成尋

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成尋(じょうじん、寛弘8年(1011年)- 永保元年10月6日(1081年11月9日))は、平安時代中期の天台宗。父は陸奥守藤原実方の子貞叙。母は女流歌人で「成尋阿闍梨母集」を残した源俊賢の娘(成尋阿闍梨母)。善慧大師とも称される。

生涯

7歳で出家した。はじめ京都岩倉大雲寺の文慶(もんけい)に師事し、その後悟円・行円明尊から台密(天台宗における密教)の法を受けた。長久2年(1041年大雲寺別当に就任。延暦寺総持院阿闍梨となり、藤原頼通の護持僧となった。1072年延久4年)北宋へ渡り、天台山や五台山など智者大師の聖跡・諸寺を巡礼。神宗に謁見し、祈雨法を修して善慧大師の号を賜った。また、円仁奝然旅行記と恵心僧都源信の『往生要集』を宋にもたらし、一方で経典など600巻余りを日本へ送った。自らも帰国しようとしたが、神宗に慰留され宋朝に残り、汴京開宝寺で没した。旅行記に『参天台五台山記』8巻がある。死後、即身仏として祀られたと伝わる。

成尋は佐理の子か

元禄時代に書かれた『本朝高僧伝』の記述を鵜呑みにして、いくつかの事典では藤原佐理の子という定義となっている(デジタル大辞泉、大辞林など。コトバンクの 成尋の項目 参照)。しかし佐理は998年に没しており、成尋の生年は1011年である[1]

大雲寺開祖である真覚の俗名も佐理であり、これとの混同という可能性もあるが、真覚は村上天皇崩御の直後に出家した人物であり、やはり年代的には合わない。

脚注

  1. ^ 棚橋光男 『後白河法皇』 講談社学術文庫 ISBN 978-4061597778、231-232p
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