シャルル8世 (フランス王)

シャルル8世
Charles VIII
フランス国王
在位 1483年 - 1498年
戴冠式 1361年8月15日、ノートルダム大聖堂(ランス)
別号 ナポリ国王

出生 1470年6月30日
フランス王国アンボワーズ城
死去 1498年4月7日(27歳没)
フランス王国アンボワーズ城
埋葬 1498年5月11日
フランス王国サン=ドニ大聖堂
配偶者 アンヌ・ド・ブルターニュ
子女 シャルル=オルラン
家名 ヴァロワ家
王朝 ヴァロワ朝
父親 ルイ11世
母親 シャルロット・ド・サヴォワ
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シャルル8世Charles VIII, 1470年6月30日 - 1498年4月7日[1])は、ヴァロワ朝第7代のフランス(在位:1483年 - 1498年)。温厚王(l'Affable)と呼ばれた。イタリア戦争を始めたフランス王として知られる。

生涯

フランス王ルイ11世とシャルロット・ド・サヴォワの息子として1470年にアンボワーズ城で生まれた[2]。兄はいたがいずれも夭逝しており、1483年8月30日父王の死去により13歳で即位、姉アンヌ・ド・ボージュー、義兄ブルボン公ピエール2世夫妻の摂政下に置かれた[3]

シャルル8世は当初ハプスブルク家ローマ王(のちの神聖ローマ皇帝)マクシミリアンの娘マルグリットと婚約していた。マルグリットは、誘拐同然にフランスへ送られてアンヌ・ド・ボージューの下で養育され、シャルル8世と幼くして形式的な結婚をした。一方、マクシミリアンはマルグリットの母で最初の妃であるマリー・ド・ブルゴーニュをすでに亡くしており、ブルターニュ公国の継承権を持つアンヌ・ド・ブルターニュと婚約していた。しかし、シャルル8世はマルグリットとの結婚を解消し、1491年12月6日にアンヌと政略結婚した[4]。しかも元の妃マルグリットを、マクシミリアンが武力に訴えるまで返さなかった。

アンヌ・ド・ブルターニュとの結婚以後自立するようになり、1494年16世紀前半のヨーロッパ史上重大な影響を与えることになるイタリア戦争を開始した。ナポリ王国の継承権を主張するシャルルは、フランス軍を率いてイタリア半島を南下した。彼はローマを経て1495年2月22日ナポリに入城し、戴冠してナポリ王となった[5]

しかし、フランスのイタリア介入を嫌うヴェネツィア共和国ローマ教皇アレクサンデル6世、ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァらの同盟軍に包囲され、多大の損害を出してフランスに逃げ帰った[6]。このイタリア遠征の失敗によってフランスは莫大な負債を抱えることになる。1498年にうっかり鴨居に頭を打ちつける事故を起こし、間もなく死亡した[6]。遺体はサン=ドニ大聖堂に、心臓はクレリ大聖堂(フランス語版)に埋葬された。

シャルル8世は王妃アンヌとの間に3男1女をもうけたが、長男のシャルル=オルランを含めいずれも夭逝しており、シャルル8世の死によってヴァロワ家の本流は断絶した。そのため、サリカ法によって、シャルル5世の曾孫、父ルイ11世の又従弟に当たる、傍系ヴァロワ=オルレアン家のオルレアン公ルイ2世がルイ12世として王位を継いだ。

子女

アンヌ・ド・ブルターニュとの間に以下の子女をもうけたが、いずれも早世した。

  • シャルル=オルラン(1492年 - 1495年)
  • シャルル(1496年9月8日 - 10月2日)
  • フランソワ(1497年)
  • アンヌ(1498年)

脚注

  1. ^ Charles VIII king of France Encyclopædia Britannica
  2. ^ 佐藤、p. 192
  3. ^ 佐藤、p. 193
  4. ^ 佐藤、p. 199
  5. ^ 佐藤、p. 204
  6. ^ a b 佐藤、p. 206

