奈良女子大学附属中等教育学校
奈良女子大学附属中等教育学校 | |
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北緯34度40分22.6秒 東経135度50分17.3秒 / 北緯34.672944度 東経135.838139度 / 34.672944; 135.838139座標: 北緯34度40分22.6秒 東経135度50分17.3秒 / 北緯34.672944度 東経135.838139度 / 34.672944; 135.838139 | |
過去の名称 |
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国公私立の別 | 国立学校 |
設置者 | 国立大学法人奈良国立大学機構 |
設立年月日 | 1911年9月 |
創立記念日 | 5月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 中等教育学校 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D229110000013 |
中等教育学校コード | 29001H |
所在地 | 〒630-8305 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
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奈良女子大学附属中等教育学校(ならじょしだいがくふぞくちゅうとうきょういくがっこう 英: Nara Woman University Secondary School)は、奈良県奈良市東紀寺町一丁目に所在する、中高一貫教育を実施する国立中等教育学校。
概要
奈良女子大学の附属学校であるが、女子校ではなく共学校であり、また2000年(平成12年)に奈良県内で初めて設置された中高一貫教育校[1]でもある。中高6年一貫教育そのものは、1973年(昭和48年)より実施。
校風
校風は「自由・自主・自律」で、その精神は戦前からあるが学校として制定しているものではない。
創立記念日
創立記念日は5月1日。ただし、実際はゴールデンウィークの関係で5月2日が休みとなる。しかし、連休が重なる2005年は日曜日である本来の5月1日を創立記念日として、振替休日は行われなかった。これは授業時間を減らしたくない学校側の都合と思われる。
進学
受験偏重の風潮に逆らい、以前は卒業生の進学・就職先のみの統計を公開し、他校のように合格者数を発表することはなかった。しかし近年は合格者数の統計を公開している。
教育
独自のカリキュラムを組んでいる。また、様々な教育についての取り組みがある。これらには大学や他の学校と協力して行われるものもある。
- 「美術」、「音楽」、「生活デザイン(3 - 6年)」、「科学と技術(4年のみ)」の4科目を束ねる「創作科」の設立。1,2年は必修科目、3,4年は選択必修科目、5,6年は自由選択科目となっている。
- 奈良女子大学の教員に講義してもらう、「アカデミックガイダンス(AG)」。3 - 5年が対象。
- 定期的に様々な職業の人に講演してもらう、「ヴォケーショナルガイダンス(VG)」。
- 通常の授業とは異なる形態をとり、様々なテーマから一つを選んで大学レベルの講義・研究を一年を通して行う「コロキウム(5年のみ)」。
- 宮崎県立五ヶ瀬中等教育学校など、他校との交流。
- 外国との交流。以前は奈良女子大学と連携したドイツ、イギリス、スウェーデン、チェコ、南アフリカの大学との交流、「グローバルクラスルーム(GC)」が年に一度行われていたが、現在は『YES for ESD』と称して年一回アジアの国々とフィリピンで交流を行っている。また、2011年に韓国の釜山国際高等学校、2012年に台湾の國立中山大學附屬國光高級中學と姉妹校提携を結んでいる。
- 奈良県の高等学校教員との人事交流。
- 生徒が主導の研究や授業。
- フィールドワーク(校外学習)の充実。
- 2005年度から「スーパーサイエンスハイスクール(SSH)」に指定され、理科の実験器具の充実が図られている。また理数系クラブの活動も盛んであり、研究成果によって賞を獲った生徒も存在する。
施設・設備
