日本のサッカー

日本のサッカー
2010年のJリーグカップの決勝戦でゴールをよろこぶジュビロ磐田の選手とサポーター。
日本
統括組織 日本サッカー協会 (JFA)
代表チーム 日本代表
日本女子代表
初試合 1917年10月21日
国内大会
男子のナショナルチームの大会

女子のナショナルチームの大会

クラブ大会
国際大会
男子のクラブチームの大会

女子のクラブチームの大会

日本のサッカー(にほんのサッカー)では、日本国内におけるサッカー競技(蹴球)について記述する。

名称

日本ではサッカーという名称で呼ばれ、漢字では蹴球という文字が当てられる。

日本にサッカーが伝来した1900年代初頭から1940年代にかけては、Footballをカタカナにしたフートボール、Association Footballをカタカナにしたアッソシエーションフットボール[1]、Associationをカタカナにしたアソシエーション[2] など様々な呼び方が行われた。

蹴球という漢字の当て方もこの頃から存在した。蹴球という漢字は、蹴鞠からヒントを得ているが、実際サッカーが日本にもたらされた当初は、このスポーツは西洋人が行う蹴鞠の一種であるとみなされていた。更に「蹴球」という言葉が使われだした当初は「蹴球」と「蹴鞠」の使用が未分化であった。これは概念として「蹴球」と「蹴鞠」が未分化であった事を示している。「蹴球」という概念が「蹴鞠」別個に成立するのは、日本人が本格的にサッカーの受容を始めるのを待たねばならず、「蹴球」という呼び方が、完全に「蹴鞠」と分かれて確立するのもこれに沿っている。また、この蹴球とアッソシエーションフットボールを併せて「ア式蹴球」という呼び方もなされた[3]。原語の「Soccer」は1960年代頃から使われ始めた。「Association」の「soc」 に「er」を 加えたもので、その造語法はかつてのイングランドの学生たちのスラングによく見られたものであり、1889年頃、「Rugger (Rugby footballの略称)」 の対語としてオックスフォード大学の学生たちが使い始めたものである。これ以外にもソッカーという読みの例も存在する。

蹴球という言葉は戦後すぐの1946年に「蹴」の文字が当用漢字外となったことからマスメディアで使用できなくなった。当時はアメリカの占領下にあったが、アメリカでは一般的に「フットボール」とは「アメリカンフットボール」を指し、アソシエーション・フットボールは「サッカー」と呼称されていたこともあり、日本でも「サッカー」名称が使用されるようになった。

「サッカー」が一般化する前に創設したクラブではラグビーとの区別のため様々な名称が使われており、慶應義塾におけるサッカー部の名称は「ソッカー部」であるが、これは先に創部した「蹴球部(ラグビー部)」との区別のためあえて命名された[4]。このほかにも早稲田[5]東京大学一橋大学は「ア式蹴球部」である。ちなみに早大ラグビー部の正式名称は「ラグビー蹴球部」である。

歴史

伝来

日本へのサッカーの伝来は、1872年神戸市外国人居留地で行われた試合が最初という説と1866年横浜市山手でイギリス軍が行った試合が初という説がある。試合の内容としては「軍人」VS「市民」「横浜市民3年以上」VS「横浜市民3年以下」などの編成であった。1873年東京市京橋区築地の海軍兵学寮において、イギリス海軍中佐(Commander)アーチボルド・ルシアス・ダグラス を団長とする、イギリス海軍軍事顧問団(the Second British Naval Mission to Japan)が紹介した[6] のを最初とする説もあるがはっきりしない。もう一つの説として、1874年、工学部工学寮(現在の東京大学工学部)のスコットランド人の測量技師ライマー・ジョーンズが体育教育の一環としてサッカーを教えたという説もある。なお、日本サッカー協会はダグラス"少佐"起源説を支持している。その後は神戸横浜を中心とした外国との交易港のある街ではイギリス人を中心とする外国人によるサッカークラブが創設され、サッカーが行われていた。こうした港湾都市において最初の伝来が見られたことはスペインバルセロナイタリアジェノヴァブラジルリオデジャネイロと同一の例には枚挙の暇がない事である。

1870年代末になって富国強兵の一環として国民の健康な身体の維持、軍事教練の一環として「体育」、「体操」という概念の発芽が見られるようになった。1879年に体育教育の教員養成過程として設立されたのが体操伝習所である。体操伝習所の坪井玄道1885年に著した『戸外遊戯法』の中でアソシエーション式フットボールを「フートボール」として紹介している。

