オアシス (バンド)

曖昧さ回避 この項目では、ロックバンドについて説明しています。その他の用法については「オアシス (曖昧さ回避)」をご覧ください。
オアシス
2005年撮影。左がリアム・ギャラガー、右がノエル・ギャラガー、後ろのキーボードはジェイ・ダーリントン
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランドマンチェスター
ジャンル
活動期間 1991年 - 2009年
レーベル
公式サイト オアシス 公式サイト
旧メンバー

オアシスOasis[注釈 1]は、イギリスロックバンド1991年結成。2009年解散。

概要

メイン・ソングライターの兄ノエル・ギャラガーとボーカルの弟リアム・ギャラガーのギャラガー兄弟を中心に1991年に結成され、全世界でのトータルセールスは7,000万枚以上を記録している[5]。代表曲に「ホワットエヴァー」「サム・マイト・セイ」「ワンダーウォール」「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」「ドント・ゴー・アウェイ」「レット・ゼア・ビー・ラヴ」など多数のヒット・シングルを持つ。

バンドの核はギター及び主なソングライティングを担当したノエルと、ボーカルを担当したリアムのギャラガー兄弟。同じく労働者階級出身であるビートルズ[注釈 2]を大変敬愛している。コンサートでは「アイ・アム・ザ・ウォルラス」や「ヘルター・スケルター」などビートルズの曲を頻繁にカバー演奏した他、リアムが「ジョン・レノンワーキング・クラス・ヒーローみたいな曲がある」と公言もしている[6]。ビートルズの影響は作品にとどまらず、スキャンダラスな言動も常にロック・ファンの注目を集めた。音楽メディアによって、中流階級出身のブラーとは何年にもわたって比較された。ファッションにおいては、パンク・ロッカーは切り裂かれたTシャツなど「反社会的」とされる恰好だったが、オアシスはウインドブレーカーやジャージといった労働者階級の普段着を着て、ライブやインタビューに臨んでいた。

音楽性とは別に、バンド内の諍いも有名であり、度々解散の噂が流れた。特に、バンドの核であったギャラガー兄弟の仲の悪さを示すエピソードは枚挙に暇がない[7]。後述の解散の理由も、兄弟の仲違いが少なからず影響している。

解散

2009年8月28日、ノエルがオアシスの脱退を表明し解散した。2010年、残されたメンバーは新バンド「ビーディ・アイ」を結成し、ノエルはソロプロジェクト「ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ」の活動を開始した。

メンバー

最終メンバー

元メンバー

  • アラン・ホワイト(英語版)(Alan White、1972年5月26日 - )- ドラムス
    2人目のドラマー。2004年脱退。スティーヴ・ホワイト(元ザ・スタイル・カウンシル、現ポール・ウェラーバックバンドのドラマー)の実弟。イエスの同名ドラマーとは別人。
  • ポール・ "ボーンヘッド" ・アーサーズ(英語版)(Paul "Bonehead" Arthurs、1965年6月23日 - ) - リズムギター、キーボード
    初期メンバー。1999年脱退。公式サイトでは『家族とのもっと多くの時間を過ごしたいため』と説明されている。以降は地道に音楽活動をつづけながら、故郷・マンチェスターで暮らしている。地元のバンドにも参加していたが、2010年頃を持って離脱した。近年はソロ活動におけるリアムのバンドメンバーに合流、ツアーにも帯同している。
  • ポール・ "ギグジー" ・マッギーガン(Paul "Guigsy" McGuigan、1971年5月9日 - ) - ベース
    初期メンバー。1999年脱退。ノエルによると、バンドを抜けたいという内容のファックスを突然もらって以来、すっかり連絡がつかなくなったらしい。以降は特に目立った活動は見られなかったが、近年ではロンドンのクラブでDJ活動をしているとのことである。
  • トニー・マッキャロル(英語版)(Tony McCarroll、1971年6月4日 - ) - ドラムス
    初期メンバー。1995年脱退(事実上解雇)。

