感状山城

南曲輪群の石垣
曲輪東側の石垣

感状山城(かんじょうさんじょう)は、兵庫県相生市矢野町瓜生にあった日本の城。「赤松氏城跡」の一部として国の史跡に指定されている。

城名の由来

新田義貞の軍勢を50余日にわたり足止めをした功績により、赤松則祐足利尊氏感状を授かったことに由来する。

歴史

誰がいつ築城したかはっきりしておらず、いつ落城したかもわかっていない。

  • 築城については以下の説がある。
    • 鎌倉時代に瓜生左衛門尉が築城した。
    • 南北朝時代の初期に赤松則祐が築城した。
  • 落城については以下の説がある。
    • 南北朝時代後期の新田義貞の播磨攻めの時に赤松則祐が焼いた。
    • 1577年羽柴秀吉上月城攻めの時に落城した。

周辺

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、感状山城に関連するカテゴリがあります。
  • 感状山城跡/相生市公式ホームページ
  • 感状山城跡 赤松氏城跡 文化遺産データベース(2013年6月2日閲覧)
  • 感状山城跡 赤松氏城跡 国指定文化財等データベース主情報詳細(2013年6月2日閲覧)
  • 感状山城周辺地図/Yahoo!地図情報
  • 感状山城跡 西播磨観光スポット|西はりま遊記(2013年6月2日閲覧)

座標: 北緯34度52分52.7秒 東経134度27分5.0秒 / 北緯34.881306度 東経134.451389度 / 34.881306; 134.451389

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