また、サッカーが最初に師範学校、神戸市の御影師範学校で受容されたのは非常に重要な事であった。近畿地方がサッカー先進地となり、師範学校の交流を通じて東京高等師範学校(以下、東京高師)(現、筑波大学)をはじめ全国の師範学校もこれに追随する事に影響した。東京高師が日本最古のサッカーチームとして立ち上がることとなる。(1896)(元、筑波大学体育会蹴球部)そして1917年10月21日には、近畿の師範学校を中心として近畿蹴球大会が開催された。

この教員養成を行う師範学校で普及した事は、部員たちが卒業し各地で教員となることによって、波及的に全国の中等学校高等学校に広まって行くという事に影響した。この中でも、やはり近畿地方では比較的サッカーの受容が早く、しかも府県内の中等学校で広範囲に行われた。中等学校でのサッカーの広まりを受けて、1918年大阪府豊中村(現豊中市)の豊中グラウンド第1回日本フートボール優勝大会が実施された。これが現在も続く全国高等学校サッカー選手権大会の始まりである。高校選手権は1975年まで、大阪、兵庫両府県を中心とする近畿地方で開催されていた。

女子サッカーは、1920年代に香川県立丸亀高等女学校の生徒たちが運動会の際、袴姿でサッカーをする様子を撮影した写真が現存しているが[7]、その後、1960年代から現代サッカーを行う女性が少しずつ見られはじめていった。

黎明期

1917年、東京高等師範学校が第3回極東選手権競技大会サッカー競技に出場した。これが、初めて日本を代表するチームが、国際試合を行った事例とされる。結果は中華民国代表に0対5、フィリピン代表に2対15と敗れた[8]。1918年になると、全国高校サッカー選手権大会の前身となる日本フートボール大会が開催されるなど、この頃には数多くの国内大会が開かれるなど、この頃にはサッカーは日本国内である程度、普及していた。

また、1921年9月10日に日本サッカー協会の前身である大日本蹴球協会が創設され、また天皇杯全日本サッカー選手権大会の前身でもあるア式蹴球全国優勝競技会が開催されるなど、現在の日本のサッカーの基礎を形作るとも言える組織や大会も姿を見せていた。1923年の第6回極東選手権の試合は、日本で初めての国際Aマッチの試合として認定されている[9]。1927年の第8回極東選手権で、日本代表はフィリピンを破り、国際大会で初めての勝利を手にする[10]

1936年、日本代表はベルリンオリンピックにて初めてオリンピックのサッカー競技に出場した。ここで、日本代表は優勝候補の一つであったスウェーデン代表に勝利した(ベルリンの奇跡)。

1954 FIFAワールドカップ・予選で初めて日本はW杯の予選に参加した。なお、中華民国が出場を辞退したため日本は韓国と対戦するも、1分1敗の結果となり本戦出場は成らなかった。1960年ローマオリンピックにも出場したが、予選で敗退した[11]

1964年、日本代表は東京オリンピックに出場した。日本代表はグループDで戦い、ここでアルゼンチン代表を逆転で破るなどでグループDの争いに勝ち抜き、ベスト8の成績を残した[11][12]

1965年、日本サッカーリーグ(JSL)が開幕した。

1968年、日本代表はメキシコシティーオリンピックに出場し、3位決定戦で開催国のメキシコ代表を破り銅メダルを獲得した。これは、オリンピックのサッカーではアジア勢初のメダルだった。また、日本代表のスポーツマンシップには賞賛の声が寄せられフェアプレー賞を受賞した[11]。この大会で釜本邦茂が大会得点王を獲得している。

だが、1970年代から1980年代は国際的な大会で目立った活躍を残せなかった[13]。一方で、この時期には日本国内でさまざまな改革が行われており、後に日本サッカーが躍進する切っ掛けとなった時代でもあった[14]

1972年、東京で日本初の女子サッカークラブとなるFCジンナンが発足した。

1993年以降

1993年、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)が創設・開始された。1996年にはJリーグ百年構想を打ち出し、長期的な視点に立った日本のサッカーレベルの引き上げ、日本のサッカー文化の向上を目標に掲げた。

1997年11月、1998 FIFAワールドカップ アジア第3代表決定戦(ジョホールバルの歓喜)でイラン代表を破り、W杯初出場を決めた。1998 FIFAワールドカップ本大会は3戦全敗に終わったが、中山雅史ジャマイカ代表戦で日本代表としてのW杯初得点を記録した。