サポートメンバー

来歴

  • ポール・ "ボーンヘッド" ・アーサーズ、ポール・ "ギグジー" ・マッギーガン、クリス・ハットン(ヴォーカル)が前身バンド「ザ・レイン」を結成。ザ・レインの初演は、地元マンチェスターのバーネイジにあるカードゲームクラブで、ドラムマシンを使って行われた。後に、ドラマーとしてトニー・マッキャロルが加わる。
1991年
  • 音楽関係の仕事をしていたノエル・ギャラガーのコネを狙って、ボーンヘッドがクリスをクビにし代わりにリアム・ギャラガーを加入させ、リアムはバンド名をオアシスと改名した。ギャラガー兄弟の寝室に貼ってあったオールダムのインディー・ロックバンド、インスパイラル・カーペッツのツアーポスターに由来している。ポスターには、開催地の1つとしてスウィンドンオアシス・レジャー・センター(英語版)が記載されていた。
  • 8月、マンチェスターのボードウォーククラブにて、オアシス初のステージに立つ。リアムの実兄であり、インスパイラル・カーペッツのローディーであったノエルがライヴを観に来る。その後、バンドに加入。
1993年
1994年
  • 2月、ザ・ヴァーヴのギグに参加するためのアムステルダムへ船で移動中、ノエル以外のメンバーが乱闘を起こし、強制送還される。コンサートでは、ノエルがひとり弾き語りを行う[8]
  • 4月、シングル「スーパーソニック」でデビュー。UKチャート31位。
  • 8月、3rdシングル「リヴ・フォーエヴァー」をリリース。UKチャート10位。
  • 9月、アルバム『デフィニトリー・メイビー』発売。英国で初登場1位の大ヒットとなり、2006年にアークティック・モンキーズに破られるまで、デビュー・アルバム最速売り上げ記録。東名阪のクアトロで初来日公演。ロサンゼルスでは、リアムがドラッグを使用しながらライヴを決行。ノエルは激怒しバンドを一時脱退、ノエルはレーベル関係者に捜し出され説得を受け、ミネアポリスの公演からツアーを再開した。
  • 12月、クリスマスシングル「ホワットエヴァー」を発売。UKチャート最高3位。
1995年
  • 4月、技術的に問題があったとして、ドラマーのトニー・マッキャロルが解雇され、代わりにポール・ウェラーの勧めで元スタークラブのアラン・ホワイトが加入(アラン・ホワイトは、スタイル・カウンシルスティーヴ・ホワイトの実弟)。シングル「サム・マイト・セイ」がUKチャート1位。
  • 6月、アランと共に、グラストンベリー・フェスティバルにヘッドライナーで出演。
  • 8月、メディアに煽られる形で始まった「オアシスvsブラー」の争いは、オアシスのシングル「ロール・ウィズ・イット」とブラーのシングル「カントリー・ハウス」の同日発売で頂点を迎える。結果はブラーが1位(27万4000枚)、オアシスは2位(21万6000枚)。その後2度目の来日を果たす。
  • 9月、ギグジーが精神疲労で一時脱退、代役にThe Ya-YasのScott McLeodを迎えツアーを行う。
  • 10月、2ndアルバム『モーニング・グローリー』発売。UKチャート1位。アルバム売上枚数は全世界で約2500万枚以上を記録し(2018年時点)、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が持っていた英国アルバム売り上げ記録を約30年ぶりに更新(現在はクイーンとビートルズに抜き返されている)。
  • 11月、ロンドンのアールズ・コートで、2日間4万人を動員するライヴを開催。ヨーロッパの屋内ライヴとしてはギネス記録。
1996年
  • 『モーニング・グローリー』からの3作目のシングル「ワンダーウォール」がアメリカでもじわじわとチャートを上昇。オアシスは、初秋のアメリカMTVアウォードでベストグループを受賞。
  • 4月、「マンチェスターメイン・ロード 2days」を行い、8万人を動員。
  • 5月、海外向けにシングル「シャンペン・スーパーノヴァ」をリリース。
  • 8月、ロンドン郊外のネブワースにて2日間で25万人を集める(250万件の予約が殺到した)。『MTVアンプラグド』に出演した際、収録直前にリアムが喉の不調を訴えキャンセル。代わりにノエルが全曲で歌を披露した。4日後、リアムがアメリカツアーに行くことを拒否したため、ノエルをボーカルに据えてツアーに出発する。その後、リアムがバンドに合流するが、数週間後に今度はノエルがバンドを残して飛行機で帰宅してしまう。メディアにはバンド解散かと騒がれたが、兄弟はすぐに和解し残りのツアーを終えた。
1997年
1998年
1999年
  • 8月、ボーンヘッドが脱退[9]。2週間後、後を追うようにギグジーが脱退。ノエルはボーンヘッドのギターとギグジーベースのパートを録り直す。
  • 12月、元ヘヴィ・ステレオのゲム・アーチャーが加入。元ライド、ハリケーン#1のギタリスト、アンディ・ベルがギグジーの後任として加入する。デビュー以来所属していたクリエイション・レコーズが解散。
2000年
  • 2月、4thアルバム『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』を発売。UKチャート初登場1位。前年のクリエイション・レコーズ解散に伴い、この年から自ら立ち上げたレーベル・ビッグ・ブラザーからのリリース。CDリリースと同時にワールドツアーを横浜アリーナよりスタートさせる。マリンメッセ福岡公演ではリアムが、体調不良を訴えて途中で退場している。
