ダミアーノ・クネゴ


ダミアーノ・クネゴ
Damiano Cunego
基本情報
本名 ダミアーノ・クネゴ
Damiano Cunego
愛称 il Piccolo Principe(小さな王子様)
生年月日 (1981-09-19) 1981年9月19日(42歳)
国籍 イタリアの旗 イタリア
身長 169cm
体重 58kg
選手情報
所属 NIPPO・ヴィーニファンティーニ
分野 ロードレース
役割 引退
特徴 クライマー
クラシックスペシャリスト
プロ経歴
2002-2004
2005-2014
2015-
サエコ
ランプレ
NIPPO・ヴィーニファンティーニ
主要レース勝利
ジロ・デ・イタリア 総合優勝 (2004)
ジロ・デ・イタリア 通算4勝
ツール・ド・フランス 新人賞 (2006)
ブエルタ・ア・エスパーニャ 通算2勝
ジロ・ディ・ロンバルディア (2004, 2007, 2008)
アムステルゴールドレース (2008)
ジャパンカップサイクルロードレース (2005, 2008)
最終更新日
2015年4月19日

ダミアーノ・クネゴ(Damiano Cunego、1981年9月19日 - )はイタリアヴェネト州ヴェローナ県チェッロ・ヴェロネーゼ出身の自転車プロロードレース選手。2002年プロデビュー。22歳でジロ・デ・イタリア総合優勝を果たした。クライマーと目されてきたが、後にはジロ・ディ・ロンバルディアアムステルゴールドレースでの優勝、2008年世界選手権2位などワンデーレースでの活躍も目立った。

秋のジャパンカップサイクルロードレースでは2回優勝しており、日本でも馴染み深い選手の一人。169cmの小柄な体格と端正な容姿から「il Piccolo Principe(小さな王子様)」と呼ばれる。

経歴

ジロ・デ・イタリア総合優勝

2002年にサエコでプロデビューしたが、もっぱらアシストとして働き、2003年まで特別に目立った成績は残していなかった。

しかし2004年にグランツールの一つであるジロ・デ・イタリアでステージ4勝をあげる大活躍を見せ、チームのエースであったジルベルト・シモーニを押しのけて総合優勝を成し遂げる。さらにシーズン終盤の ジロ・ディ・ロンバルディアでも優勝。ジャパンカップでも2位に入り、2004年 UCI・ロードワールドランキングスで1位に輝いた。

2005年からは サエコとランプレの合併に伴い出来た新チーム、ランプレ・カッフィータに移る。ジロ・デ・イタリアへの調整も兼ねて出場した直前のツール・ド・ロマンディでは山岳ステージで優勝し総合2位に入るなど好調かと思われたが、肝心のジロでは序盤から調子が上がらず、結局シモーニのアシストに回ることになる。さらに追い打ちをかけるように伝染性単核球症に罹患。シーズン中盤を棒に振ることになってしまった。しかしシーズン終盤にかけて調子を取り戻し、ジャパンカップでも優勝を果たした。

2006年は不仲を噂されたジルベルト・シモーニがサウニエルデュバルへ移籍したことに伴いチームのエースを務めることになり、ジロ・デ・イタリアではシモーニに続く総合4位、初出場のツール・ド・フランスではラルプ・デュエズの山頂ゴールが設定された第15ステージでフランク・シュレクと激しいステージ優勝争いを繰り広げて2位に食い込むなどの活躍を見せ、新人賞のマイヨ・ブラン を獲得した。

ワンデーレースでの活躍とグランツールでの不振

続く2007年、優勝を目指したジロ・デ・イタリアでは総合5位に終わったものの、ドイツ・ツアーで1勝したほか、ジロ・ディ・ロンバルディアで2回目の優勝を飾ってシーズンを締めくくった。

2008年はバスク一周ポイント賞を獲得、ステージ1勝を上げた他、アムステルゴールドレースではフランク・シュレクアレハンドロ・バルベルデら強豪を抑えて優勝した。その後、ジロ・デ・イタリアには出場せず、ツール・ド・フランスに目標を絞ったが山岳ステージで連日後退。総合争いから脱落したうえ、第18ステージでの不運な落車による怪我で途中リタイアを余儀なくされた。

