ウラルトゥ
- ウラルトゥ
- Biainili[1]
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← 前860年 - 前585年 →
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前9世紀から前6世紀のウラルトゥの版図-
公用語 ウラルトゥ語、古アルメニア語 首都 アルザシュクン(英語版)
トゥシュパ(英語版) (前832年以降)
先史時代 | 民族の起源 · シュラヴェリ=ショム文化 · クラ=アラクス文化 · ハイアサ · シュブリア · ナイリ · ウラルトゥ | |||
古代 | アケメネス朝治下アルメニア州 | |||
ソフェーネ王国 | アルメニア王国 | |||
コンマゲネ王国 | ||||
共和政ローマ治下 アルメニア属州 | パルティア治下 アルメニア王国 | |||
中世 | 東ローマ帝国治下 | サーサーン朝治下 マルズパン・アルメニア | ||
ウマイヤ・アッバース朝治下アルメニア首長国 | ||||
アニ王国 | ||||
アニ王国の分王国群 ヴァスプラカン王国 カルス王国 | ||||
十字軍国家系群 フィラレト・バラジュヌニ国家 メリテナ公国 エデッサ公国 ピル公国 ケスン公国 | セルジューク朝治下 | シュニク王国 タシル=ジョラゲト王国 アルツァフ王国 | ||
キリキア・アルメニア王国 | ザカリア朝治下 | |||
イルハン朝治下 | ||||
近世 | オスマン帝国治下 | サファヴィー朝・ガージャール朝治下 | イルハン朝〜サファヴィー朝治下 ハチェン公国 | |
チュフル=サアド | カラバフ州 ハムス | |||
エリヴァニ・ハン国 ナヒチェヴァン・ハン国 | ||||
カラバフ・ハン国 | ||||
虐殺 | ロシア帝国治下 | |||
カルス州 | アルメニア州 | エリザヴェトポリ県 | ||
西アルメニア行政地域 | エリヴァニ県 | |||
近代 | アルメニア第一共和国 | |||
山岳アルメニア共和国 | ||||
アルメニアSSR | アゼルバイジャンSSR治下 ナゴルノ・カラバフ自治州 | |||
現代 | アルメニア共和国 | アルツァフ共和国 |
ウラルトゥ (Urartu) は紀元前9世紀ごろから紀元前585年までアナトリアに存在した王国。その版図は、現在のトルコ東部のヴァン湖周辺を中心に、メソポタミア北部からコーカサス南部にわたった。
名称
「ウラルトゥ」という呼称は、同時期に覇を競ったアッシリア人たちが呼んだ名である。王国は、ウラルトゥ語でビアインリ (Biainli)と呼ばれ、これは「ヴァン (Van)」の語源となった。また、「ウラルトゥ」の名はアララト山 (Ararat) とも関係づけられる。
また、「ハルディ (en)」と呼ばれる神を信仰していたことから、「ハルディア (Haldia)」とも称された[2]。
歴史
前史
紀元前1250年ごろのアッシリアの文書は、「ウルアトリ (Uruatri)」または「ナイリ (Nairi)」と呼ばれる民族とのゆるやかな同盟関係に言及している。現在知られているウラルトゥについての情報のほとんどは、アッシリアの文書から得られたものである。
黎明期
その民族は、紀元前860年から紀元前830年のあいだに、王アラマとルティプリの下で黎明期を迎え、王国を形成した。首都は、初期の頃にはアルザシュクン(英語版)に置かれていた。
拡大期
その息子サルドゥリ1世の下で、紀元前832年頃に現在のヴァンのあたりに遷都しトゥシュパ(英語版) (Tushpa) と呼ばれた。ウラルトゥ王国はメヌア(メヌアシュ)からサルドゥリ(サルドゥリシュ)2世の時代が最盛期[2]で、最盛期にはアルメニア高原の全域を含み、東は現在のタブリーズを越え、南はティグリス川、西はユーフラテス川の上流域にまで至った。
衰退期・滅亡
紀元前714年には、ウラルトゥの王ルサ1世 (Rusa) がサルゴン2世率いるアッシリア軍に大敗して王は自殺に追い込まれた。この戦い以降、ウラルトゥ王国はアッシリアと幾度か戦った(ウラルトゥ・アッシリア戦争、紀元前714年 - 紀元前585年)。ウラルトゥ王国は、キンメリア人やアッシリアの攻撃に苦しんだ。紀元前585年にスキタイ人の攻撃によってウラルトゥ王国は滅んだ。アケメネス朝の成立後、この地にアルメニア人が定住した(アルメニア(英語版)、紀元前553年 - 紀元前331年)。
発掘
紀元後5世紀ごろ以降、ウラルトゥの存在は忘れ去られていたが、18世紀、19世紀の発掘によって再発見された。
言語系統
ウラルトゥ語は、フルリ・ウラルトゥ語族に分類される膠着語である。フルリ人が築いたミタンニ王国(紀元前1500年頃 - 紀元前1270年頃)で使用されたフルリ語と近縁関係にある。
歴代国王
黎明期
拡大期
- サルドゥリ1世(紀元前834‐828年)
- イシュプイニ(紀元前828‐810年)
- メヌア(紀元前820‐785年)
- アルギシュティ1世(紀元前785‐753年)
- サルドゥリ2世(紀元前753‐735年)
- ルサ1世(紀元前735‐714年)
衰退期
- アルギシュティ2世(紀元前714‐680年)
- ルサ2世(紀元前680‐639年)
- サルドゥリ3世(紀元前639‐635年)
- エリメナ(紀元前635‐629年)
- ルサ3世(紀元前629‐615?年)
- サルドゥリ4世(紀元前615‐598年)?
- ルサ4世(紀元前598‐590年)
脚注
- ^ Paul Zimansky, "Urartian material culture as state assemblage", Bulletin of the American Association of Oriental Research 299 (1995), 105
- ^ a b 杉「ウラルトゥ王国」『アジア歴史事典 1』
参考文献
- Boris B. Piotrovsky, The Ancient Civilization of Urartu (translated from Russian by James Hogarth), New York:Cowles Book Company, 1969.
- ボリス・ピオトロフスキー著, 加藤九祚訳, 「埋もれた古代王国の謎―幻の国ウラルトゥを探る」岩波書店, (1981年)
- 杉勇「ウラルトゥ王国」(『アジア歴史事典 1』(平凡社、1984年))
関連項目