  • 5月、ワールドツアー中、アランが腕を痛めバルセロナでの公演をキャンセルする。バンドメンバーは代わりに飲み明かすが、リアムが当時のノエルの妻メグ・マシューズを侮辱し始め、「アナイスの父親は本当にノエルなのか」とノエルに疑問を投げかけ、殴り合いに発展する。ノエルはバンドを一時離脱、過去最大の解散危機を迎える[10]。急遽、代役のギタリストとしてマット・デイトンを起用。バンド史上初めてノエル抜きでライヴが行われる。このときの「アクイース」はノエルパートを丸々観客に歌わせていた。
  • 11月、ノエル復帰後、ロンドン(ウェンブリー・スタジアム)での公演を収録したライヴアルバムとライヴDVD『ファミリアー・トゥ・ミリオンズ』を発売。CD2枚組と1枚組が存在する。ウェンブリー・スタジアムでは7月に2日間コンサートが行われ、リアムの調子が良かった1日目がライヴアルバム、DVDとしてリリースされた。2日目は二日酔いのリアムがフラフラでステージに立つシーンが見られる。このときの模様は有料放送でヨーロッパ中に放映され、日本でもWOWOWが放映した。リアムは「2日公演なのを知らなかった」と弁明。
2001年
  • 初頭、南米ツアーをスタート。
  • 5月、ブラック・クロウズ、スペイスホッグと北米ジョイントツアー「Brotherly Love ツアー」を敢行[11]。このツアーのみアラン・ホワイトが怪我の為出演できず、アランの実兄のスティーブ・ホワイトが代役を務めた。
  • 7月、フジロック・フェスティバルで初日のヘッドライナーを務める。また、秋から冬にかけてバンド結成10周年小規模クラスのツアー「10 Years of Noise and Confusion Tour」が行われた。
2002年
  • 5月、『MTV THE SUPER DRY LIVE』、『MTV Video Music Awards Japan 2002』出演を含めたプロモーションで来日。
  • 7月、5thアルバム『ヒーザン・ケミストリー』発売。UKチャートで1位を獲得。
  • 8月、ノエルとアンディ、ジェイ・ダーリントンを乗せたタクシーが衝突事故を起こす[12]
  • 9月 - 10月、東京(代々木第一体育館)、福岡、大阪、仙台、広島で来日ツアーを敢行。福岡公演(福岡国際センター)では前回のライヴに続いて(そのときとは事情が違うものの)、リアムが途中退場するハプニングもあった[13]
  • 12月、ミュンヘンのナイトクラブでリアムとアラン、バンド関係者3人が乱闘を起こし逮捕される[14][15]。リアムは前歯を2本失い、警察官の胸部を蹴りつけた。アランは灰皿で頭を殴られ軽症を負った。バンドメンバーは大量にアルコールを摂取しており、リアムはコカインを使用していた[16]。2年後、リアムは3万5000ポンド(約700万円)の罰金を支払った[17]
2004年
  • 1月、アラン・ホワイトが脱退。元ビートルズのリンゴ・スターの息子ザック・スターキーが、サポート・ドラマーとして参加。
  • 6月、9年ぶりにグラストンベリー・フェスティバルに出演する[18]
  • 10月 - 12月、デイヴ・サーディとスタジオ入りする。
2005年
2006年
  • 3月、映画『GOAL!』のサウンドトラックに3曲を提供。
  • 11月、ノエルの選曲による初のベスト・アルバム『ストップ・ザ・クロックス』を発売。6thアルバム『ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース』に続いてオリコン初登場1位を獲得。ほぼ同時に、ツアーの模様を収めたロードムービー『ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン』が公開される(試写会のみ。2007年10月にDVD化)。また、世界各地でノエルがゲム、サポートドラマーのテリーとともにアクースティック・ライヴを披露する。日本でも、11月15日にMySpace主催によるシークレットライヴが、恵比寿のLIQUIDROOMにて行われた。
  • 日本の恋愛映画『シュガー&スパイス 風味絶佳』に、主題歌の「ライラ」を筆頭に、多くの既発曲を提供。
2007年
  • 2月、ブリット・アウォーズ生涯功労賞を受賞。
  • 6月、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』40周年記念スペシャル番組へ「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」のカヴァー曲を提供。
  • 10月21日、バンド初のダウンロード限定販売シングル「ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン」をリリース。本国イギリスでは、10月29日にロードムービー『ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン』がDVDでリリース(日本盤は12月5日発売)。
2008年
  • 5月、ザック・スターキーが、ザ・フーに専念のため離脱。代わりにクリス・シャーロックが加入。
  • 9月、シングル「ザ・ショック・オブ・ザ・ ライトニング」リリース。
  • 10月、アルバム『ディグ・アウト・ユア・ソウル』をリリース。イギリスではスタジオアルバムがデビュー作から7作連続で1位、アメリカでは『ビィ・ヒア・ナウ』以来11年ぶりのトップ10入りとなる5位を獲得。
2009年
  • 3月、3年半ぶりとなる来日公演を敢行。それに伴い「ミュージック・ステーション」に出演。
  • 6月、リアムがファッション・ブランド「Pretty Green」を設立。
  • 7月、フジロック・フェスティバルのヘッドライナーを務める。
  • 8月、ノエル・ギャラガーがフランスでの音楽フェスティバルへの出演直前に出演を取りやめ、公式ウェブサイト上で脱退を表明した[20]。これによりオアシスは解散した。

