外アソシエーツ、2003年)p.528
  2. ^ 『人物物故大年表』

関連項目

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