参考文献

  • 佐藤賢一 『ヴァロワ朝 フランス王朝史2』 講談社現代新書、2014年
先代
ルイ11世
フランス国王
1483年 - 1498年
次代
ルイ12世
フランス君主
カロリング朝
  • シャルル2世 843-877
  • ルイ2世 877-879
  • ルイ3世 879-882
  • カルロマン2世 879-884
  • シャルル肥満王 885-888
ロベール朝
  • ウード 888-898
カロリング朝
  • シャルル3世 898-922
ロベール朝
  • ロベール1世 922-923
ボゾン朝
  • ラウール 923-936
カロリング朝
  • ルイ4世 936-954
  • ロテール 954-986
  • ルイ5世 986-987
カペー朝
  • ユーグ1世 987–996
  • ロベール2世 996–1031
  • ユーグ2世(共同王) 1017-1025
  • アンリ1世 1031–1060
  • フィリップ1世 1060–1108
  • ルイ6世 1108–1137
  • フィリップ(共同王) 1129-1131
  • ルイ7世 1137–1180
  • フィリップ2世 1180–1223
  • ルイ8世 1223–1226
  • ルイ9世 1226–1270
  • フィリップ3世 1270–1285
  • フィリップ4世 1285–1314
  • ルイ10世 1314–1316
  • ジャン1世 1316
  • フィリップ5世 1316–1322
  • シャルル4世 1322–1328
ヴァロワ朝
  • フィリップ6世 1328–1350
  • ジャン2世 1350–1364
  • シャルル5世 1364–1380
  • シャルル6世 1380–1422
  • シャルル7世 1422–1461
  • ルイ11世 1461–1483
  • シャルル8世 1483–1498
ランカストル朝
  • アンリ2世(異説あり) 1422-1453
ヴァロワ=オルレアン朝
  • ルイ12世 1498–1515
ヴァロワ=アングレーム朝
  • フランソワ1世 1515–1547
  • アンリ2世 1547–1559
  • フランソワ2世 1559–1560
  • シャルル9世 1560–1574
  • アンリ3世 1574–1589
ブルボン朝
  • アンリ4世 1589–1610
  • シャルル10世(対立王) 1589–1590
  • ルイ13世 1610–1643
  • ルイ14世 1643–1715
  • ルイ15世 1715–1774
  • ルイ16世 1774–1792
  • ルイ17世(名目上) 1792–1795
ボナパルト朝第一帝政
ブルボン朝復古王政
  • ルイ18世 1814–1815
ボナパルト朝百日天下
  • ナポレオン1世(復位) 1815
  • ナポレオン2世(名目上) 1815
ブルボン朝復古王政
  • ルイ18世 1815–1824
  • シャルル10世 1824–1830
  • ルイ19世(異説あり) 1830
  • アンリ5世(異説あり) 1830
オルレアン朝七月王政
  • ルイ・フィリップ1世 1830–1848
ボナパルト朝第二帝政
ナポリ王国旗ナポリ国王(1495年)ナポリ王国旗
アンジュー朝

カルロ1世1282-1285 / カルロ2世1285-1309 / ロベルト1世1309-1343 / ジョヴァンナ1世1343-1382 / カルロ3世1382-1386 / ラディズラーオ1世1386-1389

ヴァロワ=アンジュー朝

ルイージ2世1389-1399

アンジュー朝

ラディズラーオ1世(復位)1399-1414 / ジョヴァンナ2世1414-1435

ヴァロワ=アンジュー朝

レナート1世1435-1442

トラスタマラ朝

アルフォンソ1世1442-1458 / フェルディナンド1世1458-1494 / アルフォンソ2世1494-1495

ヴァロワ朝

シャルル8世 (フランス王)1495

トラスタマラ朝

フェルディナンド2世1495-1496 / フェデリーコ1世1496-1501

ヴァロワ朝

ルイ-ジ3世1501-1504

トラスタマラ朝

フェルディナンド3世1504-1516

スペイン・ハプスブルク朝

カルロ4世1516-1556 / フィリッポ1世1556-1598 / フィリッポ2世1598-1621 / フィリッポ3世1621-1665 / カルロ5世1665-1700

ブルボン朝

フィリッポ4世1700-1707

オーストリア・ハプスブルク朝

カルロ6世1707-1735

ブルボン朝

カルロ7世1735-1759 / フェルディナンド4世1759-1806

ボナパルト朝
ブルボン朝

フェルディナンド4世(復位)1815-1816

※1816年、両シチリア王国成立
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