続いて出場したブエルタでも、ツール同様山岳ステージで精彩を欠いて総合成績で伸び悩み、第16ステージで世界選手権に備えてリタイアしたが、その世界選手権ロードレースでは2位で表彰台に立ち、ジロ・ディ・ロンバルディアでは自身3回目となる優勝を連覇で飾る。さらにジャパンカップでも2005年以来の優勝を遂げた。

2009年はバスク一周で総合6位、連覇を狙ったアムステルゴールドレースは5位、フレッシュ・ワロンヌが3位、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュが7位と全体的にあと一歩の成績が続いた。2年ぶりに出場したジロ・デ・イタリアでも第5ステージで大きく遅れてマリア・ローザ争いから早々と脱落。その後も第16ステージで逃げ集団に乗った以外はほとんど見せ場無く、総合19位に終わっている。

グランツールで復活の兆し

その後ツール・ド・フランスは回避して、世界選手権に向けた調整目的でブエルタ・ア・エスパーニャに出場。最初の山岳ステージかつ頂上ゴールとなった第8ステージで、残り2km地点でイヴァン・バッソが牽くメイン集団から鮮烈なアタックを決めると、先行していたダヴィ・モンクティエを残り800m地点で抜き去って、実に2004年のジロ・デ・イタリア第18ステージ以来、約5年半ぶりのグランツールでのステージ優勝を挙げた。さらに第14ステージでは逃げ集団に乗ると、残り15km過ぎでアタックしてそのまま独走。2位に2分半近い大差をつけて2勝目を飾った。その後、当初の目的通り世界選手権に備えるため第16ステージ終了後リタイアとなったが、久々の復活を印象付けることとなった。

2010年

2011年

2012年

2013年

2014年

2015年NIPPO・ヴィーニファンティーニに移籍、キャプテンとしてプロコンチネンタルに昇格したチームを引っ張っている。

2016年ジロ・デ・イタリアでは、第19ステージまで山岳賞を堅守していたが、続く第20ステージでミケル・ニエベの逆転を許してしまい山岳賞獲得とはならなかった。

2017年

2018年、イタリア国内選手権ロードレースを最後に現役を引退。

エピソード

  • 当時の自転車ロードレースにおいては、ステージレースの総合優勝争いに加わることができるようになるのは20歳代後半からというのが一般的であった。22歳でジロ・デ・イタリアを制するというのは、誰も予想だにしない結果であり、23歳でツール・ド・フランスを制したヤン・ウルリッヒ以来の大きな驚きをもって迎えられた。
  • ジャパンカップとは相性が良く、2003年が6位、2004年はパトリック・シンケヴィッツに続く2位、2005年は前年に敗れたシンケヴィッツとフランシスコ・マンセボを破って優勝、2008年はこのレースが復帰初戦となったイヴァン・バッソを破って優勝という好成績を収めている。日本に対してはクネゴ自身も特別な思い入れを持っており、2018年のジャパンカップクリテリウムには競技から引退したにもかかわらず参戦している。

所属チーム

  • 2002~2004年 サエコ
  • 2005~2014年 ランプレ
  • 2015~2018年 NIPPO・ヴィーニファンティーニ

主な成績

獲得メダル
2008 ヴァレーゼ 個人ロード

グランツール

  • 2004年 ジロ・デ・イタリア 総合優勝(4勝)
  • 2006年 ジロ・デ・イタリア 総合4位、ツール・ド・フランス 新人賞
  • 2007年 ジロ・デイタリア 総合5位
  • 2009年 ブエルタ・ア・エスパーニャ 2勝

※( )内はステージ勝利数

ステージレース

  • 2005年 ツール・ド・ロマンディ 総合2位、ステージ1勝
  • 2007年 ドイツツアー 1勝
  • 2008年 バスク一周 総合4位、ポイント賞、ステージ1勝

ワンデイレース

そのほか

  • 2004年 UCIロードワールドランキングス 1位

外部リンク

  • ダミアーノ・クネゴ オフィシャル ウェブサイト
  • ニッポ・ヴィーニファンティーニ・デ・ローザ公式サイト
  • ランプレ公式サイト
  • ダミアーノ・クネゴ - サイクリングアーカイヴス(英語)
2019年 UAE チーム・エミレーツ 陣容