解散後

2009年
  • 11月、リアムは残されたメンバー(リアム、ゲム、アンディ、クリス)と共に、新たに次のアルバムのレコーディングを行うことを発表。
2010年
  • 1月、リアムは、次のアルバムに向けての新曲を数曲書き上げ、アルバムは2010年内にリリースすることを発表。また、当初はオアシスとして活動を継続する予定であったが、結局新たなバンド名で活動することを明らかにした。事実上、これがオアシスの解散宣言となった。
  • 2月、ブリット・アワードにて、アルバム『モーニング・グローリー』で「過去30年間でのベスト・アルバム」を受賞。
  • 5月、リアムは公式サイトなどにて新バンド名「ビーディ・アイ」を発表。
  • 6月、初のシングル・コレクション『タイム・フライズ…1994-2009』を発表。これまで全てのアルバムに収録されていなかった「ホワットエヴァー」「ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン」を含む全26曲(日本盤は全27曲、隠しトラックも含めると全28曲)が収録されている。UKチャート1位、日本ではオリコン初登場2位を記録。
2014年
  • デビュー20周年を記念し、1994年~1997年の活動を振り返る「チェイシング・ザ・サン」プロジェクトが始動[注釈 4]。オアシス初期のアルバム『オアシス』『モーニング・グローリー』『ビィ・ヒア・ナウ』の3作のリマスター盤が連続リリースと発表。
  • 5月、「チェイシング・ザ・サン」プロジェクトの第1弾として『オアシス』をリリース。
  • 9月、「チェイシング・ザ・サン」プロジェクトの第2弾として『モーニング・グローリー』をリリース。
2016年
  • 10月、「チェイシング・ザ・サン」プロジェクトの第3弾として『ビィ・ヒア・ナウ』がリリースされる。ドキュメンタリー映画「オアシス:スーパーソニック」が公開される。
2020年
  • 4月、活動当時に作成されていた未発表デモ音源「ドント・ストップ…」が配信限定でリリース。
2021年
  • 9月、「オアシス : ネブワース1996」がギャラガー兄弟の製作総指揮でドキュメンタリー映画化。

ディスコグラフィ

詳細は「オアシスの作品」を参照

スタジオ・アルバム

ライブ・アルバム

コンピレーション・アルバム

日本公演

  • 1994年 Definitely Maybe Tour
    • 9月14日,15日,16日 - 渋谷クラブクワトロ
    • 9月18日 - 大阪クラブクワトロ
    • 9月19日 - 名古屋クラブクワトロ
  • 1995年 (What's the Story) Morning Glory? Tour
    • 8月21日,22日 - 川崎・CLUB CITTA'
    • 8月23日 - 東京・LIQUIDROOM
    • 8月25日,26日 - 東京・ガーデンホール
    • 8月28日 - 大阪・松下IMPホール
    • 8月29日 - 大阪・ベイサイドジェニー大阪
  • 2002年 MTV THE SUPER DRY LIVE
    • 5月23日 - 東京・Zepp Tokyo
  • 2005年 Don't Believe the Truth Tour
    • 11月17日 - 大阪・大阪城ホール
    • 11月18日,20日,21日 - 東京・代々木第一体育館