2002 FIFAワールドカップロシア代表戦でW杯初勝利を挙げた。

女子サッカーにおいてはサッカー日本女子代表は世界トップクラスの実力を備えており、2011年ドイツワールドカップでは優勝を果たしている。他にも2012年ロンドンオリンピック銀メダルに輝き、2014 AFC女子アジアカップで優勝するなど数々のタイトルを獲得している。

統括組織

現在、日本国内におけるほぼ全てのサッカー競技に関する事象を統括している統括組織が公益財団法人日本サッカー協会(Japan Football Association; JFA)である。

1921年9月10日に前身となる「大日本蹴球協会」が設立され、1929年5月17日に、国際サッカー連盟(FIFA)に加盟した[15][16]。ただ、1940年頃には第二次世界大戦の戦局が次第に激しくなり、サッカーを含めた欧米型のスポーツ競技は「敵性文化の象徴」という理由から当時の日本政府によって次々と国内で行われる事が廃止された影響もあり、ほぼ同時期に「大日本蹴球協会」がFIFAを脱退することになった[16]1942年4月、戦況悪化で大日本體育協會が財団法人大日本体育会に再編成され、「大日本蹴球協会」は、他競技団体と共にその部会(「蹴球部会」)となり一時消滅した[15][16]。1945年9月2日、第二次世界大戦終結。第二次世界大戦終結後の1945年11月13日、FIFAに会費が払えなかったため、FIFAから資格停止処分を受けた[17][18][19]1947年4月1日に、「日本蹴球協会」へと名称変更した上で再発足し[15][16]1950年9月23日にFIFAに同名称で再加盟した[16][18]1974年8月31日財団法人となり、「財団法人日本サッカー協会」(JFA)に名称変更した。このことにより、協会誕生より53年間の任意団体状態から脱却した[16][20]。2012年4月1日よりJFAは、財団法人から公益財団法人へ移行し、文部科学省から完全に独立した[16][21]

日本サッカー協会(JFA)は、サッカーに携わる全ての人々を「サッカーを愛する仲間=サッカーファミリー」として迎え入れ、JFAからメリットを積極的に提供することでサッカーファミリーの拡大を推進。2015年には、サッカーファミリーは526万人になっている。新たに設定した「JFAの目標2030」では、2030年にサッカーファミリーが800万人になることを目標に掲げている。2019年度の情報は次の通り。サッカー登録チーム数は27,670チーム、選手数は878,072人、監督者数は10,433人、審判員数は、281,125人となる。

詳細は「日本サッカー協会」を参照

試合

1888年(明治21年)神戸旧居留地の内外人公園(東遊園地)で行われた、神戸レガッタ・アンド・アスレチッククラブ横浜クリケット・アンド・アスレチッククラブとの試合が、日本最古のサッカー公式試合として記録に残っている[注 1]。また、東京高師が関東地方最初のサッカーチームを結成した当初は関東地方では他の日本人チームは存在せず、試合相手は外国人チームが常であった。

この他にも東京高師は他校(主に同じ師範学校)を訪問してサッカーの指導を行うなど、その普及にも努めた。その結果1906年明治39年)に東京府師範学校(後に東京府青山師範学校と改称。以下青山師範とする)でもサッカー部が誕生し、翌年6月1日には東京高師と青山師範の間で日本人チーム同士による関東地方最初の試合が行われた。これは試合時間が40分×3で行われるなど練習試合の意味合いが強いものであったが、同年11月16日には90分での試合が両校の間で実施されており、これが関東地方での最初の対抗戦であったと考えられる。

チーム

1889年、神戸市の兵庫県尋常師範学校(後の御影師範学校、現在の神戸大学)にサッカーチームが創設された。これが、日本では最初となる日本人だけのチームである。また、関東地方では1896年には高等師範学校(1902年東京高等師範学校に改称、現在の筑波大学、以下東京高師とする)に「フートボール部」が創設された。

大会

1922年、大学チームの定期的な試合の開催によるレベルアップを狙って日本で最初のリーグ戦である「専門学校蹴球リーグ戦」が実施された。参加したのは東京高師の他、早稲田東京帝国大学、東京商科大学(現一橋大学)など4チームであった。このリーグは1925年に「ア式蹴球東京コレッヂリーグ」となり、早稲田、東京帝大、東京商大に加えて、慶應義塾法政東京農業大学が1部に所属した。これが関東大学サッカーリーグ戦のルーツになっている。また、関西地区でも1924年に関西専門学校ア式蹴球リーグ(現在の関西学生サッカーリーグ)が創設され、関西学院関西大学、神戸高商の3校が創設時に所属した。

