林小一郎

林 小一郎(はやし こいちろう、1853年嘉永6年4月[1])- 1926年大正15年)8月10日[1])は、明治から大正時代の政治家衆議院議員(2期)。

経歴

美濃国加茂郡太田村(岐阜県加茂郡太田町を経て現美濃加茂市)で素封家・林市郎兵衛の長男として生まれる[2]。16歳の時、名古屋藩の隊伍に加わったのち、笠松の儒者角田欽江につき漢籍を修めた[3]。その後、1869年(明治2年)愛知県丹羽郡丹羽村の鷲津毅堂の塾に学んだ[3]

農業を営む傍ら、岐阜県会議員に当選し、同常置委員を歴任[1]。地方産業の発展や鉄道敷設などに尽力した[1]1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では岐阜県第6区から出馬し当選[1]1904年明治37年)3月の第9回総選挙でも当選し衆議院議員を通算2期務めた[1]

親族

  • 次弟:桑原善吉(貴族院多額納税者議員)[2]
  • 三女:茂子(男爵・石河光昂妻)[4]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 衆議院、参議院 編 1962, 400頁.
  2. ^ a b 菊池 1928, 48頁.
  3. ^ a b 篠田 1891, 381頁.
  4. ^ 人事興信所 1928, イ134頁.

参考文献

  • 篠田正作 編『明治新立志編』鍾美堂、1891年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778813 
  • 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127124 
  • 菊池武徳『日本木材界人物伝 第2巻』日本木材界人物伝編纂部、1928年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112426 
  • 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3000139