バングラデシュ独立戦争

バングラデシュ独立戦争

戦争印パ戦争およびバングラデシュ独立戦争
年月日1971年3月26日 - 12月16日
場所東パキスタン(現在のバングラデシュ
結果:東パキスタンとインドの勝利、バングラデシュの独立
交戦勢力
バングラデシュ臨時政府
  • ムクティ・バヒニ(英語版)

インドの旗 インド

パキスタンの旗 パキスタン
指導者・指揮官
ムジブル・ラフマン
タジュディン・アフマド(英語版)
ムハンマド・アタウル・ガニ・オスマニ(英語版)
カジ・モハメッド・シャフラー(英語版)
ジアウル・ラフマン
カレド・ムシャラフ(英語版)
アブドゥル・カリム・カンデカー(英語版)
インドの旗 ヴァラーハギリ・ヴェンカタ・ギリ
インドの旗 インディラ・ガンディー
インドの旗 サム・マネクショー(英語版)
インドの旗 ジャグジット・シン・オーロラ(英語版)
インドの旗 サガット・シン(英語版)
インドの旗 インドラジット・シン・ギル(英語版)
インドの旗 オム・プラカーシュ・マルホートラ(英語版)
インドの旗 ジャック・ファルジ・ラファエル・ジェイコブ(英語版)
インドの旗 シャベグ・シン(英語版)
インドの旗 ニーラカンタ・クリシュナン(英語版)
インドの旗 ハリ・チャンド・デュワン(英語版)
パキスタンの旗 ヤヒヤ・カーン(英語版)
パキスタンの旗 ヌルル・アミン(英語版)
パキスタンの旗 アブドゥル・モタレブ・マリク(英語版)
パキスタンの旗 アブドゥル・ハミド・カーン(英語版)
パキスタンの旗 アミール・アブドラ・カーン・ニアジ(英語版)
パキスタンの旗 ラオ・ファルマン・アリー(英語版)
パキスタンの旗 カディム・フセイン・ラジャ(英語版)
パキスタンの旗 モハンマド・シャリフ(英語版)
パキスタンの旗 アハマド・ザミール(英語版)
パキスタンの旗 ザファル・ムハンマド・カーン(英語版)
パキスタンの旗 イナムル・ハク・カーン(英語版)
パキスタンの旗 ザファル・マスード(英語版)
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インド介入後の戦闘の推移

バングラデシュ独立戦争(バングラデシュどくりつせんそう、ベンガル語: বাংলাদেশের স্বাধীনতা যুদ্ধ, ウルドゥー語: جنگ آزادی بنگلہ دیش‎)は、東パキスタン独立をめぐって1971年3月26日に勃発した戦争である。

前史

1952年西パキスタン側のパキスタン中央政府による支配に対し、人口では全土の過半数を占める東パキスタン地域が、自国言語バングラ(ベンガル語[1]を守るため(ベンガル語国語化運動)、また、西パキスタンによる搾取から解放されるために立ち上がった。政府に対するベンガル人の反発は激しさを増し、第二次印パ戦争の講和(タシケント宣言(英語版))でインドに譲歩したことや、急激なインフレへの不満が重なり、1962年から東パキスタン各地で暴動が起こり、自治権の拡大などを求めた1966年6点運動(英語版)[2]を経て、1969年東パキスタン大量蜂起(英語版)へと発展、パキスタンの第2代大統領として軍事政権による独裁政治を行っていたアユーブ・ハーン失脚に追い込んだ。 また、この大量蜂起によって、アガルタラ陰謀事件(英語版)の撤回と、ベンガル人の指導者であったシェイク・ムジブル・ラフマンとその同僚の無罪を勝ち取った。

1970年のパキスタンの国民議会選挙で、全パキスタン・アワミ連盟が東パキスタンで過半数を獲得した。しかし、同党は西パキスタンで1議席も獲得できなかったため、中央政府の指導者たちは憲法(英語版)に反し、アワミ連盟に権力を譲ることを拒んだ。1971年3月7日、これに対してムジブル・ラフマンが、10万人が立ち会う元で中央政府への非協力を宣言した。

独立戦争

東パキスタンのベンガル人独立派に対し、中央政府はを空輸して武力鎮圧を試みた。

「バングラデシュ大虐殺 (1971年)」も参照

大量の東パキスタン住民が殺戮から逃れるために難民となって、かねてよりパキスタンと対立していた隣国のインドに亡命した[1]ことからインド政府が同年12月3日に介入した[1]第三次印パ戦争)。

詳細は「第三次印パ戦争」を参照

国力ではインドに劣るパキスタンの軍隊が劣勢となり、約2週間後の12月16日撤退。東パキスタンは「バングラデシュ人民共和国」として独立を果たした。

戦後

2013年、イスラム協会の幹部であったアブドゥル・カデル・モッラ(ベンガル語版)Abdul Quader Molla)が戦争時の虐殺等の罪によって死刑が確定した。大統領恩赦を出したがモッラは拒否し、同年12月12日、死刑が執行された。

インドのアッサム州では、2019年不法移民の排除を目的とする国民登録簿が作成された。名簿から除外された約190万人の多くはイスラム教徒であり、バングラデシュ独立戦争時に東パキスタンから流出した難民とその子孫であった[3]

関連書籍

  • Conway, M. A.; Haque, S.. Overshadowing the reminiscence bump: Memories of a struggle for independence. Journal of Adult Development. 6, (1). pp. 35-44 

脚注

英語版ウィキクォートに本記事に関連した引用句集があります。
Bangladesh Liberation War
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出典

  1. ^ a b c 『バングラデシュ独立問題』 - コトバンク
  2. ^ 『バングラデシュ独立戦争』 - コトバンク
  3. ^ 「インド、190万人が市民権剥奪の恐れ=イスラム教徒ら登録除外」『時事通信』、2019年8月31日。2019年9月1日閲覧。

関連項目

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