2001年に完成(2002年4月より使用を開始)した総合教育棟(通称 新館)では、コンピューター、情報、国際などの様々な機器や資料が備えられている。多目的ライブラリー(図書室)や生協食堂・購買、多目的ホール、ゼミ室などがある。近くに奈良公園があるため、以前は時折校内に鹿が迷い込むことがあった。しかし、子供を標的とした犯罪を防ぐため門の戸締りや柵の補修が徹底された結果、近年そのような迷い込みは稀なものとなっている。正門付近には鹿が入るので門を閉めるように促す旨の看板がある。 2016年夏には全普通教室と特殊教室の黒板を撤廃し、ホワイトボードとプロジェクターが導入された。
近年建物(比較的最近建設された新館を除く)の老朽化が進んでいることが問題となっており、天井や壁など生活における安全性の観点から危険と思われる箇所が複数ある。
グラウンドの北と西側に設置されたフェンスは定期的に改修が行われている。 校舎南側に位置するテニスコートは人工芝4面のコートを有する
生徒の運動
その校風もあり、生徒の運動が盛んであった。70年安保などの学生運動が盛り上がりを見せた時は、大学での運動が附属にも伝播し、安保に反対するグループが学校を占拠し、学園祭が延期になったこともある。学生運動が治まった後も、制服問題、頭髪問題、上履き問題に対する運動が起こる。現在、制服は廃止されて私服となり、頭髪問題も2003年、激論の末に後期課程のみ頭髪の染色・脱色・パーマネントを認めるという決議が生徒大会でなされ、2004年に認められた。またつい最近議論されていた上履き問題については生徒大会で議決され、一度は現在使用しているスリッパで保留という結果になった。しかし、スリッパの細長い形状が正常な発育に差し障るという見解が出たことから、2006年度の入学生より順次変更されている。
沿革
略歴
前身は奈良県立奈良高等女学校であるが、その後奈良女子高等師範学校附属高等女学校に改組され学制改革に至った[2]
設立当初は良妻賢母の育成を目指していたが、大正デモクラシーの影響で、木下竹次らが自由で民主主義的な教育を展開した。
戦後の1947年、学制改革で新制の附属中学校が発足し男女共学となった。翌1948年に附属高等学校が発足して1950年に高等学校も男女共学となり、1952年には奈良女子大学文学部附属高等学校・中学校となった。1958年に現在地である旧進駐軍キャンプ地(前は第16師団歩兵第38連隊駐屯地)に移転。
1973年の入学者より中高一貫教育に移行した。2000年には中等教育学校に改組され、奈良女子大学文学部附属中等教育学校となり、2004年から国立大学法人奈良女子大学附属中等教育学校となった。
1950年代から1970年代前半にかけては、県下随一の進学校と呼ばれるようになり、県内だけではなく大阪府や京都府からの入学希望者も多かった。中には兵庫県から通った生徒もいた。当時、中学校から高等学校へ全員が自動的に進学できたわけではなく、入学試験が行われていた。高等学校から附属に入る生徒には、隠れて下宿する者もいたほどである。
1973年に中高一貫校となり、有名校への進学率は低下した。そして、独自のカリキュラムを作り現在の取り組みに繋がる。その頃からフィールドワークや生徒による話し合いや実験が充実している。
年表
- 1896年(明治29年)- 奈良県立奈良高等女学校が設置される。奈良市奈良町大字鍋屋に仮校舎を設けて開校。
- 1897年3月 - 奈良市雑司町水門町(現東大寺ミュージアム所在地)に校舎を移転。
- 1898年2月 - 敷地内に寄宿舎竣工。
- 1906年4月 - 入学志願者のために初めて選抜試験を行う。
- 1908年 - 奈良女子高等師範学校が設置される。奈良県と奈良女高師は協議の結果、県立奈良高女を奈良女高師の附属高等女学校の代用とする計画を立てる。
- 1909年 - 奈良県は奈良女高師敷地内に附属高女校舎を建設し、県立奈良高女の生徒を収容する計画を発表。
- 1911年
- 1912年3月 - 奈良女高師附属高女としての第1回卒業式が挙行される。
- 1916年(大正5年)- 附属実科高等女学校を設置(後に附属高等女学校と統合)。
- 1946年(昭和21年)- 大学芸祭(現在の学園祭)が開始。
- 1947年 - 学制改革に伴い、新制奈良女子高等師範学校附属中学校を設置。男女共学となる。
- 1948年 - 学制改革に伴い、新制奈良女子高等師範学校附属高等学校を設置。設置当初は女子校。
- 1949年 - 奈良女子大学(新制大学)が設置され、奈良女子高等師範学校が包括される。
- 1950年 - 附属高等学校も男女共学となる。
- 1952年 - 奈良女子高等師範学校の廃止に伴い、奈良女子大学文学部附属中学校・高等学校に改称。
- 1958年 - 現在の場所(東紀寺町)に移転。
- 1970年 - 新校舎が完成。反安保バリケード封鎖される。
- 1973年 - 当該年度入学生から中高六年一貫教育を実施。
- 1993年(平成5年)- 新体育館兼講堂が完成。
