智蔵

曖昧さ回避 この項目では、中国出身の三論宗の僧について説明しています。中観派の僧については「ジュニャーナガルバ」をご覧ください。

智蔵(ちぞう)は、飛鳥時代日本で活動した中国)出身の仏教僧侶。日本の三論宗の祖の一人。俗姓は熊凝(くまごり)[1]

略歴

飛鳥時代に呉から父・福亮と共に来日。元興寺慧灌に三論を学ぶ。その後、に渡り、恵灌の師であり三論宗の大成者でもある吉蔵に直接師事、帰国後、法隆寺で三論宗を広めた。

天武天皇2年(673年)に僧正となる。

詩作にも優れ、漢詩2首が『懐風藻』に撰録されている。

脚注・出典

  1. ^ 智蔵とは - コトバンク/日本人名大辞典(講談社

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