その他

  • ノエル・ギャラガーはデビュー当時からU2を目標としていたといい、オアシスの将来について「アメリカでもイギリスと同じように成功し、U2のようになるのが俺のデカイ夢」と話していた。
  • ノエルの前妻メグ・マシューズとジョニー・デップの元恋人であったケイト・モスが友人のため、ジョニー・デップとノエルは親交があり、デップは「ビィ・ヒア・ナウ」収録の「フェイド・イン・アウト」にスライドギターで参加している。その礼としてデップは「P」という文字の入った白いギターをノエルに贈っている。
  • 1995年にBBCのテレビ番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』に出演して「ロール・ウィズ・イット」を演奏した際、口パクであることをネタにして、兄弟の役割を入れ替え、リアムがギターを弾くふりをし、ノエルがリードヴォーカルとして歌った(歌うふりをした)ことがある。これはブリットポップ期に、ブラーの「カントリー・ハウス」とシングル順位を争った際に負けたためである。
  • オアシスから影響、インスピレーションを受けていると公言しているアーティストに、アークティック・モンキーズ[22]ザ・キラーズ[23]ザ・コーラル[24]カサビアン、ザ・ビュー[25]マルーン5などが挙げられる。グラスゴー出身であるオアシスのトリビュート・バンドNo Way Sisは、EP『アイド・ライク・トゥ・ティーチ・ザ・ワールド・トゥ・シング』をリリースしUKチャート40位を記録した。この曲はザ・ニュー・シーカーズの曲(邦題「愛するハーモニー」)をオアシス風にカヴァーしたものである。日本のバンドlittle by littleは、オアシスの曲「リトル・バイ・リトル」からバンド名を得ている[26]
  • メタリカラーズ・ウルリッヒサッカーアルゼンチン代表リオネル・メッシ、サッカーポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウド、元サッカーイタリア代表のアレッサンドロ・デル・ピエロらもオアシスのファンとして知られる。マリリン・マンソンとも交遊があり、ライブにノエルとリアムが招待された。カート・コバーンの娘、フランシス・ビーン・コバーンも好きなミュージシャンのひとつにオアシスを挙げている[27]
  • ノエルが「アルバムに合わない」と判断した曲はシングルのB面に収録される傾向があり、現在もアルバム未収録曲が多数ある。[要出典]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 日本語読みは「オアシス」だが、発音記号は「[əʊéɪsɪs]」または「[əʊˈeɪsɪs]」なので英語読みは「オウエイスィス」に近い。
  2. ^ ジョン・レノンについては諸説あり。
  3. ^ 現在は復帰している。
  4. ^ 公式サイトではこの4年間を「オアシスがデビューしてから世界的な現象になるまでの最重要期間」としている[21]