イタリアの旗ファビオ・アル
スイスの旗トム・ボーリ(英語版)
ノルウェーの旗スヴェン・エーリク・ビストレム(英語版)
イタリアの旗シモーネ・コンソンニ(英語版)
イタリアの旗ヴァレリオ・コンティ
ポルトガルの旗ルイ・コスタ

クロアチアの旗クリスティアン・デュラセック(英語版)
イタリアの旗ロベルト・フェッラーリ
コロンビアの旗フェルナンド・ガビリア
コロンビアの旗セルヒオ・エナオ
ノルウェーの旗アレクサンダー・クリストフ
ノルウェーの旗ヴェーガル・スターク・ラエンゲン

イタリアの旗マルコ・マルカート
アイルランドの旗ダニエル・マーティン
アラブ首長国連邦の旗ユースフ・ミルザ・アルハマディ(英語版)
コロンビアの旗フアン・モラノ(英語版)
イタリアの旗マヌエーレ・モーリ
イタリアの旗クリスティアン・ムニョス(英語版)

ポルトガルの旗イヴォ・オリヴェイラ(英語版)
ポルトガルの旗ルイ・オリヴェイラ(英語版)
イタリアの旗シモーネ・ペティッリ(英語版)
ベルギーの旗ヤスパー・フィリプセン
スロベニアの旗タデイ・ポガチャル
スロベニアの旗ヤン・ポランツ

イタリアの旗エドワード・ラヴァジ(英語版)
ベラルーシの旗アリャクサンドル・リャブシェンコ(英語版)
オーストラリアの旗ローリー・スザーランド
イタリアの旗オリヴェイロ・トロイア(英語版)
イタリアの旗ディエゴ・ウリッシ

チーム・マネジャー : スペインの旗ホセアントニオ・フェルナンデス(フランス語版)

チーム・ウェブサイト : uaeteamemirates.com/

   










1909  イタリア王国の旗  ルイジ・ガンナ

1910  イタリア王国の旗  カルロ・ガレッティ
1911  イタリア王国の旗  カルロ・ガレッティ
1912  イタリア王国の旗  アタラチーム[注 1]
1913  イタリア王国の旗  カルロ・オリアーニ
1914  イタリア王国の旗  アルフォンソ・カルツォラーリ
1915  第一次世界大戦
1916  第一次世界大戦
1917  第一次世界大戦
1918  第一次世界大戦
1919  イタリア王国の旗  コスタンテ・ジラルデンゴ

1920  イタリア王国の旗  ガエターノ・ベローニ
1921  イタリア王国の旗  ジョバンニ・ブルネーロ
1922  イタリア王国の旗  ジョバンニ・ブルネーロ
1923  イタリア王国の旗  コスタンテ・ジラルデンゴ
1924  イタリア王国の旗  ジュゼッペ・エンリーチ
1925  イタリア王国の旗  アルフレッド・ビンダ
1926  イタリア王国の旗  ジョバンニ・ブルネーロ
1927  イタリア王国の旗  アルフレッド・ビンダ
1928  イタリア王国の旗  アルフレッド・ビンダ
1929  イタリア王国の旗  アルフレッド・ビンダ

1930  イタリア王国の旗  ルイジ・マルキジオ
1931  イタリア王国の旗  フランチェスコ・カムッソ
1932  イタリア王国の旗  アントニオ・ペゼンティ
1933  イタリア王国の旗  アルフレッド・ビンダ
1934  イタリア王国の旗  レアルコ・グエッラ
1935  イタリア王国の旗  ヴァスコ・ベルガマスキ
1936  イタリア王国の旗  ジーノ・バルタリ
1937  イタリア王国の旗  ジーノ・バルタリ
1938  イタリア王国の旗  ジョヴァンニ・ヴァレッティ
1939  イタリア王国の旗  ジョヴァンニ・ヴァレッティ

1940  イタリア王国の旗  ファウスト・コッピ
1941  第二次世界大戦
1942  第二次世界大戦
1943  第二次世界大戦
1944  第二次世界大戦
1945  第二次世界大戦
1946  イタリア王国の旗  ジーノ・バルタリ
1947  イタリアの旗  ファウスト・コッピ
1948  イタリアの旗  フィオレンツォ・マーニ
1949  イタリアの旗  ファウスト・コッピ

