リンダ・バード・ジョンソン・ロッブ
リンダ・バード・ジョンソン・ロッブ | |
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Lynda Bird Johnson Robb | |
2016年1月 | |
バージニア州のファーストレディ | |
期間 1982年1月16日 – 1986年1月18日 | |
知事 | チャック・ロッブ(英語版) |
前任者 | エドウィナ・P・ダルトン(英語版) |
後任者 | ジーニー・バリレス(英語版) |
バージニア州のセカンドレディ | |
期間 1978年1月14日 – 1982年1月16日 | |
知事 | ジョン・N・ダルトン(英語版) |
前任者 | エドウィナ・P・ダルトン(英語版) |
後任者 | マーサ・デイヴィス |
個人情報 | |
生誕 | Lynda Bird Johnson (1944-03-19) 1944年3月19日(80歳) アメリカ合衆国 ワシントンD.C. |
政党 | 民主党 |
配偶者 | チャック・ロッブ(英語版) (m. 1967) |
子供 | 3人 |
親 | リンドン・B・ジョンソン レディ・バード・ジョンソン |
出身校 | テキサス大学オースティン校 |
リンダ・バード・ジョンソン・ロッブ(Lynda Bird Johnson Robb, 1944年3月19日 - )は、第36代アメリカ合衆国大統領リンドン・B・ジョンソンとその妻レディ・バード・ジョンソンの長女である。彼女はアメリカ最大の児童識字率向上団体であるリーディング・イズ・ファンダメンタル(英語版)の理事長や女性のための大統領の諮問委員会(英語版)の委員長を務めた。夫はバージニア州副知事・知事のチャック・ロッブ(英語版)であり、したがって彼女は1978年から1982年まではバージニア州のセカンドレディ、1982年から1986年まではファーストレディであった。2013年12月21日にジョン・アイゼンハワーが亡くなったことで存命のアメリカ合衆国大統領の子供の中では最高齢となった。
バイオグラフィ
リンダの出産時に母のレディ・バードは3度の流産を経験しており、主治医は彼女が子供を持てる可能性には悲観的な見解を示していたため、父リンドンは両親の名前をつけることを提案した。こうして「リンダ・バード」という名前が生まれたのである[1][2]。
リンダはバーナード・ローゼンバック(Bernard Rosenbach)と婚約していたが、俳優のジョージ・ハミルトンと出会い、1966年に彼と交際を始めた[3][4]。ケネディ大統領暗殺事件を受けてシークレットサービスによる大統領親族の保護が強化されたため、ハミルトンとジョンソンのカップルはシークレットサービスに保護された初のカップルの1つとなった。
その後彼女はアメリカ海兵隊大尉のチャールズ・S・ロッブ(英語版)[5]と1967年にホワイトハウスのイーストルーム(英語版)で結婚した。夫はベトナムで戦った後、バージニア州副知事(1978-1982年)、バージニア州知事(1982-1986年)、バージニア州選出上院議員(1989-2001年)を務めた。
1979年5月9日、当時の大統領のジミー・カーターは彼女をリーディング・イズ・ファンダメンタル(英語版)の理事長や女性のための大統領の諮問委員会(英語版)の委員長に任命した。30人からなるこの委員会はアメリカの文化的、社会的、経済的、政治的生活における女性の平等を促進するというカーター大統領の命題を遂行するために活動した[6]。
彼女は1996-2001年までアメリカ最大の児童識字教育団体であるリーディング・イズ・ファンダメンタル(英語版)の理事長の理事長を務めた。また1969年から1981年までは『レディース・ホーム・ジャーナル(英語版)』誌の寄稿編集者を務めた。彼女はリンドン・ベインズ・ジョンソン財団(英語版)とレディ・バード・ジョンソン・ワイルドフラワー・センター(英語版)の理事を務めている。
彼女はナショナル・カテドラル・スクール(英語版)で教育を受けた後にテキサス大学オースティン校を卒業した。またゼータ・タウ・アルファ(英語版)社交会に所属していた。彼女はワシントン・アンド・リー大学とノーウィッチ大学(英語版)から名誉人文学博士号(英語版)を授与されている。
彼女は娘のルシンダ・デシャ・ロッブ(Lucinda Desha Robb, 1968年生)、キャサリン・ルイス・ロッブ(Catherine Lewis Robb, 1970年生)、ジェニファー・ウィクリフ・ロッブ(Jennifer Wickliffe Robb, 1978年生)をもうけている[7]。
2004年に彼女は体調不良の母に代わってロナルド・レーガンの国葬に参列した。2016年12月26日に死去したジェラルド・フォードの国葬(英語版)にも彼女は再び母の代理として参列した。2018年に彼女は夫のチャック、妹のルーシー・ベインズ・ジョンソン、義兄弟のイアン・ターピンと共にジョージ・H・W・ブッシュの国葬(英語版)に参列した[8]。
参考文献
- ^ Merle Miller, Lyndon: An Oral Biography at 103 (New York: G.P. Putnam's Sons 1980).
- ^ “First Daughters: Then and Now”. 2021年7月4日閲覧。
- ^ Source, The Reliable (2012年2月13日). “Lynda Johnson Robb and George Hamilton: When a president's daughter dated a movie star”. 2021年6月4日閲覧。
- ^ “Hollywood Flashback: George Hamilton Once Took LBJ's Daughter to the Oscars”. The Hollywood Reporter. 2021年6月4日閲覧。
- ^ “Lynda Bird's Shower”. Texas Archive of the Moving Image. 2019年12月1日閲覧。
- ^ Peters, Gerhard and John T. Woolley. “Jimmy Carter: "President's Advisory Committee for Women Appointment of Chair, Vice-Chairs, and Four Members”. The American Presidency Project. 2013年12月10日閲覧。
- ^ Bunin, Patricia (1996年4月11日). “An Azalea Queen of Long Ago, Lynda Robb, Enjoys Memories”. The Virginian-Pilot. pp. 5. http://scholar.lib.vt.edu/VA-news/VA-Pilot/issues/1996/vp960411/04090121.htm 2006年4月9日閲覧。
- ^ “Who will be attending George H.W. Bush's funeral?”. www.ajc.com. Cox Media Group. 2018年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月21日閲覧。