出典

  1. ^ Prince, David J. (September 2001). “Tonight We're Gonna Rock Ya!”. SPIN (SPIN Media) 17 (9): 106. ISSN 0886-3032. 
  2. ^ Faulk, Barry J. (2016) [2010]. British Rock Modernism, 1967-1977: The Story of Music Hall in Rock. Oxfordshire: Taylor & Francis. p. 19. ISBN 978-1-317-17152-2 
  3. ^ Stegall, Tim (2021年7月23日). “10 Reasons Why Oasis Are The Most Influential Britpop Band Of All Time”. www.altpress.com. Alternative Press Magazine. 2023年4月6日閲覧。
  4. ^ Flick, Larry (March 6, 1999). “Continental Drift: Unsigned Artists And Regional News”. Billboard 111 (10): 22. 
  5. ^ “英国最強のロックンロール・スター、リアム・ギャラガー率いるビーディ・アイ、2ndアルバム『BE / ビー』6/5発売決定!美しくもインパクト大のアートワークにも注目!” (2013年4月17日). 2019年11月19日閲覧。
  6. ^ “リアム・ギャラガー、ソングライティングに対する自身の本音を明かす”. NME Japan (BandLab UK Limited.). (2016年11月17日). https://nme-jp.com/news/29585/ 2020年11月13日閲覧。 
  7. ^ “オアシス解散のきっかけ? 弟リアムが壊した兄ノエルのギターが競売に(字幕・14日)”. ロイター (2022年5月16日). 2022年5月16日閲覧。
  8. ^ 「Oasis/アーティスト ニュース情報/HMV」
  9. ^ 「Oasis ボーンヘッド脱退の真相」 VIBE-NET.COM ニュース、2000年8月18日。
  10. ^ 「オアシスのNoel Gallagher、Liamは“バカ”発言」 BARKS、2000年6月14日。
  11. ^ 「Oasis 『兄弟愛ツアー』いよいよ幕開け」 VIBE-NET.COM ニュース、2001年5月14日。
  12. ^ 「オアシスのメンバーが交通事故でケガ」 BARKS、2002年08月8日。
  13. ^ 「Oasis リアムとノエル6週間も口きかず!」 VIBE-NET.COM ニュース、2002年11月21日。
  14. ^ 「オアシスのリアム、乱闘で歯を折りショウをキャンセル」 BARKS、2002年12月3日。
  15. ^ 「オアシス、ドイツ公演の日程をさらに延期。リアムが警官を蹴ったとドイツ警察が発言」 BARKS、2002年12月5日。
  16. ^ 「オアシスのリアム、暴行事件時に薬物を使用していた」 BARKS、2004年5月6日。
  17. ^ 「オアシスのリアム、暴行事件で700万円の罰金」 BARKS、2004年11月24日。
  18. ^ 「グラストン主催者、オアシスのステージに失望」 BARKS、2004年7月2日。
  19. ^ 「Oasis 過去10年のチャートで最も成功したバンドに認定!」VIBE-NET.COM ニュース、2005年5月24日。
  20. ^ “A STATEMENT FROM NOEL” (2009年8月28日). 2009年8月29日閲覧。
  21. ^ “オアシスが2日間で25万人動員した伝説のネブワース公演での「ワンダーウォール」が初商品化決定!『モーニング・グローリー』日本盤ボーナス・トラック!「ハロー」のデモ・ヴァージョンも収録!”. Sony Music Japan (2014年8月7日). 2020年11月13日閲覧。
  22. ^ 「Arctic Monkeys - Norway Interview with VGTV」
  23. ^ 「IN DEPTH: killers rising, Mike Kalil, Review Journal」 2005年9月18日。
  24. ^ 「The Coral's official Myspace」
  25. ^ 「The View、「すべてはオアシスのおかげ」」 BARKS、2007年3月28日。
  26. ^ “little by little(リトル・バイ・リトル)の情報まとめ”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク株式会社. 2020年6月13日閲覧。
  27. ^ “フランシス・ビーン・コバーン、ノエル・ギャラガーとの2ショット写真を公開”. BARKS (ジャパンミュージックネットワーク株式会社). (2015年5月22日). https://www.barks.jp/news/?id=1000115871 2020年6月13日閲覧。 

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、オアシス (バンド)に関連するカテゴリがあります。
  • オアシス公式ウェブサイト (英語)
  • ソニー・ミュージック (日本語)
  • ユニバーサルミュージック (日本語)
  • オアシス - Myspace
オアシス
シングル
  • 1.スーパーソニック
  • 2.ロックンロール・スター(英語版)
  • 3.シェイカーメイカー
  • 4.リヴ・フォーエヴァー
  • 5.シガレッツ・アンド・アルコール
  • 6.ホワットエヴァー
  • 7.サム・マイト・セイ
  • 8.ロール・ウィズ・イット
  • 9.モーニング・グローリー
  • 10.ワンダーウォール
  • 11.ドント・ルック・バック・イン・アンガー
  • 12.シャンペン・スーパーノヴァ
  • 13.ドゥ・ユー・ノウ・ワット・アイ・ミーン?
  • 14.スタンド・バイ・ミー
  • 15.オール・アラウンド・ザ・ワールド
  • 16.ドント・ゴー・アウェイ
  • 17.アクイース
  • 18.ゴー・レット・イット・アウト!
  • 19.フー・フィールズ・ラヴ?
  • 20.サンデー・モーニング・コール
  • 21.ホェア・ディド・イット・オール・ゴー・ロング?
  • 22.ヒンドゥ・タイムズ
  • 23.ストップ・クライング・ユア・ハート・アウト
  • 24.リトル・バイ・リトル/シー・イズ・ラヴ
  • 25.ソングバード
  • 26.ライラ
  • 27.インポータンス・オヴ・ビーイング・アイドル
  • 28.レット・ゼア・ビー・ラヴ
  • 29.ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン
  • 30.ザ・ショック・オブ・ザ・ライトニング
  • 31.アイム・アウタ・タイム
  • 32.フォーリング・ダウン
  • 33.ドント・ストップ...
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