1950  スイスの旗  ユーゴ・コブレ
1951  イタリアの旗  フィオレンツォ・マーニ
1952  イタリアの旗  ファウスト・コッピ
1953  イタリアの旗  ファウスト・コッピ
1954  スイスの旗  カルロ・クレリーチ
1955  イタリアの旗  フィオレンツォ・マーニ
1956  ルクセンブルクの旗  シャルリー・ゴール
1957  イタリアの旗  ガストネ・ネンチーニ
1958  イタリアの旗  エルコーレ・バルディーニ
1959  ルクセンブルクの旗  シャルリー・ゴール

1960  フランスの旗  ジャック・アンクティル
1961  イタリアの旗  アルナルド・パンビアンコ
1962  イタリアの旗  フランコ・バルマミオン
1963  イタリアの旗  フランコ・バルマミオン
1964  フランスの旗  ジャック・アンクティル
1965  イタリアの旗  ヴィットリオ・アドルニ
1966  イタリアの旗  ジャンニ・モッタ
1967  イタリアの旗  フェリーチェ・ジモンディ
1968  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1969  イタリアの旗  フェリーチェ・ジモンディ

1970  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1971  スウェーデンの旗  イェスタ・ペーテルソン
1972  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1973  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1974  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1975  イタリアの旗  ファウスト・ベルトリオ
1976  イタリアの旗  フェリーチェ・ジモンディ
1977  ベルギーの旗  ミシェル・ポランティエール
1978  ベルギーの旗  ヨハン・デミュインク
1979  イタリアの旗  ジュゼッペ・サローニ

1980  フランスの旗  ベルナール・イノー
1981  イタリアの旗  ジョヴァンニ・バッタリン
1982  フランスの旗  ベルナール・イノー
1983  イタリアの旗  ジュゼッペ・サローニ
1984  イタリアの旗  フランチェスコ・モゼール
1985  フランスの旗  ベルナール・イノー
1986  イタリアの旗  ロベルト・ヴィセンティーニ
1987  アイルランドの旗  ステファン・ロシュ
1988  アメリカ合衆国の旗  アンドリュー・ハンプステン
1989  フランスの旗  ローラン・フィニョン

1990  イタリアの旗  ジャンニ・ブーニョ
1991  イタリアの旗  フランコ・キオッチョーリ
1992  スペインの旗  ミゲル・インドゥライン
1993  スペインの旗  ミゲル・インドゥライン
1994  ロシアの旗  エフゲニー・ベルズィン
1995  スイスの旗  トニー・ロミンゲル
1996  ロシアの旗  パヴェル・トンコフ
1997  イタリアの旗  イヴァン・ゴッティ
1998  イタリアの旗  マルコ・パンターニ
1999  イタリアの旗  イヴァン・ゴッティ

2000  イタリアの旗  ステファノ・ガルゼッリ
2001  イタリアの旗  ジルベルト・シモーニ
2002  イタリアの旗  パオロ・サヴォルデッリ
2003  イタリアの旗  ジルベルト・シモーニ
2004  イタリアの旗  ダミアーノ・クネゴ
2005  イタリアの旗  パオロ・サヴォルデッリ
2006  イタリアの旗  イヴァン・バッソ
2007  イタリアの旗  ダニーロ・ディルーカ
2008  スペインの旗  アルベルト・コンタドール
2009  ロシアの旗  デニス・メンショフ

2010  イタリアの旗  イヴァン・バッソ
2011  イタリアの旗  ミケーレ・スカルポーニ
2012  カナダの旗  ライダー・ヘシェダル
2013  イタリアの旗  ヴィンチェンツォ・ニバリ
2014  コロンビアの旗  ナイロ・キンタナ
2015  スペインの旗  アルベルト・コンタドール
2016  イタリアの旗  ヴィンチェンツォ・ニバリ
2017  オランダの旗  トム・デュムラン
2018  イギリスの旗  クリス・フルーム
2019  エクアドルの旗  リチャル・カラパス

  1. ^ 第4回大会のみ総合優勝はカルロ・ガレッティジョヴァンニ・ミケレットエベラルド・パヴェージからなるチームに与えられた。