- 1997年 - 校舎全面改修工事が完了。
- 2000年 - 中等教育学校への転換に伴い、附属中学校及び附属高等学校が廃止され、奈良女子大学文学部附属中等教育学校となる。
- 2001年 - 総合教育棟が完成。
- 2004年 - 設置者の国立大学法人への変更に伴い、奈良女子大学附属中等教育学校に改称(文学部から全学の附属学校となる)。
- 2005年 - 奈良県の県立高校との人事交流開始。文部科学省指定のスーパーサイエンスハイスクールとなる。
- 2010年 - 創立100周年。記念式典等が行われ、玄関前に「に至る」という題のモニュメントが設置される。第1体育館の改修工事が完了する。
基礎データ
所在地
- 奈良県奈良市東紀寺町1丁目60番1号
通学区域
- 保護者のもとから公共交通機関を利用して、概ね1時間以内で通学し、下記地域に居住する者が出願できる[3]。
アクセス
象徴
校歌
校歌は戦前からあるが、最近はまったく歌われず、校歌に代わるものとして戦後「学友の歌」が3つ作られた。現在は「学友の歌 (3)」が入学式・卒業式などで歌われている。作詞は武部利男、作曲は前田卓央。過去には入学式の前には1番のみ録音されたカセットテープが入学予定者に貸し出されていたが、現在はインターネットが十分に普及したため、学校のホームページから聴くことになっている。また、入学式・卒業式の時には出席する生徒に歌詞カードが配られる。なお、その校歌は学校の新館の1階の入ってすぐ右手の壁の写真の中にある。
学校行事
学園祭
- 1946年から始まり、当初の名称は「大学芸祭」であった。
- 毎年、9月に行われ、学園祭運営委員会は3月から、各団体も早くて4月から活動を始める。
- 校門のアーチは学園祭の顔として親しまれている。アーチの制作は夏休み前に始まり、夏休み期間中はほぼ毎日活動している。
- 演劇発表が盛んで、津島勝、鵜山仁、八嶋智人や松村武らを輩出している。
- 教室を使った発表や、中庭に製作されたライブステージによる企画番組などがある。
- 生徒が自主的に運営するもので、校風を育むもととなっている。
- 2009年に行われた第65回学園祭では折り鶴で巨大な鶴のオブジェを作り、NHKや複数の新聞社の取材を受けた。またこの時使用された折り鶴を一つの輪にしたものは世界一多くの折り鶴を繋げた記録としてギネスにも認定された(2011年)。
- 第67回学園祭からは、以前分割された広報部と外務部が再び統合され総務部となる。
その他、一泊行事(1年)や全校レクリエーション(遠足、各学年)、スキー合宿(3年)、修学旅行(5年)などにおいても、生徒の自主的な計画・行動が尊ばれている。
関係者
出身者
- 秋山咲恵 - 実業家
- 秋本吉徳 - 国文学者
- 荒井正吾 - 前奈良県知事、元参議院議員
- 井川スミス史子 - マギル大学名誉教授・元准副学長
- 今村翔吾 - 歴史小説・時代小説作家
- 上井喜彦 - 埼玉大学学長
- 上田清 - 政治家、大和郡山市長
- 鵜山仁 - 演出家
- 岡本全勝 - 総務官僚
- 川北英隆 - 京都大学大学院経営管理研究部教授
- 川北稔 - 大阪大学名誉教授
- 木村愼作 - 元大阪府副知事
- 島悟 - 医学者、精神科医
- 砂野幸稔 - 熊本県立大学教授
- 高橋裕子 (医学者) - 医師、予防医学者
- 竹内行夫 - 最高裁判事
- 谷口功 - 熊本大学長、国立高等専門学校機構理事長
- 津島勝 - テレビ演出家、映画監督
- 東樋口護 - 公立鳥取環境大学副学長、教授
- 中室牧子 - 教育経済学者、慶應義塾大学教授
- 中森喜彦 - 刑法学者、京都大学名誉教授
- 鳴海潮 - 元宝塚歌劇団副星組組長
- 西田幸治 - 吉本興業のお笑いコンビ・笑い飯
- 氷置晋 - シンガーソングライター
- 平岡香純 - 映画監督
- マサヤ・イチ - グラフィックデザイナー
- 松村武 - 演出家
- 松本紘 - 京都大学総長(2008年 - 2014年)、国際高等研究所所長(2018年 - )
- 水谷川忠俊 - 作曲家
- 森見登美彦 - 小説家
- 森本公誠 - 東大寺長老
- 八嶋智人 - 俳優
- 山口昌紀 - 近畿日本鉄道元社長・会長
- 吉田小江子 - 元レポーター
- 吉野晃一 - 歌手
- 白乃雪 - 漫画家
- 福田進 - 元国税庁長官、元日本損害保険協会副会長
- 井上理津子 - ノンフィクションライター
教職員
関連項目
脚注
出典
外部リンク
- 公式ウェブサイト
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