現在、日本国内にはプロサッカーリーグである「日本プロサッカーリーグ」(Jリーグ)、アマチュアサッカーリーグの最高峰である「日本フットボールリーグ」(JFL)などのサッカーリーグが存在している。また、日本国内の高校サッカー部によって行われている「全国高等学校サッカー選手権大会」は国内で行われている数多のアマチュアサッカー大会の中でも著名な大会である。なお、J1・J2に所属する全チーム・JFLの前期リーグ戦終了時点の1位チーム・総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントの優勝チーム・J3に所属するチームを含む各都道府県の代表チームらによって行われる「天皇杯全日本サッカー選手権大会」(天皇杯)は日本国内で行われるサッカー大会としては最大規模のサッカー大会である。

「日本サッカーのリーグ構成 (1種)」および「日本のサッカー大会一覧」も参照

なお、大会によっては各登録カテゴリーにおいて重要な位置づけの大会が幾つか存在する。例えば、Jリーグに加盟するチームにとっては「Jリーグ」、「天皇杯」、「Jリーグカップ」の3大会が3大タイトルと言われている。ただ、登録カテゴリーが同じであっても、大会によっては対象チームを限定している大会もあるので注意が必要である。例えば、第2種(U-18)登録チームの大会としては、第2種登録の全てのチームに参加資格がある高円宮杯U-18サッカーリーグのほかに、第2種登録チームのうち高校サッカー部のみを参加対象に限定している「全国高等学校サッカー選手権大会」や、同じく第2種登録クラブチームのみを参加対象に限定している「日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会」がある。

日本のサッカーのシーズン

1920年代 : 1920年 1921年 1922年 1923年 1924年 1925年 1926年 1927年 1928年 1929年
1930年代 : 1930年 1931年 1932年 1933年 1934年 1935年 1936年 1937年 1938年 1939年
1940年代 : 1940年 1941年 1942年 1943年 1944年 1945年 1946年 1947年 1948年 1949年
1950年代 : 1950年 1951年 1952年 1953年 1954年 1955年 1956年 1957年 1958年 1959年
1960年代 : 1960年 1961年 1962年 1963年 1964年 1965年 1966年 1967年 1968年 1969年
1970年代 : 1970年 1971年 1972年 1973年 1974年 1975年 1976年 1977年 1978年 1979年
1980年代 : 1930年 1931年 1932年 1933年 1934年 1935年 1936年 1937年 1938年 1939年
1990年代 : 1990年 1991年 1992年 1993年 1994年 1995年 1996年 1997年 1998年 1999年
2000年代 : 2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年
2010年代 : 2010年 2011年 2012年 2013年 2014年 2015年 2016年 2017年 2018年 2019年
2020年代 : 2020年 2021年 2022年 2023年 2024年 2025年 2026年 2027年 2028年 2029年

審判員

詳細は「審判員 (サッカー)」を参照

指導者

日本代表(男子サッカー)

詳細は「サッカー日本代表」を参照

女子サッカー

詳細は「女子サッカー#日本」を参照

フットサル

詳細は「日本のフットサル」を参照

競技人口

日本サッカー協会が発表した統計によると、サッカーの2010年度の登録選手数は900,880人[22]、登録チーム数は28,588チームにものぼる。内訳は男子サッカーの場合(シニアを除く)、2010年度の登録選手数は856,425人、登録チーム数は26638チーム。女子サッカーの場合(シニアを除く)、2010年度登録選手数は25,278人、登録チーム数は1,226チーム。シニアの場合、2010年度の登録選手数は19,177人、登録チーム数は724チーム[23]。フットサルの2010年度の登録選手数は125,608人である(日本サッカー協会は2008年まで男女別で記録していたが、現在は男女合わせての記録)[24]。日本サッカー協会に登録していない選手やチームも数多く、実数はさらに多いと推測される。

「平成28年社会生活基本調査 生活行動に関する結果」によれば、過去1年間にサッカーをした人は、野球や卓球よりも少なく、サッカーの行動者率は若い人ほど高く、社会人になると急激に落ち込み、会社で管理職になる頃には大半の人が離れてしまっている現状である[25]。一方で、40歳以上の選手を対象とするシニアサッカーへの関心が高まっている[26]

