佐竹義茂

曖昧さ回避 佐竹義遵」あるいは「佐竹義重」とは別人です。

佐竹 義茂(さたけ よししげ、文化8年(1811年) - 慶応4年7月8日(1868年8月25日[1])は、佐竹氏一門の佐竹西家16代当主。久保田藩大館第10代所預。

父は西家佐竹義幹。正室は佐竹義術の娘武子。子は佐竹義遵。幼名は元千代。通称は近江。号鸞斎、此君斎。

経歴

文化8年(1811年)大館城代佐竹義幹の子として生まれる。大館城代として藩主佐竹義睦に仕えた。嘉永7年(1854年)藩主義睦の将軍徳川家定への拝謁に同席する。安政6年(1859年)藩が幕府より松前警衛を命じられ、家臣を派遣する。慶応4年(1868年)死去。享年58。

書や和歌に秀でた文人でもあり、正室の北家義術の娘武子も歌人である。

脚注

  1. ^ 『大館市史』第5巻(大館市教育委員会、1990年)p.107
宗家

分家・支流

式部少輔家
壱岐守家
岩崎分家
北家
東家
南家
  • 義里
  • 義尚
  • 義種
  • 義章
  • 義著
  • 義敞
  • 義安
  • 義伯
  • 義持
  • 義舒
  • 義以
  • 義良
  • 義珍
  • 義孟
  • 義誠
  • 義隣
  • 義雄
  • 義質
  • 義輔
  • 義惇
  • 義宏
西家
  • 表示
  • 編集
スタブアイコン

この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。

  • 表示
  • 編集