日本国内では、静岡県が特にサッカーが盛んな土地として知られる[27]。静岡県は数々の名選手を輩出しており、2009年まで、Jリーグの選手の出身地では静岡県がトップであった。また1998年フランスワールドカップでは、代表22人のうち9人が静岡県の出身者であった[28]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 結果は2-1で神戸・レガッタ・アンド・アスレチッククラブが勝利。

出典

  1. ^ 出典: 「日本サッカー・ブックガイド - 明治・大正・昭和戦前期」、2007年4月7日 (土) 09:06 (UTC)閲覧、日本サッカーブック・ガイド
  2. ^ 出典:中島敦、「斗南先生」(初出1942年)、2007年3月15日 (木) 14:24 (UTC)閲覧、青空文庫
  3. ^ “祖父が出した国語辞典から消えた言葉 辞書マニアの孫が読み解いた”. 朝日新聞 (2023年8月9日). 2023年8月20日閲覧。
  4. ^ ソッカー部について
  5. ^ よくあるご質問 - 早稲田大学ア式蹴球部
  6. ^ 出典: 「JFAサッカーQ&A サッカーが日本に伝来したのはいつ?」2007年4月25日 (水) 19:26 (UTD)閲覧、日本サッカー協会公式サイト
  7. ^ 元祖なでしこ? はかまでサッカー写真発見 香川・丸亀 asahi.com 2011.11.30付記事
  8. ^ “日本サッカーアーカイブ ホーム > 日本サッカー史 > 1917(大正6年)”. 日本サッカーアーカイブ. 2014年5月3日閲覧。
  9. ^ “日本サッカーアーカイブ ホーム > 日本サッカー史 > 1923(大正12年)”. 日本サッカーアーカイブ. 2014年5月3日閲覧。
  10. ^ “日本サッカーアーカイブ ホーム > 日本サッカー史 > 1927(昭和2)年”. 日本サッカーアーカイブ. 2014年5月3日閲覧。
  11. ^ a b c “日本サッカー草創期に開花した世界レベルの技とフェアプレー精神”. 日本オリンピック委員会. 2014年5月17日閲覧。
  12. ^ “1964年東京オリンピック「アルゼンチンに逆転勝利」”. 賀川サッカーライブラリー. 2014年5月17日閲覧。
  13. ^ “サッカー日本代表の歴史”. nippon.com. (2014年4月10日). http://www.nippon.com/ja/features/h00052/ 2014年5月17日閲覧。 
  14. ^ “1970~80年代の日本サッカー”. ライブドアニュース. (2012年7月25日). https://news.livedoor.com/article/detail/6790230/ 2014年5月17日閲覧。 
  15. ^ a b c 後藤健生『日本サッカー史 日本代表の90年』双葉社、2007年。 
  16. ^ a b c d e f g JFA沿革・歴史-JFA公式HP
  17. ^ 轡田三男 「サッカーの歴史 天皇杯全日本選手権 (6)」『サッカーマガジン』 ベースボール・マガジン社、1968年8月号、112頁
  18. ^ a b 日本蹴球協会編 『日本サッカーのあゆみ』 講談社、1974年、150頁。
  19. ^ 松岡完 『ワールドカップの国際政治学』朝日新聞社、1994年、P85
  20. ^ サッカー批評issue20 - 改革を進める日本サッカー協会』双葉社、2003年。 Web版サッカー批評(Vol.11)-スポーツナビ2003年9月12日
  21. ^ 小倉純二日本サッカー協会会長コラム「今日もサッカー日和」第31回-日本サッカー協会公式HP_2012年4月2日
  22. ^ 年度別登録数-日本サッカー協会公式HP
  23. ^ チーム年度別登録数-日本サッカー協会公式HP
  24. ^ フットサル個人年度別登録数-日本サッカー協会公式HP
  25. ^ 山田稔. “卓球やバドミントン以下…実は日本でサッカー競技人口が驚くほど少ない理由”. ビジネスジャーナル/Business Journal | ビジネスの本音に迫る. 2020年2月13日閲覧。
  26. ^ “60過ぎてもボールを追いかけたい!いまシニアサッカーチームが熱い”. サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト (2018年6月3日). 2020年2月13日閲覧。
  27. ^ “統計/教育・スポーツ”. 静岡県. 2014年6月14日閲覧。
  28. ^ “W杯「静岡出身2人」時代は変わった、「関西から9人」を誇りに思う 運動部長・野瀬吉信”. 産経新聞. (2014年6月14日). https://web.archive.org/web/20140614063650/http://sankei.jp.msn.com/west/west_sports/news/140614/wsp14061407000001-n1.htm 2014年6月14日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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